探したり検索かけている途中で、NEW SCIENTIST の古い記事を見つけた。時代は1983年。インドのボンベイにあるBombay Natural History Society が100年をむかえたよ、という内容らしい。
∧∧
(‥ )ダーウィンの性選択は
\- 間違っていると思うよ。
あれは証拠のない、いい加減な仮説。
(‥ )その言い様は死人を鞭打つような
ものであるとか、ダーウィンが
生きていたらもう性選択なんて
言わないでしょうって書いてあるな。
これ、本当に1983年の発言なのかい??
∧∧
( ‥)1904年に性的二型が議論になったし、
-□ それは今日でも興味深い、と書いた
その後に3名の人物の紹介があって、
この発言ですけどね。
(‥ )1982年にはコクホウジャクの
性淘汰のレポートがnatureに
載っているんだけどな?
どういうことよ、これ?
死人を鞭打つ。
生きていたら支持しないでしょう。
ああ、、、それはあんたたちのことだ。今、ちょうどあなた方は時代の節目にいる。これから性淘汰の論文が怒濤のごとく押し寄せる時代の前夜だよ。
オスとメスで姿や色、形も違う。これをダーウィンは、主にメスの好みでオスに選択/あるいは淘汰がかかることで現在の形が維持されていると説明した。ライバルのウォレスはこれに反対して、生命力の強いものが淘汰されると派手になるのは必然であると説明した。
∧∧
( ‥)ウォレスさんの致命的なところは
(‥ )生物は絶えず変異を発生させている
(より正確には無数の変異を内在
させている)のに、なぜ一定の
姿を保っていられるのか?
ダーウィンの疑問と課題と
解決策に対して、ついに
それを説明しなかったことだね。
あるいは認識できなかった。あるいは進化論者といいつつも結局は種に本質を見る本質主義者だったのか?
おそらく、育種の現場まで足を運んで実際に観察したダーウィンと、結局は自然界しか観察しなかったウォレスの違いだと思う。おかしなもんで、下層階級出身のウォレスの方が地に足着いていないスタイルだったように見えるのは毎度のことながら奇妙。
∧∧
(‥ )面白いですね、性淘汰の反証に
\- カワリサンコウチョウが使われて
います。
(‥ )性淘汰が働いているのなら
なぜオスの色が2系統あるんだ
という理屈でね。
若い時は赤褐色、年齢を重ねると白になるが、どちらも繁殖しているではないか、メスが選んでいるのならなぜ1つに収束しないのか、という理屈。
∧∧
( ‥)今だとESSとか、そんなような
目で見られるかもしれない
でしょうに。
( ‥)持っている仮説が違うと、
-□ へへっそんなことあるわけ
ないじゃん、が、おっ、これは
もしかして論文のネタか!!
になるってわけだ。
ESS:進化的安定戦略 Evolutionary stable strategy の略。生存し子孫を残して進化するのには当然、最善な戦略があるよー、ということ。もちろん、1つとは限らず複数ある場合もある。時に、進化は適者生存というが、見よ、異なる形のものが共存しているではないか!! 生存競争は間違いだ。と絶頂に主張する人がすがりついているのが実はこれだったりする。
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( ‥)最善策は1つではありませんよと。
道は探せばあるってことですね。
(‥ )それにしても同じ物を見ても
持っている仮説次第で
見方が違う。当たり前だが
おっかないよねえ。
確かに僕らは手持ちの仮説でしか世界を眺められず。その仮説がダメだとネタまでゴミに見えてそれでおしまいだ。