自己紹介

イラストレーター兼ライター 詳しくはhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili あるいは詳細プロフィール表示のウェブページ情報をクリック

2015年2月28日土曜日

それは単に数と割合の話だよね

 
 ∧∧
(‥ )イラストレーターは
\‐  どうして
    漫画家さんより
    収入が少ないの?
    という話題
 
  (‥ )単純に言えば
      描いてる枚数の問題だろ?
 
 
 週刊連載の漫画家なら、例えば週に16枚とか描いてる。
 
 
 ∧∧
(‥ )イラストレーターで
\‐  週に16枚の仕事って
    あまり聞かないよね
 
  (‥ )漫画家の方が
      たくさん描いてる
      単純な話よ
 
 さらに言えば、枚数だけじゃない、占有率というか紙面に占める割合の違いでもあろう。
 
 挿絵は文章につける添え物だ。そして、出版社がページあたりに投入できる予算は決まっている。

 だとしたら、挿絵+文章だったら、出版社からの支払いは二人で分けなければいけない。
 
 
 ∧∧
( ‥)良くて半額だね
 
  (‥ )だけど
      漫画家なら総取りだ

 
 もちろん漫画家ならアシスタントに支払わなければいけない金額をそこから工面しなければならぬ。
 
 無論、漫画家は売り上げが桁外れに大きいからアシスタントに支払っても大丈夫なんだ、とかそういう説明もできよう。
 
 だが、考えてみれば論ずるのはそこでは多分ない。
 
 描いている数が少ないだけではない。挿絵は紙面における占有率が低い。これが致命的。
 
 挿絵というのは、漫画で言えば、1ページの一コマだけを漫画家でもないアシスタントでもない、なんかよく分からない人が描いている、そんな程度の占有率でしかないのだ。
 
 ∧∧
(‥ )そんなのにお金を
\‐  払う訳にはいかないよね
 
  (‥ )さらにだな
      そんなものをだな
      必死でちまちまリアルに
      描いてどうするんだ?
      という話なんだよね
 
 占有率が低い。紙面に割ける予算には限りがある。
 
 当然、占有率の低いイラストに支払われる金額は全体のごくわずかとなる。 
 
 そんなものに労力をかけたらどうなるか?
 
 ∧∧
( ‥)死ぬね
 
  (‥ )これは難しい話では
      ないんだよな
 
 これは技術がどうの、芸術性がどうの、感性がどうの、才能がどうの、そういう話ではないだろう。
 
 単に数と割合の話である。
 
 言い換えると、こういう時に理念だ、感性だ、美だ、生き方だ、という話をし始めたら、多分、遠からぬうちにその人は死ぬ。
 
 
 
 

新機軸

 
 ∧∧
(‥ )絶望先生を書いた
 □‐  久米田さんによる最新作
   「せっかち伯爵と時間泥棒」
    5巻で完結したんだね 
 
  (‥ )完結というか
      5巻で第一周目が完
      次回、第二周目に
      ご期待くださいだな
 
 そして6巻へ続く
  
 同じ学年を何度も繰り返すぐるぐる漫画。これは漫画の伝統芸だけど、時間を駈ける主人公が、タイムとラベルして実際にもう一度その一年を繰り返す。つまり、グルグル漫画を意図的に行なう新機軸。
 
 でも残念だけど、その6巻で終わり。つまり打ち切りなのだ。残念至極である。
 
 とはいえ、これはなかなか。
 
 ∧∧
(‥ )この人、あなたより
\‐   少し年上だよね...
 
  (‥ )完結するとはいえ
      40代後半で
      こんな新機軸を
      始めるとは
      チャレンジャーよなあ
 
 
 ∧∧
( ‥)あなたも新機軸をしないとね
 
  ( ‥)このままだと先が無いのは
    ‐□ 明白だからな
 
 とはいえ、今やっていることをまず終えないと、新しいことをしたくても出来ない訳で、かように、物事には順番がある。
 
 ∧∧
(‥ )しかし歳を取ると
\‐   新しいことをする体力を
     失ってしまう
     順番はあれど
     時間はあまり無いね
 
  (‥ )40過ぎて新機軸を出す
      それだけでも驚きだが
      漫画の連載っていうと
      集団作業で
      自分以外の生活も
      関係するわけだろ?
      それでもなお
      新機軸をやれるとは花よ
      
 
 

ひさしぶりの星空だがもう朝だ

 
 起きて外に出てみると、ひさしぶりの星空だった
 
 
 ∧∧ 良く晴れてるね
( ‥)
 ‐( ‥)ああ、でも、
     もう夜明けだよ
 
 星座はめぐり、うみへび座の変光星、うみへび座Rを見るにはもう遅いように思われた。
 
 土星を頭部に冠したさそり座が南天に輝いており、はくちょう座もわし座を上がっている。
 
   
 ∧∧ 星座は夏だね
(‥ )
 ‐( ‥)この季節は天気が悪くて
     星がよく見えないよなあ
 
 予報では、明日はもう雨だそうである。
 
 

2015年2月27日金曜日

そうだ最初は蜂蜜だったのだズブロッカ

 
 のどの痛みは収まったけども、ズブロッカ
 
 つまりこの話の続き=>hilihiliのhilihili: 炎症にズブロッカ
 
 ∧∧
(‥ )でもズブロッカは
\‐  別のお酒の代用だったよね
 
  (‥ )喉に炎症が広がった時は
      ベイリーズ
      つまり
      アイリッシュウイスキーと
      クリームを混ぜ
      カラメルを加えた
      リキュール
      これを使っていたのだ


 このリキュールは甘い。そして17度なのでそこそこ強い。なんというかアルコールとキャラメルを一緒にしたようなもので、のどが痛い時に飲むと調子が良い(....ように主観的には感じる)。
 
 ∧∧
( ‥)でもそのさらに前は
    蜂蜜だったよね
 
  ( ‥)昔、仕事の最中に
    ‐□ ひどい炎症になって
      そうしたら別の
      イラストレーターさんが
      綿棒でのどの奥
      口蓋の内鼻腔近くに
      蜂蜜をぬると良い
      そう教えてくれたのだ
 
 
 しかし、これ、のどに異物を入れるわけで、なんというか、吐き出す反応とでも言うの? あれが起きてしまう。
 
 ∧∧
(‥ )じゃあ蜂蜜を直に
\‐  飲んでしまえと
 
  (‥ )うがいじゃないが
      うがいの要領で
      上を向いて喉の奥を
      濡らすように
      蜂蜜を飲むのだ
 
 これは、別に他の方法でも良いのである。
 
 ヨード系などのうがい薬、つまり殺菌剤を40度程度のお湯と塩で薄めると、なんというか、のどや鼻腔の拒否反応が起きにくくなる。温度が体温に近く、塩が入っていて体液の浸透圧に近いと異物と認識しないのかもしれない。
 
 これでも十分良い。
 
 *ただし、反応しないのでヨードの黒い水が鼻から出てくることになる
 
 以上のようにうがい薬が本当は一番良いのだろう。

 **一応、追記しておくと、うがい薬は飲むのではなく、ほどよい濃度の温かな塩水で薄めて、それを使ってうがいするのである。
 
 一方、アルコールでも個人的にはなんか調子が良くなる。気のせいかもしれないが。
 
 
 ∧∧
( ‥)でも最初は蜂蜜だった
    わけだね
 
  (‥ )ずいぶん前
      10年ぐらい前だな
      そういえばさ
      墓掃除のバイトの時
      風邪をひいたので
      蜂蜜持参で墓へ出かけたよ
 
 墓は数が多い。一見するとなんてことのない広さの寺と墓地でも、数百、数千の墓がある。小僧さんなど、寺に労働力が集まった時代はとうに過ぎた。現在において、寺だけで墓掃除は難儀である。しかも、需要はお盆の前、落葉の季節など、時期に偏りがある。
 
 こうした需要を一手に引き受けた会社が短期のアルバイトを募集するのだ。本業のある人間には都合の良い話で、実際、ある時、出会ったバイトの面々は、カメラマン見習い、日本画家、建築デザイナー、劇団員などであった。
 
 ∧∧
(‥ )そして金を稼ぐために
\‐  あなたは休むわけには
    いかなかった
 
  (‥ )だから墓地の中で
      蜂蜜を飲んでいたわけさ
 
 横須賀の方の墓地だ。横須賀がある神奈川県の三浦半島はプレートが収束する場所だ。隆起した地形が多く、浸食された谷と、浸食で残った丘が連なっている。非常にアップダウンが激しい土地柄だ。そして墓地は、昔から住居には向かない場所、つまり丘の斜面にあった。
 
 暑い季節の記憶があるから、多分、お盆前だったのだろう。7月の終わりぐらいかもしれない。強烈な太陽光、墓地を覆う緑と照り返す葉の反射が記憶にある。暑くまばゆく、ほこりっぽい墓の中で、だるい体と喉に蜂蜜を流し込んでいた。
 
 ∧∧
( ‥)そして今のあなたは
    ズブロッカ
 
  ( ‥)こう、ぐびっとね
    ‐□
 
 
 

      

僕の考えた最強の会社員

 
 僕の考えた最強のモビルスーツ
 
 ∧∧
(‥ )でも実際のところ
\‐  機械を動かすエンジンは
    生み出せる出力に
    限界がある
 
  (‥ )出力と動力に限界があれば
      動かせる重量が決まる
      エンジンの自重
      それを維持する機械
      動力を伝達する駆動系
      全体を支える骨組み
      そして身を守る装甲と
      その重量
      これらがお互いに
      関連しながら決定される
 
 全体のバランスは調整されねばならぬ。単純に言えば装甲が厚ければ安全性は増すが、動きが悪くなる。装甲が軽いと動きはよくなるが、安全性は低くなる。
 
 ∧∧
( ‥)持ち運べる銃器の重さも
    それで決定される
 
  (‥ )ロボットなんて
      可動部分が多いから
      航空機や車両、艦船以上に
      計算が面倒くさいだろうな
 
 腕を振ったら、そのモーメントが機体をぶれさせるかもしれない。モビルスーツなんてものを発明した奴の頭をかち割りたくなるくらい、計算は面倒に違いない。
 
 *関節を持って動く建築物の構造計算なんてものをあなたはやりたいか?
 
 ∧∧
(‥ )モビルスーツは架空の存在
\‐   でしかないけども
 
  (‥ )だが物語には現実と
      リンクしている部分が
      どうしても必要だ
      そうでないと
      視聴者は
      夢から醒めてしまう
 
 巨大人型兵器なんてもの自体が非合理的とはいえ、例えば出力は無限大で、移動速度は他のモビルスーツの10倍。大出力の火器を持って他のモビルスーツでは対応できない距離から精密に狙ってくる。接近戦においても無敵、ビームサーベルどころか、戦艦のビームが至近で直撃してもはじきかえす装甲を持つ...
 
 ∧∧
( ‥)そんなの面白くもなんともない
 
  (‥ )ご都合主義だからだ
      そしてそれは
      そんなものが現実には
      絶対にありえないからだよ
 
 僕の考えた最強のモビルスーツとは、出力とか重量とか、耐久性とかモーメントとか配分とか、そういうものを全部無視しているのである。
 
 それゆえに、それは架空の世界においてさえも絶対にありえない妄想として視聴者に認識されてしまう。
 
 ∧∧
(‥ )でも
\‐  僕が考えた最強のモビルスーツ
    こういうことを
    真顔で言う大の大人は多い
 
  (‥ )僕の考えた最強の国家
      僕の考えた最強の社会
      僕の考えた最強の政治家
      僕の考えた最強の労働者
      僕の考えた最強の会社員
      僕の考えた最強の若者
      そんなんばっかだな
 
  
 
      

2015年2月26日木曜日

炎症にズブロッカ

 
 
 のどに炎症が広がっているようだ。リンパ腺もやや腫れている感がある。
 
 ∧∧
( ‥)だからお酒
    ズブロッカですか
 
  ( ‥)なんだろうね
    ‐□ 効き目があるんだよな
 
 気のせいかもしれないし、炎症を強いアルコールが”消毒”してくれるのかもしれない。 
 ∧∧
(‥ )消毒は効き目が
\‐  あるんですか?
 
  (‥ )分からん
     とはいえ”効き目がある”
     そう思えることは
     良いことだろう?
 
 別にズブロッカでうがいをするわけではないが、上を向き、のどを焼くように飲んで、仕事をする。
 
 
 

金と時間は異なる単位で単体では意味をなさない

 
 Time is money
 
 ∧∧
(‥ )TimeとMoney
\‐  どっちが大事か?
    そういう話がね
     あるみたい
 
  (‥ )時間も金も
      どっちも単位だろ?
 
 異なる単位のいずれがすぐれているのか? そのような議論は、リットルとメートルのどっちが大事だ? と言っているようなもの
 
 ∧∧
( ‥)比較すること自体が
    無意味ではなかろうか、と
 
  (‥ )そしてこの文脈で
      重要なのは
      時間あたりの稼ぎなのだ
 
 事実、時間と稼ぎ、それぞれ単体では意味をなさない。
 
1日に1万円と1年に1万円は、稼ぎだけで考えたら等価であるが、片方は死ぬ。
1日に10円と1日に1万円は、時間だけで考えたら等価であるが、片方は死ぬ。
 
 ∧∧
(‥ )時と金とどっちが大事か
\‐   それは無意味な議論である
 
  (‥ )逆に言うと議論するとは
      以上のような前提では
      考えていない
      そういうことだろうな
 
 そこまでは分かるが、そこから先は分からない。異なる単位であり、なおかつ文脈上、単体で切り出したら意味を失う単位同士を比較するとは、いかなることなりや?
 
 

2015年2月25日水曜日

時は金なり

 
 Time is money

   
  ( ‥)時は金なり
    ‐□
 
 ∧∧
( ‥)時給のことですか?
 
 
 単位時間あたりの支出が収入を上回ると死ぬ。
 
 これは設定次第ではかなり正確な表現であろう。
 
 ∧∧
(‥ )支出に対して収入が
\‐  少ない仕事をしていると
    本当にね
    やばいことになるからね
 
  (‥ )時は金なり
      重い言葉だよな
      笑うに笑えん
 
 あるいはこう言えば良い? 金は異なるものを計測する単位として用いられる。そして肉体は収入と支出で維持されている。つまり収入と支出は命の動態そのものである。お前の命の動態を金という単位で表記した場合、お前は生きているか? それとも死んでいるか? どちらであるか? 
 
 すなわち、時は金なり。時も金も単位である。それで表記した時、お前は死んでいるか? 生きているか?
 
 
 ∧∧
( ‥)あなたは?
 
  ( ‥) んー
    ‐/ ちょっと死んでるね
 
 
 
 

ラクタンティウスが痛いセカイ系であるという可能性

 
 
 自分の日常と世界の終わりと行く末が密着して、代わりにその中間が抜けている創作。
 
 ∧∧
(‥ )セカイ系って
\‐  おおむねそういう
    感じだと
 
  (‥ )エヴァンゲリオンとか
      セカイ系に
      分類されたりするのな
     
 
 しかし、考えてみれば人間は日常のことしか分からないのである。例えば世界を真っ暗闇の地図だとする。自分が通った道だけが明るく表示されるとする。
 
 そうしたら、自分の世界は本当にわずかな線だけで構成されていることが分かるだろう。
 
 ∧∧
(‥ )なんか最近は
\‐  そういうアプリも
    あるそうですよ
 
  (‥ )僕らは自分が体験できた
      ごくわずかな手がかりから
      世界を推論するのだ
 
 しかも、創作とは大きなテーマに主人公を向かわせるものである。
 
 それを考えれば日常と世界救済がくっついてしまうのは当然だ。人間には自分の居場所しか分からない。そうである以上、日常の先にある実際の仕組みが切り捨てられるのは当然。
 
 そういう意味では、水戸黄門もセカイ系かもしれぬ
 
 ∧∧
( ‥)印籠じいちゃんは
    世界を救済しないけどね
 
  (‥ )でもやってることの
      無茶ぶりは
      同じだろ?
 
 関ヶ原の戦いで勝利して支配権を確立したとはいえ、徳川家は有力諸侯のひとつでしかない。江戸時代の日本は諸王国の連合であって、そこには統治や支配権の独立性がある、法律の問題や、役職の更迭があれば組織上の事務手続きもある。そういうものを全部すっ飛ばしてありもしない強権を発動して、一件落着とか言い出すのだ、水戸黄門はふざけたご都合主義なセカイ系の最たるものだと言える。
 
 これを踏まえれば、セカイ系だけが批判されるいわれはあるまい。日常と希有壮大な問題がくっつきあって、しかも解決がご都合主義とはむしろ創作の基本なり。

 
 ∧∧
(‥ )しかもこういうのは
\‐  人間の考え方自体が
    原因で生じるから
    創作だけの話では
    ないんだよね
 
  (‥ )前にも話題にした
      3世紀後半の著述家
      ラクタンティウス
      この実在の人物も
      発想がセカイ系かもな
 
 彼は同時代の皇帝、最後のキリスト教徒迫害帝であったディオクレティアヌス帝を批判した。
 
 ラクタンティウス自身がキリスト教徒だから当然かもしれないが。彼は帝の四帝統治を、それぞれの皇帝が軍隊を持ったがゆえに、過剰に軍隊が増えたと批判したと言う。
 
 確かにこの時のローマ軍は巨大である。その数、陸軍のみでほぼ39万人だそうだ。
 
 *「ディオクレティアヌスと四帝統治」文庫クセジュ pp109参考
 
 ∧∧
(‥ )日本の自衛隊の定員が
\‐  充足率91パーセントで
    およそ22万6000
    帝の軍隊は陸軍だけでも
    自衛隊を凌駕する

=>防衛省・自衛隊:防衛省・自衛隊の人員構成
   
 
  (‥ )しかも帝国の人口は
      今の日本よりも
      少なかったみたいだしな
      さらにここに
      海軍4万5000が
      加わるそうだ。
 
 つまり帝国軍総数43万以上。自衛隊のほぼ倍だ。
 
 確かに帝の軍隊に近代兵器は無いけども、これほどの軍隊、人件費がかかることは否めない。しかも内燃機関も化石燃料もない時代となれば、すべてを人力、畜力で動かさないとけない。つまり、食料を運ぶために食料を運ばなければならぬ。しかも化学肥料も農薬もなく、品種改良の未熟な時代に、日本よりも人口が少ない状況で自衛隊よりも数の多い軍隊を維持、展開し、作戦を遂行しなければならぬ。
 
 ∧∧
( ‥)もう無茶も良いところだね
 
  (‥ )だがそうせねばならぬのだ

 
 そうしないと、ゲルマン人など様々な敵が帝国内部に侵入してくるからである。単独統治を4人に増やした四帝統治だって、そもそもは帝国を防衛するための措置だ。
 
 ∧∧
(‥ )でもラクタンティウスさんは
\‐  これを批判したんだよね
    皇帝たちが死んだ後の時代
    その想いを
    迫害者たちの死について
    と題して書いた
    四人の皇帝が
    戦線を点々としている間にも
    そういう批判の想いを
    抱いていた
 
  (‥ )いくら相手が迫害帝とはいえ
      帝と兵士たちの
      義務と犠牲で守られた
      平和の中で批判する
      そして
      キリスト教徒で
      あるからには
      神の国の到来を望み
      信じていたわけだろ?
      そうだというなら
      これって最低な意味で
      セカイ系じゃね?
  
 
 ∧∧
( ‥)しかもこれは
    創作ではなく
    まごうことなき事実
 
  (‥ )現実がこれだものな
      セカイ系の創作なんて
      可愛いものよ
 
      
 これはhilihiliのhilihili: セカイ系とは人類の王道ぞ、にわかが否定しちゃいけないなあの続き
 
      
 

2015年2月24日火曜日

プリンキピアはほぼ、文章だけだよね

 
 
 ∧∧
( ‥)例えばの話
 
  ( ‥)そうねえ
    ‐□ 意地悪な話をすると...
 
 ニュートンが万有引力によって惑星の動きを証明した書物、プリンキピア、正式名称 [ Philosophiae Naturalis Principia Mathematica ]、すなわち、「自然哲学の数学的諸原理」
 
 ∧∧
(‥ )これ単純な計算以外は
\‐   数式が出てこないの
     だよね
 
  (‥ )そりゃそうなんだよな
      天体の運動を計算するには
      微分積分が必要だけど
      ニュートンと
      ライプニッツが
      それをこれから
      確立する時代なのだからね
 
 
 つまり、数式や公式を使いたくてもそれがないんである。あるいは未整備なのだ。そういうわけでニュートンは万有引力をほぼ文章で説明した。

 例えばの話
 
 時間を相等しい部分に分けるとし、その第一の時間部分の間に物体は固有力によって直線ABを描くとせよ。その物体は第二の時間部分の間には、妨げられることがなければまっすぐc(小文字)に進み、ABに等しい直線Bcを描くであろう。
 
 これにより中心に引かれた動径AS、BS、cSによって相等しい面積ASB、BScがつくられるであろう。ところが物体がBに達した時、向心力が一撃より強く作用し、物体が直線Bcからそれ、直線BC上を進むように働くとせよ。BSに平行にcCを引き...
 
 「世界の名著 ニュートン」中央公論社 pp97
 
 ∧∧
(‥ )これはケプラーの第二法則の
\‐  証明で
    その冒頭部分ですと
 
  (‥ )ニュートンと言えば
      近代科学の祖とされる
      人なんだがな
      数式や方程式が
      未熟である以上
      彼の論証は
      幾何学で行なわれていて
      実態は
      古代ヘレニズム的な
      ギリシャ数学なんだよね
 
 *ちなみに第二法則の証明が一番簡単である。第三法則の証明はかなり難しい。だが第一法則の証明となると、あれは別格だ。アポロニウスの円錐曲線論もそうだけど、この人たちは頭の出来が尋常じゃない。いかれてる。
 
 まあ、このように科学も数式も論証も、本来、文章だ。
 
 そして文章の形式のひとつとして、数式や方程式が生まれてくることになる。
 
 つまりこれはこの話の続きだ=>hilihiliのhilihili: 方程式とは文章である
 
 ∧∧
( ‥)だから文系は数式に逃げずに
    文章で表現する人々なのだ
    そう言われると
 
  (‥ )そう言われると
      ううん? そうなの?
      そう思っちゃうわけさ
 
 万有引力とニュートンからして文章文字だらけである。
 
 これを考慮すると、文系は文章で考えるのだ、という見解はいかにも怪しい。
 
 ∧∧
(‥ )逆に言うと理系って
\‐  数式だらけって
    イメージがあるんですかね?
 
  (‥ )俺が今読んでる
      遺伝の論文に数式は
      出てこないけどな
 
 とはいえ、当たり前の話だが論理構造はしっかりあるのである。
 
 AがAでなくなると現象Yが起こらない
 BがBでなくなっても現象Yが起こらない
 AがAでなくなった時、そこにBを投入しても現象Yが起こらない

 だが

 BがBでなくなった時、そこにAを投入すると現象Yが起こる
 
 *厳密に言うと転写産物を投入する
 
 ∧∧
(‥ )おそらく現象Yには
\‐  遺伝子AとBが関わっている
    そしてAの機能喪失をBは
    救うことができないが
    Bの機能喪失をAは
    救うことができる
 
  (‥ )ここから考えると
      遺伝子Bは遺伝子Aの
      スイッチを押す役割を
      司っているらしい
      そして現象Yの実行部隊は
      遺伝子Aだ
      そういう結論が出てくる
 
 論理自体に何かを語る力は無い。文法は文章の真実を保証しない。
 
 だがしかし、論理が正しくないと結論は根拠を失う。あるいはこういえばより正確であろう。文法と論理が正しくないと結論は根拠から切断されると。
 
 これもまた事実。
 
 ∧∧
( ‥)数式も方程式も文章である
    そして数式が無い論文もまた
    そこには論理構造があり
    それは可能な限り
    正しさを追求されている
 
  ( ‥)つまり重要なのはな
    ‐□ 数式か文章かではない
      どっちの表現形式を
      選ぶにしても
      その構造が
      きちんとしているかどうか
      そこが要点よな
 
 文系は数式に逃げずに文章を選んだのだ。この主張がどうも怪し気に聞こえるとしたら、多分、原因はここにある。
 
 文章も数式も本来同じものだ。実際、ニュートンのプリンキピアはほぼ文書だけで成立しているのに、それでもなお古典物理学の基礎になっている。
 
 かように、文章も言葉も数式も方程式も等価である。だとしたら、なぜお前は文章の優位性を無条件に誇れるのか? その論証はどうであるか? それが問題になろう。
 
 そしてその問いに主張は答えていないのだ。
 
 

2015年2月23日月曜日

助け合いの精神は差別と表裏一体

 
 人種差別とか人種差別反対とか、どちらも考えてみれば非常に奇妙ものである。
 
 ∧∧
(‥ )人種って存在しないことに
\‐  なっているからね
 
  (‥ )人種は存在しないのだから
      人種差別は間違っている
      そう言う人も
      いることはいるけども
      ごく少数だな
 
 人は人種の存在を信じて差別する。これを人は人種差別と呼ぶ。
 
 だがしかし、実際のところ、存在しない根拠で差別する、という行為は、厳密に言うと人種差別ではない。
 
 それはむしろ認識論的な差別だ。
 
 ∧∧
( ‥)つまり
    認識論的な差別は根拠無し
    そう言うべき
 
  (‥ )でも人種差別反対
      そう言うよな?
      なぜだろうな?
 
 もちろん、存在しない人種という概念で差別することは反対、という意味で人種差別反対を唱えている人もいるだろう。
 
 だがしかし、それだけではありえない。
 
 そもそも認識論が関わる以上、人種差別という言葉には、
 
 お前たちを差別する
 
 俺たちを差別するな
 
 そういう意味がどうしても入ってくる。認識論なら、俺たち、お前たち、という主語なり視点なり帰属意識がどうしても入ってくるはずだ。なぜって認識ってそういうものだよね。
 
 ∧∧
(‥ )つまり人種差別反対という
\‐  言葉にも
    どうしても人種という
    認識が混ざってくる
    そうである以上
    人種差別をする側も
    される側も
    実は認識した人種に基づいて
    行動しているのである
 
  (‥ )つまりなあ
      人種差別反対も
      人種という概念に
      依存しているわけだね
      そして
      そうである以上
      人種という言葉を使うと
      どうしても
      複数の集団の
      単なる利益争いに
      なっちゃうんだよな
 
 つまり、人種差別は、俺たちの利益を守れ、であるし、人種差別反対は、俺たちに利益をよこせ、になってしまう。
 
 これでは、集団Aに属しているのだから能無しの俺でもこの利益を得る権利があるはずだ、という、ただ乗りの発想と区別できない。
 
 これを踏まえた場合、人種差別賛成も反対も、その意味では等価となる。違いがあるとしたら、既得権益を持っているのか、持っていないのか、それだけで、動機は同じだ。
 
 ∧∧
( ‥)むしろ認識論的な差別をするな
    そう言うべき?
 
  (‥ )そう言うべきなんだが
      それを言わない
      つまり
      それを言うと
      困っちゃう奴が多い
      そういうことだろうな
 
 人種は認識論である。ゆえに認識論に基づいた行動は禁止する。テストの点数で判断する。当然、血縁と縁故に基づいた利益の供与も禁止する。それをやったものは差別側、非差別側、いずれでも排除する。
 
 これをやられると、差別する側も差別される側も困るのである。確かにどちらの集団でも少数の優秀な奴は同様に喜ぶだろうし、むしろ優秀なもの同士、お互いに連帯感を持つかもしれない。だが、どっちの集団でもその大部分は駄目な人間だ。そうである以上、ほとんど全員がこれに異を唱えるだろう。いずれの側もそれは同じだ。
 
 ∧∧
(‥ )差別される側も
\‐  必要な概念として
    人種を使う
    そういうことですかね
 
  (‥ )実際そうしないと
      困る奴の方が多いのだ
      それを考えれば
      認識論的な差別はやめろ
      こう言い出さないのは
      当然かもな
 
 
 考えてみれば、人種は存在しませんよ、遺伝的には全人類、どの集団も変異の幅は重なり合って識別などできませんよ、という知識に、だーれも興味を示さないのはそういうことだろう。
 
 ∧∧
( ‥)ようするに
    そんな遺伝学的な知見は
    自分の都合の役に立たないから
    どうでも良いのだと
 
  (‥ )実際どうでも良い話
      なんだよな
 
 人間集団の変異はどれも同じようなものなのに、外見上は区別できる。それはつまり、人間は、ごくわずかな遺伝だけを手がかりに仲間か否かを認識し、自分の帰属を判断して、そして帰属先に便宜を求めようとしているということなんだろう。それは助け合いの精神であるが、助け合いは差別と表裏一体だということでもある。
 
 そして、自分に便宜を図ってくれる帰属先、それが人種だとした場合、人種差別賛成派も反対派も、人種という概念に依存せざるをえない。そしてそれは単なるただ乗りとなって、実力も実績もない、欲にまみれた自分本位のものとなる。
 
 
 
 

笑いの原点はどこにある?

 
 
  (‥ )さっきひさしぶりに
      声を出して笑ったよ
 
 ∧∧
( ‥)ほう?
 
 
 笑うから楽しくなるのか
 
 楽しくなるから笑うのか
 
  
  ( ‥)どっちだろうな
    ‐□
 
 ∧∧
( ‥)そういうことを考えたら
    負けじゃね?
 
 

方程式とは文章である

 
 例えば曰く、文系は理系のように数式に逃げることはない。文系とは物事を数式に逃げることなく、言葉で表現することを選んだ人々である。
 
 ∧∧
(‥ )という意見が
\‐   ありますよ、と
 
  (‥ )数式ってあれは
      文章なんだけどな
 
 例えば、ユークリッドの幾何原論、第2巻、定理6に曰く
 
 ひとつの直線が二等分され、それに直線を加えるとする。その直線を付け加えた全体の直線と付け加えた直線が包む長方形と、二等分された直線の上の正方形とを合わせたもの。これは二等分された直線と付け加えられた直線とで作られる線分の上に出来る正方形に等しい。
 
 ∧∧
(‥ )文面はものすごく
\‐  難解なんですけどね
    言ってることは単純で
  
  (‥ )今風に言うとこれは
      (2a+b)とbの積に
      aとaの積を加えた物は
      (a+b)の平方に等しい
      という内容なんだけども

 
 ようするに幾何原論、第2巻、定理6で述べられ、そして証明されていることは
 
 aa+2ab+bb=(a+b)(a+b)
 
 である
 
 ∧∧
( ‥)これは中学の時に習う
    二次方程式ですよ、と
 
  ( ‥)当時は方程式という
    ‐□ 表現方法がなくてな
      全部文章だったんだよね
 
 というか、何世紀も文章だったのである。ずっと後の世になっても、人々は文章で考え、計算と問題を解いていたのだ。 
 
 そして文章を方程式という形式で書くようになっても、方程式が本来は文章であったという点はまったく変らない。
 
 例えば積分記号のインテグラル” ∫  ”これは和の意味を持つsummaのsを上下に伸ばしたものだ。あるいはギリシャ語のσを伸ばしたものという。
 
 *summa自体はラテン語
 
 **ギリシャ語だとσυμμαδευωで”集める”の意味になる。これをラテンのアルファベットに直すと、summadeyo。ラテン語にはギリシャ由来の単語がかなり入っているのだけど、summaもここから来たものだろうか。
 
 ***ギリシャ語のシグマ(σ)は単語の語尾につくとsに似た形になる。大文字だとΣだ。これも方程式には登場する。
 
 ∧∧
( ‥)ようするに積分記号って
    ”わー”って
    書いているようなもの
    なんだよね
 
  (‥ )考えてみれば
      すごい間抜けなんだよな
 
 しかし、これも方程式が本来文章であることを示すものだ。
 
 そういう意味では文章自体、それは方程式のように考えるべきなのだろう。だって方程式自体がそもそも文章なのだから当然ではないのか?
 
 実際、思うのだけども、発言者がこれこれである、そう述べている時、それに対してかなりトンチンカンな突っ込みを入れる人がいる。
 
 それには色々なものがありうるが、時々見るのが、
 
 突っ込んでいる人間の言っていることが、結局は元々の発言者の発言内容から一歩も外へ出ていない、という場合だ。
 
 もちろん、突っ込みを入れている人間は、あなたはそう言うが、こんなことがあるではないか、と例外の事例を取り上げ、発言者の見解を否定し、あるいは正しているつもりなんである。
 
 しかし、発言者の主張を方程式に例えた場合、その突っ込み内容は、方程式の変数に0が入ったとかそういう特別な場合であったりする。
 
 突っ込みを入れて見解を正しているご本人は鬼の首を取ったかのような有頂天ぶりだが、その内容ときたら、楕円は二つの焦点を持つというが、円にはひとつしかないんですよ! とドヤ顔で決めているような感じだ。
 
 端から見るとお前は単純に読解力が無いだけじゃね? そう思えるような事例である。
 
 ∧∧
(‥ )文章を方程式のようには
\‐  理解していないって
    ことですかね
 
  (‥ )そして
      文章の理解が甘いのは
      方程式が解けないと同じ
      方程式は
      文章なのだからな
 
 
 以上を考えると、冒頭の主張は、文章は方程式と違うだの、方程式よりも文章の優位性をうたいあげるだの、どうにも胡散臭い。
 
 ∧∧
( ‥)要するに?
 
  (‥ )文系って言う割には
      歴史を知らなくね?
 
 
 あるいはこう言えばよいだろうか、文系という割には歴史も文章の理解も軽視していないかと。
 
 
 

2015年2月22日日曜日

セカイ系とは人類の王道ぞ、にわかが否定しちゃいけないなあ

 
 セカイ系
 
 ∧∧
(‥ )主人公という身近と
\‐  世界の終わりみたいな
    希有壮大な遠距離は
    物語で描写されるけど
    その間の社会が描かれない
    そういう作品だそうです
 
  (‥ )ヨハネの黙示録とかかい?
 
 
 
 ∧∧
( ‥)普通にその影響ですかね?
 
  (‥ )人間には日常しかないし
      先のことは分からん
      そして
      世界の終わりって
      一神教のアイデアだろ?
 
 まあそうとも限らないかもしれぬ。北欧神話とかにも世界の終わりはあるから、インド・ヨーロッパ語族の世界観も混ざっているのかもしれない。とはいえ、日本の場合、世界の終わりのイメージはキリスト教だろう。
 
 ∧∧
(‥ )すると元ネタは
\‐  やはり
    ヨハネの黙示録ですか
 
  (‥ )ヨハネの黙示録は
      セカイ系の元祖ですよ
 
 というか、セカイ系というのは、普通の発想なんだとも言える。
 
 近いところでは先に起きた日本の政権交代がそうだろう。
 
 政治家なんか馬鹿だらけ、政治なんか意識さえ高ければ素人でも出来る。
 
 こういう身近な感覚と、理想の世界という遠い世界観だけで政権交代をやってみたら大失敗。
 
 ∧∧
(‥ )現実の手続きという
\‐  まさに中間が
    抜けていたんだね
 
  (‥ )これをセカイ系と
      呼ばずになんと呼ぶ?
 
 もっとひどい例はイラク戦争だろう。現実の政治という視点を欠いたまま、悪い独裁者をやっつけるんだ、民主化すればなにもかもうまくいくんだ。そういって攻め込んで、猛烈な犠牲者を出して逃げ出して、そうしたらもっとひどいことになってダーイッシュだのなんだの出てきて大混乱。再び陸軍を投入しようか?? と言い出す始末。
 
 ∧∧
( ‥)現実の手続きがね
    抜けていたね
 
  (‥ )ほらセカイ系だ
 
 セカイ系を見てご覧なさい、若者は近いことと遠いことしか分からない。そういう論評もあるが、それは嘘だろう。
 
 誰も中間のことなんか分かっちゃいないのだ。
 
 ∧∧
(‥ )そしてセカイ系には
\‐  長い長い創作の歴史が
    ありますよと
 
  (‥ )伝統芸ですよ
 
 セカイ系は人類の王道ぞ。100年程度のにわかが否定しちゃあいけないなあ。
 
 
 
     

腕はどこまで伸びる?

 
 ∧∧
(‥ )ギリシャの経済危機って
\‐  いつもの話で
    何も変わってなくて
    俺たちはEUを
    離脱するぞー
    そうしたら
    お前らも破綻するぞー
    そう言っては
    譲歩を引き出す感じ?
 
  (‥ )なんか平常運転で
      飽きたよなあ
 
 ところで、今、ISIL、あるいはダーイッシュがシリア、イラクから長駆してギリシャを襲った場合どうなるの?
 
 ∧∧
( ‥)ちょこちょこしたぐらいじゃ
    どうにもならんのでは?
 
  ( ‥)遠いものな
    ‐□ 異国だものな
      無理だよな
      それともこの発想自体が
      間違っているのか?
 
 
    

自分をビリヤードの球であるとする

 
 駅で聞く人身事故のニュース。自分が使う路線には関係ない。そうして電車に乗って家に帰る車内の中でふと考えた
 
 自分がビリヤードの球であったとする。ただし重さはこのままで、それに見合った大きさであったとする。
 
 ∧∧ どのぐらいの大きさかね
( ‥)
 ‐( ‥)まあゲームに使える
      大きさではないなあ
 
 
 そして線路上に人がいる。相手も球であると考える。どっちも大人、重さも同じだとする。
 
 さらに両者共に限りなく完全に近い剛体だとする。
 
 電車の速度で移動する玉である自分が相手に当たったらどうなるか?
 
   あなたは止まって
 ∧∧ 相手はすっ飛んでいくね
( ‥)
 ‐( ‥)存在するのが
     自分だけなら
     そういうことになるな
 
 だが実際には違う。車内には何百人、あるいはそれ以上の人間がいる。
 
 さらに車両はそれよりもずっと重い。1両30トンだとしてもそれだけで70キロの人間430人分だ。
 
 つまり実際に起こるのはビリヤードの球というほぼ同じ質量の衝突ではない。ここで起こるのは何千:1という質量差がある物同士の衝突である。
 
 これを考えた場合、さて、どうなるか?

   電車側からすれば 
 ∧∧ 何も感じないよね
(‥ )
 ‐( ‥)以前、先頭車両に
     乗っていた時に
     人身事故があったけど
     実際
     何も感じなかったよな
 
 音も衝撃もない。
 
 考えてみれば当たり前だ。電車の前の人間なんて、振ったバットに当たる虫も同然である。フロントガラスに当たって破壊が起こるとかならともかく、そりゃ何も感じないだろう。
 
 そして両者が限りなく剛体に近い場合、小さな方は遠くへすっ飛んでいくだけだが
 
   実際には破壊が
 ∧∧ 起こるよね
( ‥)
 ‐( ‥)運動エネルギーの
      ほんのわずかでいい
      破壊へ変換されたら
      死ぬよなあ
 
 飛び降りの場合、その破壊力は重力加速度と人体の重さだけだ。死に切れないことがあるとはうなずける話。
 
 それに対して電車のエネルギーは、文字通り桁違いに大きい。
 
   確実に死ぬ手段として
   電車を選ぶ人は
 ∧∧ 多いみたいだよね
(‥ )
 ‐( ‥)合理的な選択だけどさ
     迷惑なんだよねえ
 
 以前、人と落ち合うために急いでいる時、まさに人身事故が起こって、電車が一時、止まった。
 
 くそがあ、死ね、この野郎、と思ったものだが
 
   すでに死んどるがな
 ∧∧
( ‥)
 ‐( ‥)思うのだがな
      死んだ本人は
      あんな姿になることを
      望んだのか?
 
 思い出すのは、かけられた毛布の向こうに見えた血の気の無い、男か女かも分からぬ薄汚れた腕である。いや、あれが人間本来の皮膚の色なんだろうか? マネキンなどの人工物ではない、均一なプラスチックや塗料ではない。もっとディテールのある色だ。CGに本物らしさを出すため使う、意図的でカオス的な効果を思わせるものである。そんなものになる。
 
 本人は、ああいうのを本当に望んだのか?
 
 あれが望みの結果か?
 
   死ぬ人が死んだ後のことを
 ∧∧ 考えるのですかね?
(‥ )
 ‐( ‥)死ぬ理由はあったのだな
     でもその後のことを
      考える理由はないよなあ
 
 それを思うに、電車を遅らせるなよ馬鹿野郎、一人で死にやがれ、そう怒る方が正常なんである。
 
 世界で起こる悲惨のひとつひとつを考えている余裕は誰にも無いし、そんなことをする必要性もないし、そもそも人間はそのように設計されていないだろう。
 
 確かに、人身事故に怒る人々の方をこそ、異常とののしる感受性の強い人もいるが、それを言う彼らも、悲惨のすべてにかける声などもってはいまい。

 

ロジカルシンキングはあまりにも見苦しい

 
 ∧∧
( ‥)つまり?
 
  ( ‥)ロジカルシンキングとか
    ‐□ 論理的思考とか
      論理とか
      ああいう主張の何が
      いけないって
 
 例えば得意げに、論理だロジカルだ、今の若者は漫画ばかり読んでどーのこーのと演説している相手に
 
 じゃあ、昨日のあなたと今のあなたが同一であることを証明してください
 
 そう聞くと、彼らは答えられない。
 
 ∧∧
(‥ )怪訝そうな顔をしてから
\‐  馬鹿なことを聞く奴だな
    という風で
    話を変えたりしますよね
 
  (‥ )処世術としては正解だ
      論理で答えることが
      原理的にできない
      質問だからな
 
 処世術としてはそうやってしらばっくれるのが上策である。
 
 当然、それは答えではないが、こう言う時、最善の解答は無視することだ。だって原理的に答えられないのだから。
 
 しかしである、これがもう少し不注意な奴だと、思わず答えてしまうのだ
 
 そんなの当たり前でしょ?
 
 そういう時にはこう尋ねる。
 
 数学のテストで三角形の内角の和は180度であることを証明せよ、そう問われた時、あなたは回答欄に、そんなの当たり前でしょ、そう書いたのかい?
 
 ∧∧
(‥ )そこで話題を変える人も
\‐  いるよね
 
  (‥ )処世術としては
      逃げがまあ速い方だな
      最初っから逃げる奴より
      不注意だがね
 
 
 だがもっと不注意で間抜けな奴は答えてしまうのだ。
 
 これは実学の話です、数学のような実学から離れた役に立たない世界の話ではありませんよ??
 
 ではこう聞こう。あなたの言う論理や証明ってなんだ? 
 
 ∧∧
( ‥)答えられませんと
 
  (‥ )そりゃあ無理だ
      世間の一般
      僕らが
      日常行なっている動作
      これらのほぼ全部
      論理じゃないからね
 
 あるいはこうも言えよう。いくら論理的な風を装っても、それは思いつきに後付けしているだけで、思いつきそれ自体を証明したわけではない。
 
 そして思いつきは証明できない。
 
 ナポレオンのことを書いた本があるのだからナポレオンは実在したのだろう
 
 昨日も今日も朝が来たから明日も朝日が昇るだろう
 
 昨日の自分と今日の自分は間に睡眠や忘却による断絶があるとしても連続体であり、同一であると扱って良いだろう。
 
 これら一見して自明にして当たり前のこと、この全てが論理的にはまったく正当化できないただの思いつきでしかない。
 
 そうである以上、証明なんて出来ないのだ。
 
 ∧∧
( ‥)そういう意味でいうと
 
  (‥ )ロジカルシンキングってさ
      あれは信奉者には悪いけど
      馬鹿向きの与太話なのよね
 
 残念ながらそうなのだ・
 
 ロジカルに考えようと大真面目に言ってる時点で、どんな本を読んで、どんな本を読まなかったのか大体分かってしまうのである。
 
 少なくとも論理と言いつつ、論理の本を読んだことがないこと、それは分かる。
 
 だがこう言うと彼らは激怒する。
 
 あなたは暇だから本を読むかもしれないけど、僕らは忙しい仕事の合間に一生懸命勉強しているんだ!
 
 ∧∧
(‥ )それって論理なんすかね?
\‐
 
  (‥ )ただの見苦しい
      言い訳だろ?
 
 何が見苦しいって、以上のように見苦しく反論し、まくしたてているご本人がである、ついさっきまで漫画とかラノベしか読まない馬鹿な若者、とか意識低い負け犬とか、言っていたということだ。
 
 あきらかに他人を馬鹿にしていたではないか。
 
 論理を論ずる俺様素晴らしいと、馬鹿面で、得意げに述べていたではないか。
 
 それが痛いところをつかれたら、途端にこの有り様である。
 
 ∧∧
( ‥)そしてみなさん
    そうであったと
 
  (‥ )全員そうであったな
      論ずる価値無し
 
 痛いところをつかれたら検討すれば良いだけだ。それでまた前進すれば良い。
 
 しかし彼らはそれができない。
 
 ∧∧
(‥ )ゴールにたどり着いた
\‐  つもりでいた
    そういうことですかね?
 
  (‥ )登頂に成功した万歳!
      そうやって有頂天でいる時
      そこ山頂じゃないから
      そう言われた時
      人間の反応は二つだろうな
 
 一瞬がっかりして、それから歩き出すのか
 
 あるいは
 
 怒り狂って話を聞かなかったことにするか
 
 ∧∧
( ‥)どっちの方が良いのでしょうね
 
  (‥ )さあ?
      それは本人の
      立ち位置次第じゃね?
 
 例えばみんなで登頂パーティーをしてるのなら、そのままそこにとどまれば良い。実際、もっと先がありますよと誘われるままにいったところで何も無いだろう。
 
 だがこの選択には影響力があるのだ。
 
 人間は思いつきに後付けで理屈をつけてそれで良しとする。つまり、論理を重視するロジカルシンキングとはこれを純粋に体現したことだ。
 
 なればロジカルシンキングとは壮大な自己正当化となっているだろう。そしてそこが山頂パーティーの場なら、ロジカルシンキングとは自己正当化パーティーに他ならぬ。
 
 確かに確かに、彼らは言ったではないか。
 
 漫画やラノベを読むなど馬鹿のすることだと。
 
 若者はだから駄目なのだと。
 
 これは裏を返せば、俺すごい、ということだ。彼ら自身が言ったのだ。彼ら自らが証拠なのだ。 
 
 事実、彼らはこう反論しなかったか? 

 頑張っているんだ
 
 事実、それは論理でもなんでもないよね? そう問われた時、彼らはこう返さなかったか?
 
 俺たちは頑張って仕事しているんだ!
 
 こんなものが論理か? こんなものが論理だというのならロジカルシンキングとはやはり、薄っぺらな自己正当化ではないか。
 
 そして自分を正当化するとは他人の話や要望や状況を聞かないということである。
 
 なればそのような人々が経営者になっている会社や社会は、さてどうなるだろう? 彼らは言葉を重視して、そして何を売り払ってしまうだろうか? そしてその結果はどうなる?
 
 それとも、この状況がすでにその答えなのか?
 
 さあ、どうであろうか
 
 
 これはhilihiliのhilihili: 考えてみれば商談に言語は必要ないよねの続き
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年2月21日土曜日

考えてみれば商談に言語は必要ないよね

 
 150年前、西欧列強の躍進に直面した時、西方イスラム世界の大国、オスマン・トルコ帝国と、東方アジアの島国である日本はそれぞれ同じような対応を余儀なくされた。
 
 ∧∧
(‥ )でも明治維新後
\‐   列強のひとつに
    まがいなりにも躍り出た
    日本に対し
    オスマン帝国は
    衰微を止められず
    ついにWW1以後崩壊してしまう
 
  (‥ )それに関して
      昔、こんな論評を
      読んだことがある
 
 オスマン帝国は異民族、異教徒が混交する大国であった。帝国の官僚や外交官は複数の言語を自在に使いこなし、西欧世界の言語にも堪能であった。
 
 しかるに日本の官僚はそこまで言語に堪能ではなかった。
 
 ただ、日本の官僚には農学や工業などに関して知識を持つものがいた。オスマン帝国の官僚は、そうではなかった。
 
 ∧∧
( ‥)うろ覚えだけど
    こんな話であったと
 
  ( ‥)うろ覚えだが
    ‐□ 納得させられる
      話ではあるな
 
 言葉は通訳がいれば良い。だが技術はそうはいかない。
 
 例えばの話、技術書を読むために英語を使う、ということはありえても、英語が堪能だから技術書が理解できるわけではない。
 
 それは世の中の理系の翻訳本で、時々、トンデモ馬鹿翻訳があることを見れば分かること。いくら英語が堪能でも単純な専門用語からして誤訳しているようでは話にならぬ。そもそも母国語ですら理解出来ていない概念や知識を英語で理解できるわけがない。
 
 ∧∧
(‥ )でも残念だけど
\‐  日本って技術立国では
    ないんだよね
 
  (‥ )今日は電車で
      英会話教室の広告を見たよ
 
 考えてみれば技術者になろう、という広告は無い。いや、無いわけではないが、少ないのだ。少なくとも技術者の育成が望まれているとか、技術者になれば箔がつくとか、収入が上がるとか、そう思われているわけでないことは明らかである。
 
 ∧∧
( ‥)単純に工業化社会の技術は
    あまりにも専門化
    高度化していて
    それを身につけるよりは
    英語をしゃべるほうが
    簡単だということかも
 
  ( ‥)まあ、ものすごく単純な
    ‐□ 英語でも
      通じることは通じるからな
 
 とはいえ、社内用語を英語にするとか、そういうことをする人々がいることからすれば、結果的に技術が軽んじられてることはあきらかだろう。
 
 そしてまた英語さえしゃべれればどうにかなる、そう思っている人々が多いこともまた事実だろう。
 
 ∧∧
(‥ )日本は技術立国などではない
\‐  むしろしゃべりで
    商談をまとめようと
    考えている
 
  (‥ )だけどよ
      売る物が無ければ
      商談なんか
      まとまらんのだがな
 
 考えてみれば沈黙交易という言葉があるように、商談には言葉すら必要ない。だとすれば、言語と技術と、どっちが重要であるか、それは明らかだ。
 
 そして英語にせよ他の言語にせよ、無駄に語学を重視した行く先がどうなるのか、それもまた明らかだろう。
 
 ∧∧
(‥ )売るものなくなるよね
\‐
 
  (‥ )商談も無理になる
      そういうことだ
 
 
 *沈黙交易:例えばある場所に品を持っていって置いておく。翌日、自分が用意した品の近くに別の品物が置いてある。それでよければ相手が置いた品を持って帰る。足りないと思ったらそのままにする。そのままにした場合、翌日、品が増えているか、あるいは品物が変えられている。それに満足したら持って帰る。自分が相手の品を持って帰ったら、相手も交易が成立したと判断して、こちらが置いていった品を持って帰る。会話することもないし、お互いに顔を見せることもない。

 
 

2015年2月20日金曜日

ああ、これは明らかに商機ではないね

 
 毛むくじゃらのティラノサウルスはデマ。ティラノサウルスが走れなかったは嘘、ティラノサウルスが死肉漁りだというのも嘘。
 
 ∧∧
(‥ )先日なんかで見たし
\‐  ちょっと話題にした件だね
 
  (‥ )そうだねえ
 
 ∧∧
( ‥)みんな恐竜に興味あると思う?
    これは商機だと思う?
 
  (‥ )いやあ明らかに
      違うでしょ
 
 
 ティラノサウルスに毛はあった? 
 
 =>派生的な肉食恐竜は羽毛を持っていたし、仲間の原始的なものには羽毛があったから、ティラノサウルスも羽毛を持っていたと考えるのが妥当。ただし、大型化したので少なくとも大人は二次的に羽毛をほとんど失っていのでは?
 
 直接証拠がないのに羽毛を描いて良いの?
 
 =>それが駄目なら肉も描けません。頭部の見つかっていない恐竜は、頭部にモザイクかけなきゃ駄目だけど、それで良い?
 
 ティラノサウルスは走れなかった?
 
 =>走れません。走れた、と主張する研究者がごくわずかいるけども根拠がほぼ皆無か、クリアすべき問題をクリアしていないので仮説として採用できない。あの論文はげろげろ。
 
 ジュラシックパークみたいな動きは不可能?
 
 =>あれを走っていると言いません。言い換えると、本当の動きはあれをもう少し重々しくした感じでは?
 
 ティラノサウルスは死肉食?
 
 =>それを主張する人はいることはいるけども、ハンターという解釈が一般的。むしろ、非常に活動的なハンターであったという状況証拠はあります。
 
 
 ∧∧
(‥ )こういうことを書いても
\‐  売れませんと
 
  (‥ )いやだって
      こういうことは全部
      すでに
      本に書かれていること
      だからな
 
 
 つまりである。羽毛を持ったティラノサウルスはデマだった! なっ! なんだってー?? という反応を見た時、
 
 そうか、なぜ羽毛を描くようになったのか、その根拠を知らない人がこんなにいるんだ。だとしたらこれはチャンス、みんなの疑問を氷解させる本を書けば売れるはず!
 
 ∧∧
( ‥)などということは
    ありませんと
 
  (‥ )だって買って読んでないから
      知らんのだろ?
 
 
 すでにあるものを知らんのである。だったら商機になるわけなどなかろう。
 
 
 ∧∧
(‥ )あなたは恐竜の本を書く予定も
\‐  あるんだけども
 
 (‥ )やれやれ
     またもや
     売れない本になること確定か
     気がめいるけども
     しょうがないね

 
 本人たちはそうは思っていないのだろうけども、恐竜の本も情報も、自分たちはそんなもの買わないし見たくもない、そう大声で言っているのとあれは同じである。

 
 ∧∧
( ‥)今書いている原稿からも
    恐竜の記述はばっさり
    削除ですか
 
  ( ‥)別にこれのせいじゃないが
    ‐□ 削除できるものは
      削除して詰めた方が良い
 
 実際、そんなことより重要な説明事項がわんさとあるのだ。氷河期、同位体による古水温の推定、水の蒸発に従う同位体の偏りとその影響、世の中にはまず理解せねばならぬことがある。
 
 
 
 

コーヒーに大宇宙を見る猿はさすがに希有壮大だ

 
 自然淘汰は良いものを選び出すのではなく、悪いものを摘み取る作用だということになる。つまり良いものなどどこにもない。ダーウィン進化論が根本から変わる!!
 
 ∧∧
(‥ )...だそうです
\−
 
  (‥ )ああそれは
      安定化淘汰の話だよな
 
 遺伝子は同じ機能を果たすものでも構造が少しずつ違う。つまり変異がある。変異をイ、ロ、ハ、とする
 
そして条件Aにおける相対評価で
イは100
ロは80
ハは60

であったとする
 
 ∧∧
( ‥)ここから淘汰が
    スタートしました
    数世代後どうなって
    いるでしょうか?
 
  (‥ )全部がイだけに
      なっているよね
 
 もちろん、これは外見だけの話である。大部分はイだけになっているだろうが、メンデル遺伝によってロもハも隠されて、数こそ少ないが存在しているだろう。そして、変異で新たに生じるにしても、あるいはホモ接合で発現するにしても、ロやハはぽつぽつと現れるだろう。
 
 ∧∧
(‥ )でも不利だから
\−  やがて消えてしまう
 
  (‥ )相対評価でイが
      最高点をたたき出す限り
      これは変わらない
 
 これが安定化淘汰。つまり最高点がすでに決定したので、そこから外れる変異がすべて負けて消えてしまう状態。
 
 これを踏まえて先の文章、つまり

 ”自然淘汰は良いものを選び出すのではなく悪いものを摘み取るだけだ、良いものなどどこにもないのである”
 
 を読み直せば、その内容が破綻していること、容易に分かる。
 
 不利なものが摘み取られている時点で、有利なものが選ばれているのだ。
 
 そもそも、悪いものが排除されているのなら良いものはない、この主張が間違っているのである。だって、この論法が正しいのなら、不良品をはじくだけなのだから、この工場の製品に良いものはない、そういうことになってしまうだろう。
 
 もちろんこれは間違いだ。
 
 ∧∧
(‥ )そして安定化淘汰を最初に
\−  言い出した人って
    ダーウィンさんなんだよね
 
  (‥ )淘汰のせいで
      ある一定の形から
      出ることが
      できない生物がいる
      そういうことを進化の
      論証に使ったからな
 
 例えば”生きている化石”がそうであった。生きている化石という言葉を発明したのはダーウィンであって、彼は生きている化石を自然淘汰の論証に使った。なぜかというに、生物が変化しないなど本来あり得ないからである。
 
 生物には次々に変異が生じてくる。つまり、生物とは本来、固定された存在ではないのだ。水のように一定の形を自力ではとどめることが出来ない存在。それが生物である。しかるに長い地質学的な時間において変化しない種族がいる。それはつまり、何らかの力、つまり淘汰圧によって、その生物が閉じ込められていることを示す。それは自然淘汰の存在を論証するであろう。
 
 ∧∧
(‥ )そしていざ状況が変われば
\−  すべてが変わる
 
  (‥ )状況はAからBになった
      そうしたら相対評価は
      イが80
      ロが70
      ハが100になった
 
 そうなれば淘汰はハを選び出す方向へ動き出す。それだけの話。
 
 それにしても思うに、人は進化論に様々なものを見いだす。
 
自然淘汰と聞けば優秀な人間が正しいのだ、種族を劣化させる弱者を排除するのは社会の義務だ、俺の使命だと勘違いする。彼の自然淘汰は実際には自分の主観である。

あるいは、状況によって淘汰も有利不利も変わると聞けば、じゃあ弱者保護は遺伝的多様性を残すために遺伝子が命じた種族の特性なんだね? 今度は優生主義者と真逆で、しかし似たような暴力的な道徳へと昇華させる。ファシズムを嫌っている人間が道徳的で善意に満ちたファシストになる瞬間だ。ミイラ取りがミイラになった。
 
あるいは安定化淘汰を見れば、悪いものをはじいているだけではないか、良いものなどどこにもないのだ、自然淘汰は間違いなのだと有頂天になる
 
 まるでコーヒーのしぼりかすに宇宙と運命を見るコーヒー占いのように、人は進化論から勝手に色々な意味を汲み取り、そこに暴力や道徳や使命感や、あるいはありもしない破綻を見つけ出す。
 
 ∧∧
( ‥)さすが宗教を信じる猿
 
  (‥ )すげえだろ?
      どんなくだらない
      ことからでも
      勝手に霊感を得るのだよ
      これが我々人類の力だよ
 
 ああ、ただし、残念ながら僕らが受ける霊感のほとんどはスカだ。
 
 それは、誰もが経験的に知っていることであろう。
 
 
 
 

2015年2月19日木曜日

論理的なら論理的に運用されると思ったら大間違いだ

 
 ∧∧
( ‥)なに?
 
  ( ‥)英語は論理的な言語だ
    −□ そうドヤ顔で言う奴は
      いっぱいるけどよ
 
 じゃあなんでイギリス人のイギリス英語はもってまわったような、無駄に難解な表現になるんだい?
 
 ∧∧
(‥ )言語が
\−  主語・動詞・目的語
    順番は固定
    活用もほぼ固定
    そこまで規定化しても
    人間やることは同じだ
    そういうことだよね
 
  (‥ )論理的だから
      論理的に運用されると
      思ったら大間違いだ
 
 あるいはこういう疑惑を持つことも出来よう。英語を論理的な言語だ、素晴らしい! と感動する人はイギリス英語でない英語を読んで感涙にむせびいているのではないかと。
 
 
 

自分が自分である以上、宗教を否定することはかなわず

 
 多分、ホモ・サピエンスは、根拠の無い思いつきに強烈な執着を持って固執する、そういう種族なんだろう。
 
 ∧∧
(‥ )だとすると
\−  人間の推論過程のほとんど
    つまり
    思いつきに
    理屈を後付けする
    この行動も
    そういう固執と妄執の
    例なのですかね?
 
  (‥ )かもしれないな
      他の動物で
      こういう動作が
      あるかどうか
      それはちょっと
      分かりかねるが
 
 とはいえ、少なくとも言えることは
 
 昨日の私と今日の私は同一の連続体である
 
 とか
 
 昨日も太陽が昇った、今日も太陽が昇った、なれば明日も太陽が昇るだろう
 
 こういう根拠不明かつ論理では正当化できないような推論は、根拠無き固執でないと成立しないし、正当化できないだろうということだ
 
 ∧∧
( ‥)つまり自分が自分であると
    主張するのは
    宗教と同じ?
 
  (‥ )まあそういうことじゃね?

 
 実際、
 
 お前は誰だ? 私は何々です。それを証明できるか? これが免許証です。それは本物か? 本物だとしても免許証の存在はお前がお前であることを証明できるものだろうか? それは真実の証明であろうか?
 
 そう問われると困るのである。
 
 そもそも世間の人が言う証明という言葉はあまりにもずさんなのだ。例えば、三角形の内角の和が180度であることを証明せよ、と問われた時、教科書にそう書いてあります、国が認めています、などと答える奴はいない。いても点数はもらえまい。つまり、免許証があるから私は本人ですという主張はそもそも証明ではないのである。だが私たちは事務的にはそれで良しとするし、哲学的な議論には興味を示さない。
 
 ∧∧
(‥ )言い換えると自分が自分である
\−  この推論は論理的には
    正当化できない飛躍だし
    そしてそれでよいのである
    そして
    みながそう思っている
 
  (‥ )つまり宗教と同じだし
      それで良いのだ
      それで十分なのだ
 
 そしてこの立場で考えると宗教を一律に否定することはできなくなる。
 
 少なくとも、証明されていないものを根拠が無いまま信じているなんておかしい! と否定することはできない。
 
 ∧∧
( ‥)そんな否定をしたら
    自分が自分であると
    考えることすら
    できなくなるよ
    と
 
  ( ‥)宗教的な遺物をほとんど
    −□ 持たなかった
      ネアンデルタール人は
      自分のことを
      どう認識して
      いたのだろうな?
 
 彼らが世界をどう認識していたのかは知らぬし、それを論じた論文もしらぬ。もちろん、自分が知らないからそんな論文は存在しない、ではないけども。とはいえ暗示的なのではある。ネアンデルタール人はついに投槍器や弓といった飛び道具を発明するには至らなかった。
 
 つまり、弓や投槍器は根拠無き妄執が無いと成立しない、そういうことなんだろう。

 考えてみれば、木材に丈夫な紐を張れば槍をもっと遠くまで飛ばせるんじゃね? という発想は完全にいかれている。
 
 ∧∧
(‥ )弓を発明できなかった
\−  ネアンデルタール人は
    あなたたちより
    まともな人たちだったの
    でしょうね
 
  (‥ )たぶん、俺たちは
      気が狂ってるんだ
      少なくとも
      ネアンデルタール人から
      見れば
      そうだったのだろうな
 
 なれば、宗教は狂っているというのなら、それを言うお前も狂っているのだ。そもそも狂える猿、それがホモ・サピエンスなのである。人間は生物である。機械ではない。しかし近似的に言うのならこうだ。狂っていないのならお前はもはや人間ではない。
 
 そしてそうでなければならぬ。宗教と同様の妄執がなければ、私たちは私たち自身ではいられないし、自分が自分であると考えることもできない。


これはhilihiliのhilihili: 宗教を信じることはホモ・サピエンスの種族的な特徴
 
 
 
 

宗教を信じることはホモ・サピエンスの種族的な特徴

 
 有神論者と無神論者は等価である。そういうことを言うと、何を馬鹿な、双方怒りにかられて反論するであろうか?
 
 ∧∧
( ‥)あなたとしては?
 
  (‥ )人類の歴史440万年
      幾つもの種族が現れ
      そして消えたが
      たった一種類だけ
      宗教的な遺物を豊富に
      残してきた種族がいる
      それが僕ら
      ホモ・サピエンスだ
 
 宗教を信じるのはホモ・サピエンスの種族的な特徴と言って良いのだろう。
 
 ∧∧
(‥ )あなたたちには
\−  そういう遺伝子が
    組み込まれているのだね
 
  (‥ )たぶんなあ
      根拠も無く
      何かに固執する性質だと
      思うのだけどね
 
 なんでそんなことを思うのかというと、宗教を信じる人間は当然として、宗教を信じないでそれを頭から否定する人間もまた、ものすごく固執しているのである。しかも自分では根拠を説明できないまま信じているのだ。
 
 ∧∧
( ‥)不在証明は不可能である
    つまり
    神の不在証明も不可能
    そうであるのに
    神は論理的に否定された
    あるいは
    神は科学的に否定された
    そう信じ込んでいる
 
  (‥ )宗教は非科学である
      これを呪文のように
      繰り返す訳だ
      これって宗教と
      根っこは変わらないよね
 
 ∧∧
( ‥)というよりも
 
   ( ‥)人間の本質がここにある
     −□ そう考えるべきだろうな
 
 根拠もないのに何かに固執する種族。それが440万年の進化の過程でたった一回だけ生まれてきて、そしてそれだけが残った。
 
 ここでは、時々、宗教者が言う、無神論は無神論教である、という皮肉は放っておこう。
 
 無神論教であると揶揄しても、宗教者は所詮のところ宗教者でしかない。宗教者は無神論も異教のひとつとして敬意をもって扱おう、なんて言ったりはしない。そう言う人がいるにしても見たことはない。つまり、いても観測にかからないくらい数が少ないということだ。
 
 宗教者の言う、無神論教、などという言いようは、所詮は揶揄だ。
 
 彼らは他人の脳の中をのぞきこんで、それを無神、冒涜、野蛮と罵るが、同じものが自分の脳内にあることには目を向けぬ。自分の脳を鏡で見たくないのだ。

 当然、無神論者も同様である。
 
 なればいずれにせよ、そのような言葉、論ずるに値せず。
 
 無神論者も有神論者も、相手の心をゆがんでいると否定するが、同じ特性が自分たちの脳にあることには目を向けぬ。
 
 ∧∧
( ‥)あなたがたは全員
    ホモ・サピエンスだ
 
  (‥ )ホモ・サピエンスは
      生物だ
      一律な機械ではない
      だがそれでも
      この根拠無き一律な固執は
      強烈なメッセージだよな
 
 すなわち、我ら神を信じる猿。
 
 ∧∧
(‥ )進化的に言うと
\−  少なくとも有利だった
    そういうことなんでしょうね
  
  (‥ )確かになあ
      人間が初期に作った道具に
      投槍器というのがあるけど
 
 
 これ、原理はものすごく単純で、作るのも簡単だ。少なくとも形だけならそうである。ちょうど良い枝を折ればすぐにできる。
 
 ∧∧
( ‥)だけどこれが難しい
 
  (‥ )熟練すれば強烈な武器に
      なるんだけどね
      これが難しいのだわ
 
 思うに、あんなものを作り出してそれを効果的に使うには、理屈では正当化できない、無意味で強烈な執着がないと不可能だろう。
 
 しかしその効果は絶大であった。飛び道具を手にした人類に対応できる動物などアフリカ以外におらず、1万年前までには、ほぼすべての大陸から大型動物が抹殺されてしまうのである。
 
 
 

2015年2月18日水曜日

有神論者と無神論者は等価

 
 イスラーム教徒の人と話をしていたら、その場にいた別の人にこんなことを言われたことがある。
 
 あなたは科学に関する本を書くのに宗教の話を聞くのか? 神は科学的に存在しないんじゃないのか?
 
 ∧∧
( ‥)あなたは言いました
    では神の不存在を
    あなたが証明してください
 
  ( ‥)彼は出来なかった
    −□ まあそりゃそうだな
 
 何かが存在することを証明することは原理的には簡単である。たったひとつで良い、見つければいい。
 
 だが何かが存在しないことを証明することは原理的に不可能だ。1000兆の事例を調べても言えることはただひとつ、1000兆の中に例外はなかった、それだけだ。
 
 1000兆と1つ目、そこにそれが現れるということは当然ありうる。
 
 
 ∧∧
(‥ )彼は科学が神の非存在を
\−  証明できた
    そう思い込んでいたのだね
 
  (‥ )人間はそういう
      根拠の無い
      思い込みがないと
      一歩も前には進めないのだ
 
 だが、科学が実際にしたことはもっと慎ましいものである。神の存在を仮定しなくても物事を説明できる。それだけだ。
 
 ∧∧
(‥ )でもそれだけでも
\−  世界と宗教界に激震を
    走らせることができたのだよね
 
  (‥ )これは実のところ
      信仰者にとってさえも
      神の存在は
      仮説であったのではないか
      その可能性を示唆するが
 
 *その仮説は必要ない。そう言われて激震と動揺が走るとは、神はそもそも実体として信仰されていたのではなく、仮説として認識されていたのではないか、ということを示唆していないか? という意味。
 
 とはいえ、それもこの際、どうでもよいことだ。
 
 以上から分かることがある。神を信仰する者も、神 を否定する者も、実はその根幹は同じであると。
 
 ∧∧
( ‥)根拠がないことを
   ただ信じているにすぎない
 
  (‥ )そう言う意味では
      有神論者と無神論者は
      等価であるな
 
 
 

2015年2月17日火曜日

理屈も感覚も判断の決め手にはなりえない

 
 世の中の物書き、思想家、政治家、コラムニスト、あるいは一般人でも作家でも誰でも、
 
 書いていることは思いつきに後付けで理屈をくっつけただけである。
 
 ∧∧
(‥ )だとすると
\‐  なんかおかしいな
    そう感じる意見でも
    もっともらしく聞こえる
    そういうことになる

 
  (‥ )困ったことに
      その意見自体も
      思いつき
      なんだよな
 
 この意見、何かおかしいな
 
 この思いつきに後付けで理屈をくっつける。するといかにも理路整然とした反論に思える。
 
 ∧∧
( ‥)でもその意見も
    もっともらしいけど
    なんかおかしく感じる
 
  ( ‥)ようするにだ
    ‐□ 何かおかしいよね
      素晴らしい見解だ!
      そういう感覚や
      理路整然としている
      論理が破綻している
      こういう見解は
      判断の決め手には
      ならないってことだね
 
 いや、判断の決め手にはなるのかもしれない。本人はそれに基づいて判断したからだ。
 
 ∧∧
(‥ )でも
\‐  正しい正しくないとは
    関係ない
 
  (‥ )感覚も論理も
      現実については
      何も語ってくれんのだ
 
 考えてみれば当たり前かもしれぬ。これは素晴らしいとか、これはおかしいとか、そういう感覚は人間の脳内で起こっている出来事である。論理もまた同様である。
 
 知覚はまだともかくとして、思いつきを生じるのは純粋に脳の所行であり、論理もまた同様。いずれも人間の外部とは関係ない。それは現実でもなんでもない。
 
 
 

理由を言っておるがな

 
 ∧∧
(‥ )本当に大事なことに
\‐  理由があっては
    ならないのだと...
 
  (‥ )大事なこと
      それが理由だろ?
 
 理由を明言しておるがな。
 
 ∧∧
( ‥)要するに
 
  (‥ )他人の意見は
      聞きたくないし
      考えも改めないとさ
 
 
 

2015年2月16日月曜日

じつは羽毛があるかないかの問題じゃないよな

 
 最近はティラノサウルスに羽毛が生えている復元が当たり前なのだけども
 
 ∧∧
(‥ )これに不満を持つ人も
\‐  いるみたいですね
 
  (‥ )自分が子供の頃に
      図鑑で見た復元図が
      正しいと思ってる
      だから
      そうじゃない復元図は
      間違っていると思うし
      復元図を成り立たせる
      その理屈も
      間違っていると思う
      そういうことだろうな
 
 人間は思いつきに後付けで理屈をつける。これ自体は悪いことではない。
 
 例えば、
 
 昨日の自分と今日の自分は同一個体の連続体である。
 
 この前提を疑う人はまずいないが、これは真実でも事実でもない。ただの思い込みだ。実際、この前提は論理でも経験でも正当化できないだろう。しかし少なくとも自分が自分でないという証拠がない以上、自分が自分であるという思い込みを疑う必要はない。
 
 かように、人間は論理では正当化できない思い込みを大前提としているし、その思いつきに後付けで理屈をつける。それが人間の日常的な思考であり、推論である。これ自体は問題無い。
 
 だがしかし、これは次のことを示しているように思われる。
 
 人間は、自分の思いつきと違うものは受け入れられないし、自分の思い込みと違うものを成立させる理屈は非論理的であると考えるだろう。
 
 ∧∧
(‥ )ティラノサウルスの化石から
\‐  羽毛が見つかった例はない
 
  (‥ )肉も見つかってないけどな
 
 そうである以上、ティラノサウルスには肉がありませんでした、ということにして良いか?
 
 ∧∧
( ‥)羽毛が見つからないのだから
    羽毛を描くなというのなら
    肉が見つからないのだから
    肉を描くなという理屈になる
 
  ( ‥)実際にはティラノサウルスが
    ‐□ 羽毛を持っていた根拠は
      ちゃんとあるけども
 
 そういうことを書いた本もすでにちゃんとある。
 
 ∧∧
(‥ )あなたも書いたよね
\‐
 
  (‥ )何度も書いたな
      ティラノサウルスが
      羽毛を持つ
      その根拠と説明なんて
      もう飽きちゃったけど
      今の本にも書こうか
 
 ティラノサウルスが羽毛を持つ根拠は、祖先に当たる種族や近縁種が軒並み羽毛を持っていたからだ。これは、ティラノサウルスは動物なのだから、生きていた時は骨だけじゃなくて肉もついていたでしょ? という推論の発展型である。つまり理屈は単純で、しかしそれゆえに手堅いものだ。
 
 だが、羽毛を持っていない復元図を正しいと思う人は、羽毛があるとする以上の根拠と理屈を非論理的と見なすであろう。
 
 ∧∧
(‥ )啓蒙するべき?
\‐
 
  (‥ )必要ないだろ
  
 以上の理屈からすれば羽毛付きのティラノが耐えられない人は宗旨替えなどしない。反対に羽毛のあるティラノサウルスの絵で育った世代は、これが当たり前だと思うだろう。そうして世代交代が進めば、羽毛付きを受け入れられない世代は消える。それだけだ。
 
 変革は旧世代の改宗や宗旨替えで起こるのではない。旧世代の死滅で起こる。これはいつでもなんでも繰り返されたことである。
 
 例:SFマニアは絶滅へと向かい、アニメが代わって興隆する。しばしばSFマニアはこの人気アニメのこのアイデアは、このSFのパクリだ、アニメマニアはなんでこんなものをありがたがるのか? と言い立てたりするが、これ自体がすでに置換が進行している証拠だ。置き換えが進行し、最後は消し去られてしまう過程の、まさにその中にあることを自覚せねばならぬ。
 
 あるいは老人を見れば分かるであろう? 彼らは子供の時、あるいは20代の時の知識と経験、あるいはこれまでの人生をただ反復するのみだ。
 
 老人は言うであろう? 若者も俺たちと同様に苦労すれば必ず見返りがあるはずだ、老人たちはそんな錆び付いた時代遅れのモデルをただオウムのように繰り返すばかりではないか。
 
 羽毛のあるティラノサウルスが気に入らない、というのもそれと同じであろう。単に子供の時に得た知識を反復しているにすぎぬ。
 
 ∧∧
(‥ )まあ、実際には
\‐  ティラノサウルスは羽毛を
    ほとんど失っていた
    はずですけどね
 
  (‥ )子供の頃は鳥のヒナ
      みたいだっただろうけど
      大きくなる過程で
      羽毛はまばらになるか
      失ってしまっただろうな
 
 大型動物は体積に対して表面積が小さくなる。体温の放熱が問題になるので断熱材である羽毛や体毛を失う傾向がある。だから大人のティラノは毛を二次的に少なくしただろう。
 
 そして、ティラノサウルスに羽毛をつけるべきか否か? というのはどうでも良い問題なのだ。なぜかというに、本来、羽毛はあったでしょ、という意見に落ち着いているからである。
 
 ∧∧
( ‥)むしろ問題は
 
  (‥ )どう描けば
      羽毛付きの
      ティラノサウルスが
      生物学的にもっともらしく
      なおかつ
      格好よくなるのか?
      課題はそこだよ
 
 あるいは思うのである。
 
 実のところ、世の中の”羽毛付きティラノサウルス”に対する不満の幾分かは、羽毛があることではなく、羽毛をつけたら格好わるく見えてしまったのが原因ではないかと。
 
 ∧∧
(‥ )...まあ確かに
\‐  他人様の絵をあーだこーだと
    言うのは良くないことですが
    羽毛付きのティラノは
    なんか今一ですよね
 
  (‥ )いやそれは
      俺も同じでね
      やっぱ格好よくならんのよ
      しょぼくなるのよな
      実はさ
      羽毛付きでなおかつ
      格好よく描いて
      それでいて
      生物的にもおかしくない
      そういう絵を描くのは
      ものすごく難しいのだよね
 
 しかもティラノサウルスはおそらく二次的に羽毛を失っている手合いである。その点では現在のゾウに似ていただろう。しかし一部には鱗も残していたと考えるのが妥当だ(*実際、肉食恐竜の化石にはそれを示唆するものがある)。これを考えると、納得がいけてなおかつ格好よい復元図は至難の業である。
 
 ∧∧
( ‥)あなたも個人的には
    恐竜には羽毛が無い方が
    ありがたかったのだよね
 
  (‥ )羽毛が無い頃は良かったよ
      骨に筋肉をのせて
      全体の形を取れば
      復元図になったからな
      形も取りやすい
      組み立てもしやすい
      理解もしやすい
      でも羽毛や体毛があると
      そうはいかなくなるんだ
 
 
 さりとて、楽だからという理由で物事をねじ曲げるわけにもいかぬのだ。
 
 
 

 

エルドラドがあるべき場所には虚空が広がるのみ

 
 にわかを暖かく迎え入れ、訓練するとマニアになり、彼はジャンルを牽引してくれる。
 
 ∧∧
( ‥)オタマジャクシは
    カエルになります
    みたいな理論だな
 
  ( ‥)オタマジャクシは
    ‐□ 遺伝的に
      そう設定されている
      わけなんだが
 
 人間が何かに興味を持つというのは、オタマジャクシの成長とは違うだろう。
 
 ∧∧
(‥ )人間はまず
\‐  仮説を思いつく
    そして後付けで
    理屈をつけていく
 
  (‥ )人間の思考や推論
      その基本的な過程は
      論理的でもなんでもない
      ただの論点先取なのだ
 
 人間の思考は論理的には破綻している。これは論理を至高の物とする人間でも同様だ。
 
 違いが出るとしたら、それは検証の過程が妥当であったか、そこだろう。
 
 ∧∧
( ‥)にわかが果たして
    そこまでいけるのか?
 
  ( ‥)無理だろうな
    ‐□ 少なくとも
      一律に可能ではない
 
 理解とは仮説である。
 
 これはこういうことだ、そこで止まったら、それはにわかだ
 
 これはこういうことであろう、では確かめてみよう、これなら初心者だ
 
 どれがどのぐらい確かであるのだろう これは、まあ、マニアかもしれない
 
 だが以上ではお話にならない。
 
 検証過程が妥当であるとはどういうことであろうか?
 
 ∧∧
(‥ )ここまでこないと駄目だと
\‐
 
  (‥ )妥当の根拠とは何か?
      ここに至って初めて
      いずれの方法論が
      妥当であるのか
      その選択が可能になる
      そうでなければ
      選択に価値は出ない
      単純な理屈よな
 
 
 何かに興味を持つこと
 そこにカロリーと時間を投資すること
 検証すること
 
 以上ではまったく足りない
 
 検証することとは果たしてなんであるのか? ここまで至らねばならぬ。
 
 そして以上の過程をすべて踏まえることは、我々にプログラムされた遺伝的な指令であろうか? 全員がこの過程を完了させるよう設定されているであろうか?
 
 ∧∧
( ‥)違うだろうと
 
  (‥ )オタマジャクシが
      カエルになるような
      ものでないことは
      確かだな
 
 にわかを教育すればジャンルが興隆するという目論みは、人間の理解がオタマジャクシの成長のようなものである場合には成立するだろう。
 
 ∧∧
(‥ )だがそうではない
\‐
 
  (‥ )だとすれば成立しない
      そういうことだ
 
 にわかを教育するだなんて馬鹿の理屈だろう。あまりにもご都合主義である。
 
 ∧∧
(‥ )でもさ
\‐  妥当性とは何だろうか?
    そこまで迫って
    その場に至り
    見回した時
    そこには何も無いと知ったら
    みんななんて言うのでしょうね
 
  (‥ )絶望するのかもな
      だが絶望する人間は
      そんなところまで
      足を運ばんだろ
    
 信じたエルドラドがあるべき場所には、何も無い虚空が広がるのみ。だがしかし、一体それの何が不満か?
 
 
 

2015年2月15日日曜日

自分と違う思いつきはすべて非論理的に見える

 
 人間の推論過程のほとんどは論理では正当化できない。
 
 人間のやっていることは思いつきを後付けでもっともらしく見せることであり、そうでなければ生きていくことすらできない。
 
 ∧∧
( ‥)最初に思いつきありきで
    理屈は後付け
    ということは...
 
  (‥ )自分の思いつきと違う
      思いつきは
      全て非論理的に見える
      そういうことだろうな
 
 どれほど論証の過程が正しくても、どれだけ検証されていても、それでもなお、その答えが自分の思いつきと異なっている場合、人間はそれを非論理的であると見なすだろう。
 
 答えが先で、理屈は後、ということは、答えに違和感を持てば、答えが間違っているのだから理屈もすべて間違っている。そう考えるだろう。これは当然と言えば当然。
 
 おそらくこれは、人間の行動のかなりの部分、あるいはどうにも意思の疎通が出来ない場合があるのはなぜなのか? それを説明してくれる。

 
 
 
 

ぐろーばる化の夢

 
 ∧∧
(‥ )グローバル化というのは
\‐  色々な意味を持ちますよね
 
  (‥ )文字通り訳すと
      ”地球になりました”
      だな
 
 ∧∧
(‥ )意訳すると?
\‐
 
  (‥ )俺たちの都合良く
      恣意的に市場を
      開放させます
      by 西欧
 
 ∧∧
(‥ )...昔からずっとそうですね
\‐
 
  (‥ )あいつら何世紀も
      やっているから
      もう本能みたいに
      なっているんだろうな
 
 まあ、移民に食いつぶされて、置き換えられていけば良い。それも彼らの望んだ運命。
 
 ∧∧
(‥ )グローバル化するこの世界で
\‐  日本のこの有り様では
     うんぬん
 
  (‥ )自分の愚痴を壮大に
      言い換えているだけだろ?
 
 ∧∧
(‥ )このグローバル化を
\‐  意訳すると?
 
  (‥ )僕の考えた最強の外国
 
 自分の失敗した人生の愚痴を希有壮大に言い換えて、挫折の責任を他人に押しつける。そして、きっとグローバル化という正義の味方がやってきて、この不正を正してくれる。
 
 ∧∧
( ‥)そういう願望だと
 
  (‥ )正義の味方も
      白馬の王子様も
      そんなやつどこにもいない
      人生挫折しても
      そういうことはまだ
      学ばないのな
 
 いや、学ばないからこそ挫折したというべきか。
 
 
 

2015年2月14日土曜日

不潔な馬鹿の世界征服

 
 ∧∧
(‥ )「銃・病原菌・鉄」って
\‐   どんな内容でしたっけ
 
  (‥ )不潔な馬鹿が
      世界を征服した
 
 ∧∧
(‥ )あれすごい本だよね
\‐
 
  (‥ )お手本のような論証でな
      そこが素晴らしい
 
 
 

砲弾型おっぱいキモオタ仮説がただの偏見であるのは...

 
 人間はまず思いつき、そして、その思いつきに沿って物事を解釈する。
 
 ∧∧
(‥ )ただの論点先取だとも
\‐  いえるし
    答えありきに
    偏見を強化しているだけ
    だとも言える
 
  (‥ )でもそうしないと
      一歩も前には
      進めないのだ
 
 朝起きた時、今の自分は昨日の自分と同じである、これは論理では正当化できない。経験でも正当化できないだろう。
 
 
 今朝の自分は昨日の自分と同一人物であろう。つまりこれはただの思いつきだ。
 
 ∧∧
( ‥)ただの根拠の無い思いつき
    という点では
    それは偏見と同じだよね
 
  ( ‥)人が曰く
    ‐□”世の中には自分の偏見を
      理屈で語って、それを
      論理だと言う人がいる”
      この指摘は
      表面的に言えば
      それは当たり前でしょ
      ということになる
 
 ∧∧
(‥ )でも言わんとすることは
\‐  なんか分かるよね
 
  (‥ )思いつきを
      後付けの理屈で正当化する
      そこまではすべてが同じだ
      それが人間の思考であり
      それが推論の原点だ
      だけど
      そこから先で違いが
      出てくる
      それを言いたいわけだな
 
 例えば、
 
 日本の漫画やアニメに出てくるおっぱいはすべて砲弾型、半球型である
 
 これはおかしい、現実には重力で垂れるはずである
 
 ははーん? 漫画家やアニメーターはキモくて、もてない男だから、本物のおっぱいを見たことがないんだね?
 
 ∧∧
( ‥)ここまでは思考としては
    ありだってことですね
 
  (‥ )問題はこの仮説は
      すぐ壊れてしまう
      ことにある
 
 アンコールワットの女神像=>https://www.google.co.jp/search?q=アンコールワット%E3%80%80女神像&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=IbxZUuTJHoOpkAWZmYEI&ved=0CAcQ_AUoAQ&biw=1037&b…
 
 インドのカジュラホ=>https://www.google.co.jp/search?q=khajuraho&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=8rpZUvqIKYO5iQfO-4CwDg&sqi=2&ved=0CAcQ_AUoAQ&biw=1037&bih=800&dpr=1…
 
 アジャンター寺院=>https://www.google.co.jp/search?q=ajanta+female&biw=1010&bih=766&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=R_feVNfnJce1mwWq7YGAAQ&ved=0CAYQ_AUoAQ
 
 ∧∧
(‥ )どれも全部砲弾型の胸
\‐  おたくは
    おっぱいを見たこと無い仮説は
    これらの反証によって
    容易に棄却されてしまう
 
  (‥ )寺院を作った男共は
      女の裸を見たことが無い
      キモオタだったかも
      しれないじゃないか
      そう言い逃れることは
      出来るけどな
      分が悪いよね
 
 さてもさてもそれを考えるに、偏見を理屈で固めているだけなのに、それを論理的な思考と称する人間が多い、という言葉は次のように翻訳できるのだろう。
 
 思いつきを後付けの理屈で説明するのは思考の基本だが、簡単に壊れてしまう思いつきを堂々と述べるというのは、普遍性を持たないお前だけの思いつき、つまり偏見だとみなされる。容易に破壊される思いつきを仮説として提出するな。
 
 ∧∧
(‥ )まあそういうことだろうと
\‐
 
  (‥ )端的に言うとな
      おっぱいは
      重力で垂れるのが正解!
      とドヤ顔で言ってる奴には
      お前は
      今まで美術の教科書とか
      読んだことないんかい?
      お前の今までの人生の
      読書経験って何だ?
      そう突っ込めば良いって
      ことだろうね
 
 つまり、砲弾型の非現実的おっぱいを描くのは裸を見たことが無いキモオタだから仮説は、ただの偏見である。
 
 それは論の展開が後付けの理屈だからではない、あまりにも簡単に壊れてしまう仮説なので、それゆえに普遍性がないからだ。
 
 ちなみにおっぱいの表現にはもっと色々なものがありうること、それは先史時代の美術を見ても分かること。

=>https://www.google.co.jp/search?q=壁画%E3%80%80飛天&biw=1010&bih=766&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=gPfeVLfKL8bVmgWYvICoDg&ved=0CAYQ_AUoAQ#tb…
 
 ∧∧
(‥ )極端に突き出た砲弾型もあれば
\‐  垂れている巨乳もあるね
 
  (‥ )見ている現実よりも
      現実にはありえない刺激に
      反応する
      超正常刺激とかだな
      人間はそれを加味して
      表現を行なっていたことが
      わかるよね
 

 例えば、女性向けの漫画の男はしばしば顎が極端に尖る
 
 では世の中の女性漫画家は、キモオタの喪だから男の顎を見たこともないのだ、ということがあるだろうか?
 
 ∧∧
( ‥)そんなことはないよね
 
  (‥ )まあそういうことだ
 
 

2015年2月13日金曜日

金がなくなれば知識は消え、おっさんだけが残るだろう

 
 ∧∧
(‥ )イスラームは
\‐  この100年、200年の間
    ずっと苦しんでるよね
 
  (‥ )それはどこも同じだな
      新世界の征服と奴隷化以来
      500年
      西欧列強の世界征服を前に
      世界は対応を
      余儀なくされたのだ
 
 イスラーム退潮の原因は宗教にあるに違いない。そう言う人もいる。
 
 ∧∧
( ‥)あなたはその見解を
    無視しますと
 
  ( ‥)精神論で因果関係を
    ‐□ 説明するのは
      説明になっていないからな
 
 この自動車、どうして走れないの?
 
 エンジンが馬鹿になったからですよ。
 
 これは答えでもないし説明でもない。
 
 
 ∧∧
(‥ )馬鹿とか堕落とか努力とか
\‐  そういう精神論で
    説明をごまかすなと
 
  (‥ )それではエンジンが
      精神で動くと言うに等しい
      そりゃ
      ただの黒魔術だよ
 
 イスラーム世界の退潮、多分、話は単純で、
 
 金が無くなった
 
 それだけのことではなかろうか?
 
 ∧∧
(‥ )新世界の征服と奴隷化で
\‐   大量の銀を安価に
     手に入れた西欧は
     それで世界経済を
     回すようになったと
 
  (‥ )その次は軍事力を背景に
      交易路を奪う
      その次は
      工業化と大量生産で
      安価な製品を輸出して
      相手の産業を破壊する
      これって単純な話だよな
 
 経済を押さえられる、武力で交易路を奪われる、安価な製品で市場を奪われ、産業を破壊される。
 
 やくざなスーパーの進出で商店街や地場産業が軒並み壊滅するのと同じだ。これは単純な現象だろう。
 
 ∧∧
( ‥)そして金がなくなれば
    まっとうな知識人が育たない
 
  (‥ )もし日本人が
      すでにイスラームに
      改宗していたとする
 
 おっさんたちはクルアーンを読まないだろうし、その意図を汲み取らないだろう。勝手な解釈をするし、おそらく田舎の、地方の風習や悪習をイスラームであると主張するし、信じるだろう。
 
 おっさんとはそういうものだ。
 
 ∧∧
(‥ )でも出版界が健在なら
\‐  教科書の消費を支える
    学校が健在なら
    専門書を読める人間も
    その人たちのための専門書も
    出版し維持できるだろう
 
  (‥ )つまり勘違いおっさんが
      大量に湧く一方で
      少数だけどまっとうな
      知識や見解も
      維持されるのだ
      間違いは正される
 
 だが産業と経済が破壊されたら、これらが全部無くなる。
 
 例えば豊かで十分な余暇があってまともな本を出す余地があり、さらにそれを読む人間がいる世界では、江戸しぐさとか水からの伝言は駄目だよ、そう苦言を呈する人が必ず出るだろう。 
 
 だがその基本が壊れたら?
 
 まともな苦言と知識は全部消える。
 
 残るのは勝手な思い込みを持ち続けるおっさんたちであり、おっさんたちは精神論と妄言しか述べないだろう。
 
 ∧∧
(‥ )日本人がイスラーム教徒なら
\‐  現在の日本の経済の低調を
    不信心のせいである
    西欧化したせいである
    そう主張するだろう
    つまりイスラム原理主義
 
  (‥ )実際には人件費が上がり
      安さで勝負できなくなり
      生活を維持するための
      商品や備品が多くて
      支出ばかりが増えた
      それだけの話なんだがな
 
 人件費と生活を支える支出の増大、経済の低調には即物的な理由がある。
 
 それにも関わらず、精神論を唱え、堕落した! 過去に戻れ! そう喚き立てるおっさんは掃いて捨てるほどいる。
 
 今の日本人はイスラーム教徒ではないけども、これではイスラム原理主義を笑うことなどできまい。
 
 言い換えると、イスラム原理主義とは単に文化の仮面が違っているだけで、あれは日本にもうじゃうじゃいる意識高い系の困ったおっさんたちだ、そう考えるべきではないのか?
 
 ∧∧
(‥ )困ったことに
\‐  経済が完全に壊れると
    出版界とか
    知識体系も壊れてしまう
 
  (‥ )そうなると残るのは
      おっさんだけになる
      どうにもならなくなるよね
 
 考えてみれば昔から不思議なことがある。科学の歴史においてイスラーム世界は非常に重要な位置を占める。メソポタミア、ギリシャ、ヘレニズム世界で発達した科学は西欧世界では壊滅した。ローマ帝国がキリスト教化した時、過去の哲学は異教のものとして伝承されなかったからだ。あるいは多分、当時の西欧世界の経済がめちゃめちゃで、伝承しようにもできなかったのかもしれない。
 
 この時、科学を伝承し発展させたのはイスラーム世界である。
 
 それはやがてキリスト教世界に逆輸入されることになる。例えばの話、コペルニクスの地動説はイスラーム天文学を地動説体系に変換したもので、アイデアこそ良いが、基本はぶっちゃけ、イスラーム天文学のぱくりだ。
 
 ∧∧
( ‥)ところがおかしなもので
    イスラーム世界の科学と
    その科学史が
    現在の中東から
    情報発信された例は
    どうもほとんど無いらしい
 
  ( ‥)俺が知らんだけかもだが
    ‐□ 知識体系が維持できず
      自分たちの遺産も
      十分に把握できない状況に
      陥っている
      その証拠かもしれないよね

  
 これはhilihiliのhilihili: 地球上のおっさんはすべて同一だと仮定し推論するの続き
 
 
 

2015年2月12日木曜日

筋力の衰えに従い動作が制御しきれなくなる仮説

 
 上の住人の足音がうるさい。響くのである。
 
 ∧∧
(‥ )2013年の終わりから
\‐  急にそうなったのだけど
 
  (‥ )だが住んでいる人間は
      変っていないのだ
  
 加齢で体重が増えたとか、そういうことなのかもしれない。
 
 あるいは男は乱暴に動く。今までしょぼくれていたのが元気になった、そういうことかもしれぬ。
 
 実際、上のおっさんは50代だが、最近、彼女が出来た。

 ただ、彼女が使う自転車は、何年も前から近辺で駐輪していたものだ。彼女は昔からいたのかもしれない。
 
 ∧∧
( ‥)彼女が出来て
    動作が乱暴になった説には
    やや無理な証拠
 
  ( ‥)ただ、最近になって
    ‐□ 二人が非常に
      親密になったことは
      確かだ
      可能性はまだあるね
 
 
 だが今日、新しい仮説を思いついた。 
 
 健康診断のため、待合室で待っているとおっさんが入ってきたのである。念のために書いておくと、上の部屋のおっさんとは別人なのだが、このおっさん、足がどすんどすんとうるさい。響くのだ。
 
 ∧∧
( ‥)体が大きいということも
    あるんだけど
 
  (‥ )でもなあ
      あれは動作が制御し切れて
      いないんだと思うな
 
 動きが、ほんのわずかではあるが、ぎくしゃくしているとでも言えば良いか。
 
 歩くことは転ぶことに似ている。足を踏み出した時、前のめりになった体を受け止める。足の筋肉を使い、関節を動かして倒れそうな体を制動するのである。しかし、ぎくしゃくしているおっさんの動きはそうではなかった。骨という支持構造そのもので無理に動きを押さえている、そんな感じであった。
 
 つまり筋肉の力で制動していないようなのである。体の揺れ幅も大きいように見えた。
 
 ∧∧
(‥ )あの動作だと
\‐  重さを直接床に伝えちゃうよね
 
  (‥ )同じ待合室にいて響きを
      感じるわけだからね
      強烈だよな
 
 原因は多分、筋力の衰えではないかと思う。筋力があれば、動作を制御しきれるだろう。
 
 ∧∧
( ‥)つまり
    上の部屋のおっさんも
    筋力が低下して
    動作が制御し切れなくなった説
    だから足音が響く
 
  (‥ )ある時点から急にそうなる
      それは時間経過に従う
      変化だよね
      おっさんに影響を与える
      時間に関する変化
      それは加齢だと考えるのが
      妥当だよな
      そして足音は動作に
      関連するものである以上
      原因は体力の衰えである
      これはありうる話
 
 確かに、自分も思い当たる節がある。若い時と比べると、動作の制御にやや無理を感じることがあるのだ。それもあれだ、動作の最後に力が抜ける、最後まで制御するのを体が放棄してしまう、そんな感覚。
 
 ∧∧
(‥ )動作の大部分は
\‐  これまで通りだから
    自覚しにくい変化かもね
 
  (‥ )どうしたもんかなあ
 
 
  
 

地球上のおっさんはすべて同一だと仮定し推論する

 
 例えば日本人がイスラームに改宗したとする。
 
 ∧∧
(‥ )改宗してもおっさんは
\‐  おっさんのまま
    でしょうね
 
  (‥ )イスラーム教徒に
      なったのだから
      一夫多妻だ
      フリーセックスだ! とか
      言い出すのだろうな
 
 時間も愛情も経済的にも夫人の扱いは平等にしなければいけないのだから、愛人と奥さんに費やすお金も時間も愛情も等価にしないと駄目だよ? 
 
 そう言われたら
 
 ∧∧
( ‥)クルアーンには
    一夫多妻して良い
    そう書いてあるんだ!
    とか
    言い出すのでは?
 
  (‥ )おっさんは好き勝手に
      物事を解釈するからな
 
 というか、日本人がイスラームに改宗しても、誰もクルアーンを読まないだろう。
 
 ∧∧
(‥ )そもそも神の啓示であるから
\‐  言葉が下された時の言語
    アラビア語のままだからね
 
  (‥ )とはいえ和訳もあるのだが
      おっさんは和訳も
      読まないよな
 
 せいぜい良いところ、超訳クルアーン、とかそういうぺらい新書を読むのが精一杯だろう。
 
 ∧∧
( ‥)...それは良くないことだよね
 
  ( ‥)じゃああれだ
    ‐□ 法学者山田太郎さんが
      教えるクルアーンの極意
      とか
      ビジネスに役立つ
      クルアーン50の教え
      とか
      そういう体裁に
      なるだろうな
 
 それがどんな結果を生むのか? と言ったら言わずもがなだろう。
 
 今、身の回りにいるおっさんのだるい主張の根拠がなんちゃってクルアーンになるだけで、中身は改宗前と変りあるまい。
 
 サービス残業も勤労奉仕の義務もクルアーンに認められている、とかそういうことを言い出すに決まっている。おっさんとはそういうものだ。
 
 ∧∧
(‥ )日本が50年前に
\‐  イスラームの改宗していたら
    今のおっさんたちは
    日本の景気が悪いのは
    現代日本と若者が
    不信心だからだ
    そう言い出すでしょうね
 
  (‥ )まあそうだろうね
      そしてこれは
      イスラム原理主義だよね
 
 
 人間は精神論に頼りたがる

 これまでうまくいった、だけど今はうまくいかない、これは堕落したせいだ、
 
 おっさんはオカルト的な発想にたどり着く。
 
 そして、おっさんたちは理解もしていないのに自分が理解していると信じている信念に回帰しようとするのである。
 
 日本人がイスラームに改宗していたら、昨今の不景気を精神的な堕落が原因だと考えるだろう。そうして、クルアーンを読むことも無く、その意図を汲むでも無く、単に自分がこうだと思い込んでいる思い込みに回帰するであろう。それはビジネスに役立つクルアーン50の教え、とか、クルアーンでみるみえる増収、とか、そういういい加減で恣意的な本から得た知識だろう。
 
 地球上、あまねく存在するおっさんは、平均すればすべて同じである。おっさんはおっさん以外の何者でもない。
 
 なれば、地球上どこでも、おっさんは同じことをするのだ。後は経済的に困窮しているか否かで行動が決まる。
 
 ∧∧
( ‥)そう考えると
    イスラム原理主義は
    分かりやすい
 
  (‥ )あれはおっさんの
      なせる業ですよ
 
 あるいは、回帰を叫ぶおっさんと反対に、イスラーム世界が混乱するのはイスラーム自体に問題があるのではないのか? あれが古い教えだからではないのか? イスラーム自体に内包された宗教的な問題があるせいなのだろう、そう考える人も同様だ。
 
 そう考える人は立ち位置こそイスラム原理主義と真逆だが、発想がオカルト的な精神論である点では同じである。
 
 地球上のおっさんがすべて同一だと仮定すると以上のようなことが成り立つ。この仮定は乱暴すぎるが、人類の遺伝子がほとんど同じことを考えれば、平均値としては成立しよう。
 
 ついでに言うと、女性も歳を取るとおっさん化するのである。
 
 人間はオカルト的な発想しかできず、それは物事をうまく解決できず、それゆえに必ず考えをこじらせる。
 
 
 

新しい呼称を使うにはエネルギーがいる それが壁になる

 
 ∧∧
(‥ )イスラム国という呼称を
\‐  使って欲しくないと
 
  (‥ )まあそりゃそうだな
      呼称はISILか
 
 確かに、先日も公園で聞いたように、公園にたむろする老人たちの話し声には、
 
 宗教の恐ろしさ
 
 という台詞があったのだから、イスラム国とかそういう誤解をまねくような名称は使うべきではないのだろう。
 
 今、戦争をしている相手がイスラーム教徒である、老人はそんな風にしか考えないだろう。
 
 歳だから、代謝が落ちているし、何もかもがしんどいのだ。老人に新しい物事を理解することに回すエネルギーなど残っていまい。
 
 ∧∧
(‥ )実際には
\‐  宗教と言っても
    産まれた時からあるのだから
    その地域の人にとっては
    ただの常識や道徳なんだけどね
 
  (‥ )長く広い地域を治めた
      宗教だしな
      教義の内容も
      ありきたりで常識的で
      普通だしね
 
 
 まあ、確かに違和感を感じる風習などもあるが、それを言ったら日本人は魚を生で食べ、切腹し、介錯して首を切り落とすのである。違和感はお互い様だろう。
 
 ∧∧
(‥ )でもマスメディアは
\‐  イスラム国の呼称を
    使い続けていると...
    マスメディアの
    こうした態度は
    ムスリムの立場よりも
    政権批判を優先した
    卑劣な態度ではないのか?
    という解釈もありますね
 
  (‥ )どっちかというと
      何も分からんだけだと
      思うのだけどな
 
 例えば1991年、ユーゴスラビアで紛争が起き、内戦が勃発した時、マスメディアはユーゴ内部の様々な民族、宗教、集団を説明する際、
 
 モスレム人、モスレム人、
 
 という名前を連呼したのであった
 
 モスレム人? まるでムスリムみたいな名前だな。そう思って聞いていたら、イスラーム教徒だと言うではないか
 
 ただのムスリムじゃんよ、なんでモスレム人なんて民族名っぽく使っているのだ? マスメディアの連中って一体全体なんなのだろう?
 
 しかも、彼らはずいぶん長くこの名称を使い続けるのである。
 
 これは意図的であったか?
 
 いやあ違うだろう。だってこの名称を使うことに何の政治的利益も見えてこない。
 
 ∧∧
( ‥)なにも知らないだけだと?
 
  ( ‥)文系だから理系のことは
    ‐□ 分からんとか
      ああいう連中は
      言うけどさ
      あれ嘘なんだよね
 
 マスメディアとか知識人とか文化人、奴らは文系のことすら知らんのである。
 
 
 *一応、以上の問題を好意的に解釈すると、当時、ユーゴスラビアは世界で唯一、回教民族、つまりムスリム民族という表現を公式に採用していた国であったそうだ(例えば「トルコのもう一つの顔」pp128)。当時のマスメディアがモスレム人、モスレム人と連呼したのはそのせいかもしれない。
 
 ∧∧
(‥ )でもそうだとしても
\‐   ユーゴが使う呼称を
     右から左へ運んだだけ
     だってことになるね
 
  (‥ )まあ、歳だな
      40過ぎた奴に
      新しいことなんか出来んよ
 
 新しい概念、新しい名詞、新しい属性、新しい関係、これに振り向けるエネルギーは、40代以上にはもう残っていない。そして巨大で安定的な組織にいれば、給料は一定だ。だとすれば自分のポイントを上げるには何もしないのが最適解である。
 
 歳を取り、余力が泣く、最適解は何もしないこと、ただ右から左へ最低限度の運搬をするだけになる。これに人間が抗う術などない。理解は凍りつき、考えがただのおうむ返しになるだろう。それが歳を取るということだ。



人間を妄想で語る人

 
 論理的に考えることが大事である。そう主張する人に、では昨日のあなたと今日のあなたが同一人物であることを論理的に証明してください。
 
 そう問うたら、彼は怪訝そうな顔をして、そして別の話を始めた。
 
 ∧∧
(‥ )そんな分かり切ったこと
\‐  証明するまでもない
    そう思ったから
    怪訝そうな顔をしたの
    でしょうね
 
  (‥ )でも別の話を
      始めたということは
      自分はうまく説明できない
      そのことに
      気づいたのだろうな
 
 実際、昨日の自分と今日の自分が同一であることを証明せよ、と言われたら困る。証明のしようがない。
 
 ∧∧
( ‥)どうでも良いんだよ
    俺は俺だ
 
  (‥ )実はそれが正しい答えだな
 
 厳密に正しいとは言い切れないだろうが、これがほとんど正しい答えだろう。
 
 昨日の自分と今日の自分が同一であると俺は認識している。
 
 これは論理的な発想ではない。だがそれ良いのだ。そもそも昨日の自分と今日の自分が同一であることを証明することなどできない。演繹でも、多分、帰納法でも無理だろう。だがしかし、そんな方法論なんか人間は必要としないのだ。
 
 結論を勝手に持ってきてしまえば良い。
 
 俺は俺だ。
 
 ∧∧
(‥ )それに自分が自分でないという
\‐  証拠もないよね
 
  (‥ )勝手に持ってきた結論でも
      証拠と整合すればそれで
      良い訳だ
 
 昨日の自分と今日の自分が同一でないという証拠がない限り、俺は俺だ。
 
 この時、証拠との整合というのもまた論理ではない。矛盾点はあるが整合性が高ければ正しい、なんていう証明は数学にはない。
 
 ∧∧
( ‥)つまり人間の基本動作は
    証明とか論理とか
    ロジックとか
    ほとんど使っていない
 
  ( ‥)だから
    ‐□ ロジカルシンキングとは
      ただのポーズだな
      格好付けだし
      単なる無駄な
      ファッションだ
 
 だがこれは奇妙なことを示している。
 
 プラトンもそうであったのだろうが、人間の中で”頭が良い”とされる者たちは、どういうわけか論理に執着したのであった。
 
 ∧∧
( ‥)でも人間の基本動作は
    以上のように論理なんかでは
    まるで説明できない
 
  (‥ )プラトンが
      毎朝、毎朝、起きるたびに
      自分が昨日と同一で
      あるかどうか?
      そんなこと悩んでいたとは
      思えないよなあ
 
 つまりこれは明らかに変なのだ。
 
 論理的には自分の同一性を確保できないのに、論理的であることを格好よいと思って日常を過ごしている人間がいる。
 
 これはいかなることか?
 
 ∧∧
(‥ )多分、
\‐  他の人とちょっと違うだけ
    なのだろうと
    その違いが論理への執着と
    頭の良さを生むだろうと
 
  (‥ )だが実際には論理を
      把握していないわけだよ
      
 だから、彼らが執着しているのは、実は論理ではない。もっと別の何かに執着していると考えるべきだろう。
 
 それは何だろう?
 
 例えばそれは、設定と定義かもしれない。
 
 ∧∧
( ‥)論理は文法でしかない
    文章には名詞が必要だ
    名詞は分類だ
    分類は定義である
    定義は一律である
 
  (‥ )一律な定義で考える
      もっともらしいけどな
      これはごく単純な系しか
      扱えない
 
 陽子や中性子は一律に扱えるが、元素は同位体が存在する以上、一律には扱えない。化学物質になると光学異性体があるし、酵素になると同種であってもアミノ酸の配置が違うし、性質も同じではない。
 
 一律な定義は本当にごく単純な系でしか役立たない。
 
 現実がこうである以上、一律でないものを一律に定義して理解しようとしてもうまくいかない。これは理解の失敗に他ならない。
 
 ∧∧
(‥ )でもテスト勉強は
\‐  出来るかもしれないね
 
  (‥ )そうしてそこそこな
      地位にいけるかもな
 
 だが、そこから先は駄目だ。一律でないもの。例えば人間がそうだ。人間は同一の遺伝子を持つものではない。交配によって無数の変異が離合集散するネットワーク、それが人間だ。人間は均一な機械ではない。人間は一律に定義できない。
 
 一律でない人間を一律に理解しようとする。それは理解の失敗だ。
 
 そこそこな地位にいけても、そこから先はもう無理だ。人間は社会性の動物である。その中で勝ち抜くには人間を理解する必要がある。一律に物事を理解しようとする人間は、理解に失敗するがゆえに、その出世には限界があるだろう。彼らは挫折する。そうして世の中を憎むであろう。
 
 人間はこうあるべきなのに、なぜかそうではないと。なぜだ、お前らおかしいと。
 
 ∧∧
(‥ )それが古代から連綿と
\‐  起こっていることであると
 
  (‥ )プラトンは挫折し
      世界を支配したのは
      ローマ人だった
      マルクスは挫折し
      世界を支配したのは
      頭脳も持たぬ
      資本主義だった

 何が起こったのか、それは明白であろう。論理的な人間はそこそこな地位にまではいけるが、理解の根幹に欠陥があるため、それ以上には進めない。

 彼らは挫折するが、なぜ挫折したのか分からないので世界と人間を憎むのみであろう。そして実際どうもそうであった。
 
 ∧∧
(‥ )それに受験って
\‐  実は論理人間を選抜する
    場所じゃないんだよね
 
  (‥ )つまらない退屈な書類を
      数十万語読んで
      その内容を理解するとか
      それを踏まえて
      妥当な文章を書くとか
      そういうことが
      出来る人間を
      選抜してるんだよな
 
 つまり、受験の目標は、論理だけでなく、一律でない人間とそれが織りなす複雑な有り様をそれなり扱って事務処理できる人間を選抜することにある、そう考えるべきだろう。
 
 ∧∧
( ‥)そうである以上
    一律な定義や暗記とかが
     得意で
     得点をたたき出した人は
     そこそこな地位には
     いけるけど
     挫折するのであると
 
  (‥ )才能が中途半端なんだよ
 
 実際、マスメディアとか知識人とか、彼らの恨み言ってそういうことではなかろうか?
 
 自分の正論で人を切っているばかりで、自分の理解を現実に合わせて対応しようとしたりしない。いつも悪いのは社会と他人である。
 
 そんな人間は才能が中途半端であるがゆえ、使い道が限られているだろう。
 
 そして彼らの論理はいつも奇妙に一律である。そして彼らは人間のあるがままの姿を否定し、自分が考えた理想人間に基づいて現実を語るのだが、それはほとんど妄想なのだ。
 
 
      
 

2015年2月11日水曜日

空気を読めないとはプログラムが未実装です

 
 なんで日本は空気を読むことを強制される社会なんだよ?? 気持ち悪いよ!
 
 ∧∧
(‥ )...と怒り叫ぶ人が
\‐  おりますよ、と
 
  (‥ )空気を読むとは
      他人の行動を
      推し量るということだ
 
 他人の行動を推し量れるとは、相手の行動や考えを把握できるモデルや仮説を持っているということに他ならない。
 
 ∧∧
( ‥)つまり?
    空気を読めない人は
    そういうプログラムが
    実装されていないと?
 
  (‥ )はい
      人生詰みました
 
 それはエンジンの仕組みが分かっていないのに自動車の整備士になるようなものである。
 
 空気を読めない。そんなことではどうにもなるまい。
 
 ∧∧
(‥ )あなたも空気読めないけどね
\‐
 
  (‥ )だからここにいるのだろ?
 
 空気を読めないのなら、そこから出て行けば良いではないか、簡単な話である。
 
 だがしかし、空気を読むことを強制されているんだ! と叫ぶ人はそれが出来なかった。
 
 ∧∧
(‥ )怒っているとは
\‐  包囲されているって
    ことだからね
 
  (‥ )立ち位置がさ
      中途半端なんだよね
 
 仕組みが分かっていないのにそこにいる。
 
 仕組みが分からないからうまくいかない。
 
 仕組みが分かっていないのに他人のせいにする。
 
 だがそれでもそこにいる。
 
 そこいるから愚痴をこぼす。
 
 その立ち位置はちょっと中途半端すぎるであろう。
 
 
 
  
 

気持ち悪いでは優生学と同様

 
 自己責任の下に人を排除しようとする。皆に迷惑をかけるものは死ねと言わんばかりの言動。この気持ち悪さは、弱者を排除しようとした優生学に似ている。
 
 ∧∧
(‥ )弱者を排除した人を
\‐  気持ち悪いと排除する
 
  (‥ )やってること
      同じやがな
 
 気持ち悪い、とは、自分の気分を害するものは排除して良い、という理屈になる。
 
 そんなもの、優生学と何が違う?
 
 お前が提案している道徳とは、一体、どのような新しい排除の理論であろうか?
 
 それであなたは、こんどはどんなガス室を作るおつもりかな?
 
 
 
 

カストル、それは六つの太陽

 
 ふたご座のα星カストルは二重星である。
 

 








 ∧∧
(‥ )スケッチすると
\‐  こんな感じですか
 
  (‥ )自分が描くと
      こんな感じだなあ
 
一応、googleのリンクを貼るとこんなである

=>https://www.google.co.jp/search?q=castor+double+star&biw=918&bih=751&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=rVDaVPjDM5Ki8AWEyoCIBA&ved=0CAYQ_AUoAQ
 
 写真もあればスケッチもあるし、あるいは、全然別の星の画像もあるけども
 
 ∧∧
(‥ )星の周囲に回折リングが
\‐  見えているわけだね
 
  (‥ )望遠鏡で星を拡大すると
      光が干渉し
      星はリングに囲まれて
      見える
      これがきれいに見える時は
      良い空だけども
      ここらじゃなかなか
      厳しくてな

 
 それでも今日はそこそこ良い空で、それでスケッチしたのであった。
 
 そして実のところこのカストル、三重星である。
 
 明るい二重星、カストルAとカストルBの南、画面でいうと右へ少し離れた場所に暗い星があるが、これがカストルC。
 
 ちなみにスケッチのさらに上にある暗い星は関係ない。
 
 それはさておき、実はこのカストルC、赤色矮星だそうだ。
 
 ∧∧
( ‥)カストルって
    地球からの距離が45光年も
    あるんだよね?
 
  ( ‥)まあ近い星だけど
    ‐□ こんな距離の赤色矮星が
      見えるってのは
      ちょっと意外だな
 
 もっとも、矮星と言っても重さは太陽の半分ぐらいあるらしく、結構、大きなものなのかもしれない。だからこんな距離でも見える、そういうことやもしれぬ。
 
 ∧∧
(‥ )知らないうちに
\‐  赤色矮星を眺めて
    スケッチしていたわけだね
 
  (‥ )こんなところに
      赤色矮星があるのは
      知らなかったよなあ

 
 そして実のところ、このカストルA、B、C、これらの星は三つとも、それぞれが二重星である。いずれも分光的な観測でしか分からないぐらい接近した星だけども、カストルは六重星なのだ。
 
 ∧∧
(‥ )六重星系を見たのは
\‐  初めてですね
 
  (‥ )以前、カストルを見た時
      二重星には見えないなあ
      と思っていたが
      倍率が200倍なら
      分かるな
      カストルCも実は
      知らずに視界に入れていた
      わけなんだよね
 
 そしてこのカストル、小説、「二十億の針」に登場した、人間に寄生する宇宙人の故郷と設定された星であった。
 
 ∧∧
(‥ )まああれだよね
\‐  話が出てくるのは
    続編である一千億の針だけど
    異星人の故郷は
    六つの太陽を持つ
    地球近隣で
    そんな星系と言ったら
    カストルだよね
    そういう展開でね
 
  (‥ )手持ちの資料によると
      カストルAから見た時
      カストルBは
      100メートル先にある
      4センチの円なんだよな
 
 ∧∧
( ‥)じゃあ丸く見えますね
 
  (‥ )点じゃないことは
      分かるよね
 
 カストルAを廻る世界が地球のようなものなら、それは人類からすれば壮観な空だろう。

 その惑星の朝には二つのぎらつく太陽カストルAが昇る。お互いにめぐりあい、日をおって配置を変える二つの太陽。二つの太陽が重なって触を起こすのならば、一時、星は涼しくなるのかもしれない。
 
 天空には他にも太陽がある。輝きに劣るが、やはり互いに回りながら光る、二つの小さな太陽カストルB。こちらは日々、地平線から昇る一方、星座の中を動く歩みは遅い。その惑星の一年の中では、カストルAが照らす明るい昼間に昇る時もあれば、カストルAが沈んだ夜に昇り、カストルBが世界を明るく照らす季節もあるだろう。

 一方で、歩みは遅いがカストルBも星座の中を動いている。地球時間で言うと1年間に1度ほど、手を伸ばした時の指先の幅ぐらいだ。ほんのわずかな動きだが、300年か400年あれば天空を一回りする。
 
 そして、太陽というよりは非常に明るい星にしか見えないが、カストルCが赤っぽい光を放ち、そうしてお互いにくるくると巡りあっている。カストルCも惑星の自転に従い、地平線から昇る。しかし、あまりにも離れているので星座に対しては動かない。動いているのだが、1万年以上もかかるのだ。それでも、お互いがせわしなくめぐりっていることは地上からも見えるだろう。天の中で星がまるで時計仕掛けのように動く。その周期は地球時間で19時間と30分である。
 
 ∧∧
(‥ )あっちの太陽のもとでは
\‐  そういう光景が日々
    繰り広げられているのだと
 
  (‥ )かなわぬ願いだが
      見てみたいものだな
 
 
 
 
 HPコンテンツとしてまとめるとこちら=>Untitled Document
 



2015年2月10日火曜日

皆と同じことをしなさい

 
 生き残りたいのなら、みんなの後をついていくのはやめなさい。
 
 ∧∧
(‥ )...という意見
\‐  
 
  (‥ )無責任な奴だな
      死ねって言っとるがな
 
 ∧∧
( ‥)皆と同じことを
    するのが一番?
 
  (‥ )みんながあるひとつの
      行動をする
      誰かの後になんとなく並ぶ
      これがもしも
      生き残れない行動だったら
      生き残るのはばらばらで
      自分一人で行動する
      奴だけになる
 
 つまり、もしも冒頭の意見のように、なんとなく並ぶ、周囲と同じことをする、これがうまくいかない行動であるというのなら、人間はすでにそんな行動をしないようになっているだろう。
 
 ∧∧
(‥ )でも実際にはそうではない
\‐  これはつまり
    皆が周囲に合わせる
    なんとなく前の人に並ぶ
    周りをまねする
    それで良かったから
    そういう行動をする者が
    残った結果であろう
 
  (‥ )すでに答えは
      出ているわけだ
      もちろん
      こういう行動がいつも
      正解とは限らん
      だがいつも正解である
      正解なんてこの世にない
 
 だとしたら確率的に何かを言えるだけであろう。
 
 そして確率的な計算はすでに行なわれたはずである。
 
 ∧∧
( ‥)つまり今の方法論が
    すでに結果のはずである
 
  ( ‥)みんなと同じことを
    ‐□ するべきなんだよ
 
 もちろん、確率的な答えであるのだから、いつもそれが正解ではないし、皆と同じことをしなければならない、でもない。
 
 だが生き残りたいのなら皆の後に並ぶな、というのは明らかに言い過ぎであるし、そして不正解だろう。最低限、賭けるにしてはかなり分が悪いと言える。
 
 ∧∧
(‥ )でもこういう文章は
\‐  必ず現れるよね
 
  (‥ )世の中には
      空気読めない奴が
      一定数いるから
      そういう連中向けに
      売っている言葉かも
      知れんな
 
 言葉があり、それが流布するとは、それもまた現実の結果である。需要があるから供給があるし、供給されるとは需要と消費があるわけだ。
 
 ∧∧
( ‥)でも?
    皆が最適な解に沿って進む
    水であるのなら
    そこから離れるのは
    山登りと同じ
    つまり体力を消耗する
    行為であるはず
  
  (‥ )それを考えるとさ
     皆と同じことをするな!
     という言葉に群がる連中が
     山登りをしているとは
     思えないんだよね
 
 山登りをしている人は、止むを得ず山登りをして、経路を探しているのである。疲れているのである。そんな脇で、皆と同じことをするのは愚かです、と力説する奴がいたら、鬱陶しいなお前と、谷底へ蹴落とすだけだろう。
 
 山登りの最中には現実があるだけで、夢だの理念だの、そんな暇人の妄想を抱いている暇はない。そんなもの役に立たないのだから。確かに谷底では見れなかった景色もおがめるが、それもまたどうでも良い話である。
 
 ∧∧
(‥ )すると皆と同じことをするな
\‐  そういう言葉を消費する人とは
 
  (‥ )実際には安全圏にいて
      不平不満を抱いている
      人間じゃねえか?
 

      

アウェイの中で自己責任とな? それが自由の忌まわしさ

 
 ∧∧
( ‥)なに?
 
  ( ‥)漫画、絶望先生が
    ‐□ アニメ化された時にさ
      黒板に文字が書いてあって
 
 この世はアウェイ 

 
 ∧∧
(‥ )確かアニメの黒板の文字は
\‐  原作者である
    久米田さんの直筆だとか
 
  (‥ )この世はアウェイ
      すばらしい言葉だよな
 
 個人にとって自分が最優先であるが、周囲の全員が同じことを考えるため、自分から見れば自分以外の全員が自分の敵に回っている状態となる。しかも、これは基本的に全員同じである。
 
 ∧∧
( ‥)なんですかね
    この世界は
 
  (‥ )しかも自由がある以上
      誰もが選択肢を選ぶ
      そしてその結果は
      自己責任なのだ
      アウェイの中でそれって
      もう最悪だよね
 
 アウェイの中で自己責任を追求される。自由とはそういうものだ。そうである以上、とてもじゃないが素晴らしいと評価出来るようなものではない。
 
 ∧∧
(‥ )なにを言うか
\‐  自由を手にするために
    どれほどの努力が...とか
    食ってかかる人がね
    いるだろうね
 
  (‥ )そういう奴もあれよ
      酒飲んで愚痴るのよ
      だから
      真面目に聞くような
      意見じゃねえな
 
 
 これはhilihiliのhilihili: 自由は隷属なり そして泣く自由が最後の権利の続き
 
 
 
 

自由は隷属なり そして泣く自由が最後の権利

 
 ∧∧
( ‥)自己責任というと
 
  (‥ )自己責任というと
      例えばだな
 
 ガンは切らずに直ります。抗ガン剤も必要ありません。
 
 これを買って、読んで、信じて、そして実行した人は、その結果を自己責任で負うべきであろう
 
 いや、実のところこれも正確ではない。べき、うんぬん以前に、単純な話で、他の誰も責任を取れないのだ。
 
 例えば、分かった、じゃあ君の身代わりに僕が死のう! と言ってくれる人がいても、ガンの進行は止まらない。他の誰でもない、結果はまず第一に自分にのしかかる。
 
 べき、の問題ではないのだ。現実はそのように進行する。ただそれだけである。
 
 ∧∧
(‥ )ガンは切らずに直る
\‐  そんな本を読んで死んだ人に
    でも、それは
    自己責任だよね?
    そう言ったら
    激怒する人いるだろうね
 
  (‥ )そりゃ怒るだろうな
      でも困ったことにさ
      自分で買って
      自分で読んで
      自分で信じて
      自分で実行した
      わけだがな
 
 例えばの話、この状況でだ、出るところに出て、果たして勝てるの? という問題である。
 
 それでもしかし、人によっては言うであろう。
 
 なぜこんな本を出版社は出すのか?
 
 責任を感じないのか?
 
 ∧∧
( ‥)責任を感じますか?
 
  (‥ )俺はそんな本を
      書いたことはないけども
      責任を取れと言われたら
      やりようはあるな
 
 全ての人に四ヶ月に一度、テストを受けさせる。その得点に応じて人間をランクに分け、それぞれのランクに応じて読むべき本と、読んで良い本と、読んではいけない本をそれぞれ決める。
 
 あなた、Dランクですね? ではこの本を読んでください。読まなくちゃ駄目かって? あのね、あなたいいですか? これは義務なのです。後日、レポートの提出があります。感想文ではありませんよ。レポートですよ。合格できたら説明を受けることができます。
 
 えっ?? 今、説明を受けたい? いや、それは駄目です。
 
 はあ? 別のお医者さんの意見を聞きたいし、他の本を読みたい????
 
 何を言っているんですかあなたは。
 
 あなたDランクでしょ? 馬鹿なトンデモ医療を信じて鵜呑みにしちゃうでしょ? それで死んじゃうでしょ? そんなことはさせませんよ。勝手に読むのも駄目ですよ。もしも許可無くDランクのあなたがそんな本を読んだ場合、逮捕されて、処罰されて、Eランク行きですからね。
 
 ∧∧
(‥ )...まあこれなら
\‐  責任ある対応ですかね
 
  (‥ )自己責任も取れない奴に
      自由に本を選ぶ自由なんか
      与えられるわけが
      ないからな
      判断の自由も無い
      考える自由も無い
      その代わりに
      死ぬ自由も
      行使出来ないわけだ
 
 責任というのはこういうことだ。自己責任が無い世界に自由なんかあるわけがない。責任も判断もできない人間に自由など与えられるわけがない。
 
 だが、人にとってはこう言うのではないだろうか?
 
 おかしなトンデモ本を無くせと言っているのだ、と
 
 ∧∧
(‥ )でもトンデモとまっとうの
\‐  区別なんか
    一律につけられないよね
 
 (‥ )ケプラーは星占いを
     信じているが故に
     業績を上げた
     ケプラーの宇宙論は
     神秘で出来ている
     ガリレオはその反対だ
     彼は星占いを否定し
     それで失敗した
     その失敗を教会に突かれて
     彼は失脚したのだ
 
 トンデモだから一律に規制せよ、それは言論の自由の侵害だ、とか言う以前の問題なのである。
 
 トンデモでもなんでも、それは間違っていても役立つことはあるのだ。それゆえに一律に否定することなどできない。
 
 ∧∧
( ‥)ガンは切らずに直ります
    抗ガン剤もいりません
    これが役立つ側面が
    あるとは思えませんけどね
 
  (‥ )そうだろうな
      では個別の問題として
      考えてみようか
 
 ああ、しかし、ここまで来て、結局、話は振り出しに戻ってしまうのである。
 
 ガンは切らずに直ります、この手の本は、”自分で判断して自己責任を取れる大人”が買うべき場所に置かれているのだ。
 
 実際、隣にはもっとまともな本もあるのだから言い訳はできない。
 
 しかも、作者は嘘を書いているわけではない。単に間違ったことを信じているだけだ。間違っていること、これ自体は意図的な嘘ではない。つまり少なくとも意図的な詐欺にはなりえない。
 
 この状況において、この本を規制せよ、というのはいささか厳しい。
 
 ∧∧
(‥ )自由とは恐ろしいものである
\‐ 
 
  (‥ )1984年のスローガンに
      あるだろ?
      ”自由は隷属なり”
      あれは正しいのだ
      自由とは
      現実への屈服なのだ
 
 以上を見れば分かるように、自由とは、あまりにもろくでもないものである。実際、人間を自由にすると不幸になったり、あるいは死ぬのである。というか、そういうことが普通に起こる。親が、子供に敷かれたレールの上を歩かせようとするのは、実のところまったくの正論なのだ。
 
 つまり、人間を幸福にする道とは
 
 考えるな
 判断するな
 疑問を持つな

 である。
 
 ∧∧
( ‥)でも幸福の道は
    不安定なんだよね
 
  (‥ )幸福は最適解だが
      変動する世界において
      固定された最適解は
      存在しない
      我らの世界は修羅の世界
      果てしなき軍拡競争を
      続けねばならぬ
      この世界では
      考え、判断し、
      疑問を検討することが
      強制されるのだ
      そしてもちろん
      失敗したら死ぬのだ
 
 つまり諸君、これは福音である。誰もが幸福になることを一切許されないであろう。それがゆえに自由は世界に君臨し、自己責任が強制される。すべての民が自由の前に屈服し、自己責任に隷属し、呻吟するであろう。
 
 自己責任の地獄が世界に顕現するのだ。これぞ自由の道である。
 
 ∧∧
(‥ )泣きたくなるような話だね
\‐
 
  (‥ )いくら自由だ
      自己責任だ
      これは覚悟だと言ってもな
      みんな最後はつらいのだ
      格好良くは
      死ねないしなあ
      いやな世界だよね
 
 そして、愚痴をこぼし、泣く自由だけが最後の権利として残る。
 
 
 
 

2015年2月9日月曜日

知性はまるで無意味で馬鹿げており、必然性は無い

 
 ∧∧
(‥ )知性っていうのは
\‐  問いを問い続ける
    能力のことだ
    そういう見解がありますね
 
  (‥ )ああ、つまり
      知性とは壮大な
      無駄自慢ということだな
 
 やはり、この宇宙で人類以外の知的生物はいなってことなのだろう。こんな無駄自慢の器官が発達する進化。その器官の存在意義が無駄である以上、この進化は必然ではない。この進化が必然でない以上、人類以外に知的生物は存在しないだろう。
 
 ∧∧
(‥ )まあ厳密に言うと
\‐  必然でなくても
    どこかの星で無駄自慢進化が
    起こって
    知的生物が誕生する
    そういうことは
    ありうるのでしょうね
 
  (‥ )だからより正確に言えば
      銀河の恒星が1000億
      そのすべてに惑星があって
      そのすべてで
      生物が誕生しても
      そこから
      無駄自慢進化が起こって
      知的生物が誕生する確率は
      非常に低く
      銀河系に知的生物は
      まずほとんどいない
      そう言うべきなんだろうな
 
 
 分母が1000億なので、さすがに0ということはないし、少なくとも人類が存在する以上、現在のところ分子が1であるのは確実だ。
 
 ∧∧
( ‥)でもこれが10とか
    100とかならまだともかく
    1000とか1万とかには
    ならないだろうと
 
  (‥ )問いを生涯発し続ける
      これは完全に狂気のさた
      だからな

 
 問いの追求こそ知性である。ドヤ顔して言っている場合ではない、それは気が狂っているのだ。つまり狂った猿、それが人類、ホモ・サピエンスである。
 
 確かに狂気の沙汰としか思えない進化、これ自体は起こりうる。人類がそうであるし、あるいはクジャクを見れば、それは分かること。
 
 ∧∧
(‥ )でもクジャクさんの尾羽は
\‐  すでに役割を終えつつあるという
 
  (‥ )こういう必然でない進化は
      必然でないだけに
      不安定なんだよね
 
 つまり、人類も知能を二次的に失う道がありうるってことなのだろう。
 
 ∧∧
( ‥)でもあなたたちは
    この進化を440万年
    続けてきたよね?
    結構長いよね?
 
  ( ‥)どうなんだろうな?
    ‐□ 僕らホモ・サピエンスが
      誕生してから
      最低でも20万年が
      経過しているのだけどね
 
 ところが、人類が文明を築いたのは、ここ1万年の間でしかない。それも氷河期が終わった後のこと。実際には氷河期は終わっていないから、これは、一時の温暖期に手にした栄光でしかないのかもしれない。
 
 つまり、人類が技術を手にして、このまま宇宙まで進出し、知的生物として永久にやっていけるのだ、という展望を抱けるようになったのは、たまたま運が良かっただけなのかもしれない。
 
 本来だったら氷河期が存続し、文明を築くこと無く、そのまま知性を二次的に失っていたのかもしれない。
 
 あるいは今の状況も、単に足踏みをしているだけかもしれぬ。いずれ遅かれ早かれ、氷河期が戻ってくるだろう。そうしたら文明は消え去る、そして人類も知性を失う。それだけのことなのかもしれない。
 
 ∧∧
(‥ )人類は二次的に知能も知性も
\‐  失うかもしれないし
    他の惑星で誕生した
    知的生物も不安定で
    二次的に知性を失うのかも
    しれない
    すでに何度も知性は
    産まれたけど
    何度も消えたのかもしれない
 
  (‥ )やっぱ知的生物は
      この宇宙にいない
      分母が巨大なので
      厳密にはそうではないが
      存在しないという結論は
      ほぼ近似値である
      そう考えるべきだろうな
 
 考えてみれば、銀河を探しても知的生物が存在する証拠がまるで見つからない、というのはこの結論と整合的ではある。いくら銀河のチリやガスで見通せる領域が狭いとは言え、まったく見つからないというのはあまりにも否定的な証拠だ。
 
 ∧∧
( ‥)そういえばSF的な説明だと
    知的生物は乱開発をして
    すぐ絶滅する
    文明の寿命は短いから
    異なる文明の遭遇はない
    そういう解釈があるけど
 
  (‥ )それってさ
      実は知性主義者が
      世の中を蔑視して述べた
      皮肉な見解でしか
      ないんだろうな
 
 我々の文明を見よ。こんな愚かなものが存続できるわけがないではないか!
 
 これは単なる文明批判であるし、意地悪に言えば悪しき世界の欠点を指摘できる俺ってすげー、という無駄自慢であるし、あるいは安易な中二病でしかないとも言える。 
 
 言ってしまえば、このような見解は知性主義的な主張であるし、そうである以上、聞くに値しない。
 
 ∧∧
(‥ )文明批判と悲観論は
\‐  実のところ知性主義であり
    知性偏重主義でしかない
    知性の無意味さを
    認識しているわけではない
    むしろ逆である
 
  (‥ )知性ってまったく無駄だし
      知性に意味なんかないよ
      というかそもそも
      知性なんて
      ただの無駄自慢でしょ?
      そういう見解では
      ないんだよね
 
 知性がまるで無意味で馬鹿げたものであること、知性を尊ぶ人々の言動や価値観や行動を見れば明らかである。
 
 踏まえるべきはこれだろう。
 
 そしてこのことを踏まえると、知的生物はこの宇宙に存在しえない、それは必然性がなく、たまたま誕生しても不安定ですぐに消えてしまう。そういうことになる。
 
 ∧∧
( ‥)逆に言うとこの銀河には
    かつて知的生物だった
    知性を二次的に失った生物が
    いっぱいいるって
    ことですかね?
 
  (‥ )ああ、それは
      見てみたいね
      それは興奮させられるな
 
 
 人類も、遠い未来、異様な捕食者や植物食動物になって、再生した地球を闊歩しているのかもしれぬ。それはそれで壮観だろう。
 
 

      

お母さんみたいなことを言われると立場がなくなるのです

 
 少なくともあれだ。
 
 自己責任だと見捨てるな。どんなことをしてでも助けろ!
 
 それを要求として政府に突きつけた時、
 
 じゃあ渡航の自由とか制限しますね
 
 こっから先は立ち入り禁止ですよ、入ったから逮捕しますね
 
 こういうことを政府が始めた時、これを否定することが出来なくなる。
 
 ∧∧
(‥ )少なくとも
\‐  否定した場合
    言葉に矛盾が生じるのは
    確かでしょうね
 
  (‥ )自己責任だと言って
      見捨てるな
      でもこれは俺の自由だから
      好きにさせろ
      これでは
      ただの我がままだからな
      言葉の正当性が
      無くなってしまう
 
 人間はお互いの利害関係で動き、相手を推し量り評価する。
 
 確かに世の中には、親や先生にプログラムされた理念や理想のままに動き、俺の主張は理念に沿っているからこれで良いのだ、そう傲然と胸を張る人間もいるだろう。
 
 しかし、理念はただの上っ面にすぎぬ。人間関係と利害関係という根本の上っ面が理念とか理想とか道徳とか社交だ。
 
 それゆえ、理念で物事を正当化しても、人間関係という点で駄目出しされたらそれで終わりだ。同類以外は誰も支持してくれない。そして世の中の大部分の人間は理念なんかで縛られた人々ではなく、教育というプログラムの通りに動く機械でもない。大部分の人間はもっと人間的である。
 
 そういう意味でいうと、
 
 危険地帯に入ったのだから、それはその人の自己責任だろ? 恥さらしだから見殺しにして良いよ
 
 という意見に対しては
 
 まあまあ、そうおっしゃらずに。彼らが持ってきた情報をあなたも知らぬうちに見ているわけですし、それで知ったこともあるのですよ。
 
 そう言うべきなのだろう。
 
 少なくとも、自己責任なんて主張は民意がなっていないだの、それは村八分の論理だの、そんなことを言う必要はない。その手の主張は、じゃあ個人は責任を取れないのですから皆さんの自由を規制しますね、そうやって統制が始まった時にうまく反論できない。
 
 あるいはこう言う人もいるだろう。
 
 そもそもああいう連中は金のためにいったんだろ? そんなの自業自得じゃんよ。
 
 これに対してならもっと具体的に答えることができよう。
 
 さよう、自業自得です。自分の業で自分が利益を得た。それは賭けであり、その対価が金であり、あるいは名誉でしょう。とはいえですな、金のことをおっしゃるが、金が手に入る。これは重大なことを示唆しているではありませんか? 例えば100万とかそれ以上で映像が買い取ってもらえたとしましょう。なぜ買い取ってもらえるか? それは売れるからで、売れるからには需要があるのです。つまりですな、あなた方も知らずに買ってこれらを消費しておるのですよ。知らぬからといって、そう無下に否定するのはいかがなものでしょうか? あなたも彼らが提供したものを楽しんで消費していたのですよ。
 
 ∧∧
( ‥)まあなんかあれですか
    こういう言い方なら
    おかしなことをする
    フリーランスな人間も
    皆と関わりがあって
    色々な話の供給者である
    それが分かってもらえますかね
 
  (‥ )少なくともだ
      なんでもいいから
      助けろとかさ
      そういうお母さんみたいな
      ことを言われると
      フリーランスの人間は
      立場がなくなるのよね
      そういう弁護よりは
      ましだと思うのだがな


 これはhilihiliのhilihili: 見捨てられる権利を奪われるのは困るの続き
 
 
 
 
 

2015年2月8日日曜日

見捨てられる権利を奪われるのは困る

 
 
 ∧∧
(‥ )なんか
\‐  フリーのカメラマンで
    シリア入りを予定していた人が
    旅券の返納を命じられたと
 
  (‥ )ほら
      自己責任でない世界では
      こういう干渉が行なわれる
      自己責任が通らない世界は
      困るんだよ
 
 こんなことなら、
 
 えっ? 危険地帯に入って捕まった? そんなの自己責任だろ? 見捨てろよ、馬鹿馬鹿しい
 
 皆にそう言われた方がずっと良い。
 
 ∧∧
(‥ )反対に自己責任論は不当だ!
\‐  この考えの延長には
    じゃあ個人は
    責任を取れないのだから
    個人の自由を奪おうね
    そういう対応が出てくる
 
  (‥ )自己責任論は不当だ!を
      言い出した人間は
      そんなつもりは
      ないのだろうが
      結果としてはそうなるのだ
 
 
 個人が自分の責任で賭けて破滅したこと、これを皆が笑うのはどうでも良いことである。

 そりゃ笑うだろう。
 
 だがしかし、ここで誰かが言い始める。その叫びの動機は理念かもしれないし、あるいは政治利用かもしれないが、彼らは叫ぶ
 
 笑うな、あの人を見捨てるな、みんなで助けろ、そのためにはどんなことでもしなければいけない! 
 
 言っていることは立派だ。だが、こんなことになったら、全員がちょっと待てよ、と思う。
 
 まず笑っていた人間は面白くない。助けるために自分たちの税金が投入される。つまり損をする。
 
 対応するべき人間も困る。普通でさえ困るのに、政治問題になるともっと困る。対応を厳しくしなければならない。
 
 ∧∧
( ‥)そりゃ旅券も
    取り上げるだろうと
 
  (‥ )今回のことが
      ポーズなのか
      見せしめなのか
      判断なのか
      あるいはこの場合は
      ちょっと困るので
      非常手段です、なのか
      どれなのかは
      知らんけどな
 
 とはいえ思うに、政治問題にされたら問題は発生しないようにしなければならない。そうなったら、そりゃあ自由を制限することになるだろう。
 
 ∧∧
(‥ )ほくそえむのは
\‐  政治問題にした人たちや
    自己責任論は不当だと
    言い出した人たちですかね
 
  (‥ )ある意味
      彼らの言い分も
      正論ではあるのだ
      個人では責任が
      取り切れない問題に
      なってしまうからな
 
 テロリストに捕まって全世界に公開されたら、自分一人の責任ではなくなってしまう。政府も官僚も動かなくてはいけない。自分一人で責任を取る、と言っても、取り切れなくなってしまう。
 
 ∧∧
( ‥)だから自己責任論は不当だ
    という主張はその意味では
    正論なのである
    一人で取り切れない責任は
    皆で助けないといけない
 
  ( ‥)でもさ、それを過剰に
    ‐□ 言い立てて
      やたらと政治問題にすると
      個人の自由は制限される
      統制されてしまうのだ
      当たり前だよね
      個人に責任が無いのなら
      自由なんてあるわけがない
 
 確かにもとからそういう制限はあろう。それゆえ例えば、救え、救えの大合唱がなかったとしても旅券は取り上げられたのかもしれぬ
 
 だがしかし
 
 自己責任だから見捨てるとは大声では言えないけれど、やっぱり自己責任だからね。それに助けようもないし、形だけの対応をするね
 
 という世界と
 
 自己責任ではすまされない。政府は何をしているのか? どんなことをしても助けろか....、助けようが無いが、そう言われてしまったら、面倒をこれ以上起こすわけにはいかないなあ
 
 という世界とでは判断にかかる圧力に違いがある。
 
 圧力の違いはずれを生む。そのずれは統制につながるだろう。
 
 ∧∧
(‥ )こんなことなら
\‐  自己責任だよねと
    見捨てる世界の方が
    自由があるし
    ありがたい
 
  (‥ )別に自分は
     戦場カメラマンじゃないけど
     フリーの立場からすれば
     自由と自己責任と
     見捨てられる権利を
     奪われるのは困る
     おまんまが食えなくなって
     しまうからなあ
 
 危険だけども実入りがあるからいくのである。実入りが金なのか名誉なのかは知らないが、少なくとも、それは自己責任だ。これはいわば賭け事である。
 
 自己責任とはギャンブラーにとっては頼もしい味方である。だがしかし、自己責任は自分を殺す死神でもある。かように自己責任は恐ろしい、だが必要だ。もちろん、賭け事をしている連中は超人ではない。失敗すれば泣くしわめくし、助けを請うが、それが無駄であることもまた、皆、承知の上だろう。
 
 それに対して、自己責任は不当だ! と言い立てる意見はむしろ困る。
 
 味方のように見えて彼らは、問題を無駄にでかくして、責任を公共の場に持ち込んで騒ぎ立てる。そうして結果的に賭場をつぶしてしまう、駄菓子屋が立ち入り禁止になってしまう。良かれと思ってやっているが子供の楽しみを奪う、無駄に元気で口うるさい視野狭窄な母親のようだ。
 
 これは規定の線路の上を走る人生から出てくる世界観だ。
 
 自己責任論は不当だ! と言い立てていた人がフリーであるとは思えない。
 
 
 これはhilihiliのhilihili: 自己責任論が無い世界では困りますの続き
 
 
 
 

理想論は条件に理想を要求するので挫折する

 
 ∧∧
( ‥)ようするに
 
  (‥ )理想論ってあれだろ?
      1日16時間仕事すれば
      〆切に間に合うとか
      今、3時間の仮眠をとって
      明日徹夜すれば
      間に合うはずだとか
      そういう理屈のことだろ?
 
 
 理想論は理想状態である時にのみ成立する。
 
 理想論を述べた時点で、理想を抱いた時点ですでに負けである。
 
 ∧∧
( ‥)そして実際
    理想論を叫ぶ人は
 
  (‥ )青筋立てて
      声を張り上げているだろ?
      もう負けてるんだよ
      負けているから
      努力と反復と大声と
      つまり精神論に逃げておる
 
 これはもう現実の操作じゃない。気力と言葉を累積させれば世の中が動くはずだ、という精神論であってオカルトだ。
 
 そして考えてもみれば、歴史も人生も経験も身の回りも、全部そうして青筋立ててがなりたたていた理想論者が次々に死んでいくことの繰り返しであった。
 
 それを見ていないとは言わせん。
 
 理想論はそれを成立させる条件、それ自体に理想を要求するので、必然的に挫折する。
 
 
 

冒険したら死んじゃうよ?

 
 ∧∧
( ‥)要するに原理というか
    動機は単純で
 
  ( ‥)人間は自分の利益を
    ‐□ 最大にしたいけど
      体の構造上
      一人では生きていけない
      だから皆で暮らすから
      他人との妥協を
      余儀なくされる
 
 
 というわけで、全員が不平不満だらけだ。
 
 これは口先では平和と理想を言い立てる連中も変わりない。というかむしろ不平不満は普通の人より強いであろう。
 
 不平不満があるから理想を述べるのか、あるいは理想があるから不平不満を述べるのか
 
 いずれにせよ、理想が強いからこそ、衆愚政治に走るこの愚民共! と絶望し、あるいは、僕のような天才が成熟した民主主義の旗手にならねばなるまい! とか鼻息が無駄に荒くなる。
 
 ∧∧
( ‥)やめとけと
 
  (‥ )プラトンの昔から
      そういう理想主義は
      全員が失敗している
      それゆえ
      当然失敗するわけよ
 
 つまるところ、僕には愚民共には分からない成熟した民主主義を実現する理想社会のプランがあるのだー! とか絵に描いたように駄目な評論家ぶりを発揮して口先だけの人生を送っていればよろしいのである。
 
 ∧∧
(‥ )実行したら死にますよ、と
\‐
 
  (‥ )死んだ連中はまだ
      いさぎよいだろうな
      自分の失敗した計画に
      殉じたわけだからね
 
 もっとも、死ぬ前に色々と騒動を引き起こすので、やはり、迷惑な人ではある。
 
 ∧∧
( ‥)そうしないなら
    口先だけにしておけと
 
  (‥ )事業の夢を熱く語りながら
      永久に起業しない
      奴のようにだな
      口先だけの人生が
      一番良いのだよ
 
 そういうわけ、熱き夢を語る諸君。今日も口先だけの理想論で平穏無事に、冒険無き人生を歩もうではないか。
 
 だって、君、冒険したら死んじゃうよ?
 
 人生は脱力系に限る。
 
 

2015年2月7日土曜日

自己責任論が無い世界では困ります

 
 ∧∧
(‥ )あなたとしては
\‐  自己責任論の方が
    まっとうですよ、と
 
  (‥ )自己責任だから
      自由や無法が
      できるのでな
      それが無いと言われたら
      窮屈で困るのよねえ
      
 
 自己責任がない世界では、これはしてはいけません、ここは危険だから入るな、入ったら逮捕します、この人生を歩まなくてはいけません、言われた通りにしなさい、こう発言しないと駄目です。それができないのなら逮捕します、そうなるだろう。
 
 というか、そうでないといけないのだ。個人に責任が無い世界では自由なんてない。個人の責任でことを行なった人間を見捨ててくれるような社会でなければ自由はない。

 自己責任が否定された世界は国家のみが責任を持つことになるだろう。そこにあるのは絶対の統制だけである。
 
 ∧∧
( ‥)今の世界だと
    国家が出来ることは
    ”この地域は危険だから
    入らないでくださいね”
    そう口頭で言うだけだよね
 
  ( ‥)自己責任は不当だ
    ‐□ そう主張すると
      じゃあ統制しようね
      そういう話に
      なっちまうからな
      それを考えれば
      口頭で言いました
      テロリストの主張は
      聞きません
      やれることはほとんど無い
      これはまっとうな対応だし
      そうでないと困る
 
 
 もちろん、自己責任は不当だ、と言っている人はそんなことを言いたい訳ではないのかもしれない。単に、危険地帯にわざわざ自分からいったのだから助ける必要なんてなくね? という突き放した意見が気に食わないだけなのかもしれぬ。
 
 しかし、それだったら、まあそう邪険に突き放すな。ああいう人たちが書いた記事をお前も知らずに読んで利用しているのだよ、難しいこと抜きに面白いだろう? そう言えばすむ話である。
 
 ∧∧
(‥ )でもそうじゃなくて
\‐  自己責任は不当だ不正だ!
    そう強行に主張する人もいる
 
  (‥ )ほら
      自己責任は理不尽だ
      そう主張する
      ご本人たちが
      率先して統制に走っている
 
 
 自己責任などという言葉を使うな、そういう態度を示すな。それは統制に他ならない。
 
 確かに矛盾はないのだ。自己責任の無い世界に自由はあってはならぬ、混沌も無法もあってはならぬ。あるべきは、これをすべきである、この言葉を使うべきである、この言葉は使うべきではない、こういう態度を示すべきである、あるいはべきではない。べき、べき、これだけが折り重なった、いかれた教育ママのような統制だ。
 
 理想論者は政敵をファシストとののしるが、実際には自分以外の理想を弾圧しているだけで、その根本は相手以上の統制と独裁である。そこに自由と無法はない。

 そしてそんな世界はつまらんのだ。
 
 
 
 
 
 

空を飛べたのは理念のおかげではありません

 
 
 危険地帯に入り込んだのは自業自得だ、心ない人はそう言うが、このような自己責任論は村八分の論理であり不正である。民主主義国家の人間とは思えない発言だ。
 
 ∧∧
(‥ )...以上のようなご意見が
\‐  世の中にはありますよ、と
 
  (‥ )この手の意見には
      色々突っ込みどころが
      あるけども
      ここで考えるべきは
      ”その意見は現実を
       説明できていないよね”
       という点かなあ
 
 自己責任論は不正である。
 
 そうはおっしゃるが、とはいえしかし、世の中の人の反応は平均化するともう少し複雑であろう。 
 
 例えば捕虜になってしまったヨルダンのパイロットに、自己責任で自業自得だ、なんて言う奴はいない。いたとしてもそんなもの、ノイズのようなもので無視できるレベル。
 
 ∧∧
(‥ )国家と責務に殉じた人に
\‐  自己責任を押しつける人は
    そうはいないのだと
 
  (‥ )人間がどう考えて
      どう行動しているのか
      それが分かるだろ?
 
 リスクを負って栄誉を手に入れる。同じことをしてもフリーのジャーナリストは自己責任と言われ、これに対し、軍人はそう言われない。
 
 ∧∧
( ‥)違いは
    社会に貢献するか否か?
 
 (‥ )ぶっちゃけた話
     自分に利益を
     還元してくれるかどうかだね
 
 社会に利益を還元してくれるのなら、彼を見送り、栄誉を与え、彼に侮辱的な死が加えられたら怒り、国家が報復を開始し、それを人々は是と見なす。
 
 これがフリーであると自己責任だ。
 
 フリーであれば、自分一人でリスクを負い、それゆえに栄誉は独り占めできる。つまり自業自得である。フリーとはそういうものだ。しかし賭けに負けたら、皆は、それはお前の選択肢であり、その結果である、責任を取れ、そうやって突っぱねられる。つまりやはり自業自得である。
 
 人々はフリーの人間とそうでない人間を明らかに識別している。
 
 皆は自分自身の行動を口ではうまく説明できないかもしれないが、行動を見れば以上は明らかだろう。
 
 ∧∧
(‥ )人々の態度の違いを見ると
\‐  人々の行動原理が
    見えてくるであろう
 
  (‥ )話を戻せば
      自己責任論は不正である
      この主張は
      理念を主張しているだけで
      この現実を説明できて
      いないのだ
 
 現実を説明できない論に未来はない。幾ら高邁な理念であっても行き着く先は挫折の道である。
 
 ∧∧
(‥ )そう言うとあれだね
\‐  そうやって現実に妥協するから
    世の中はいつまでも
    不正なんだ
    そう言う人が必ず
    出てくるけどね
 
  (‥ )その手の論はあれよな
 
 力学から考えて人間は自力では空を飛べない

 あなたがたは力学なんてもので自然に妥協するからいけないのです。だからいつまでたっても人は鳥になれないです

 そう言うのと同じであろう。
 
 ∧∧
( ‥)現実を説明できる理論こそが
    現実を変えうる
 
  (‥ )力学の延長線で
      飛行機を作ったようにな
 
 空を飛べない人が空を飛べるようになったのは、現実を見据えたからだ。理念はエンジンと翼を作る役には立たん。ましてや現実を説明できないような理念では話にならないだろう。
 
 
 ∧∧
( ‥)事実として

 (‥ )実際、この手の人たちは
     理念を語り現実を批判し
     そして絶望していないかい?
 
 
 それは要するに失敗したってことだよね。それもこれも、その高邁な理念とやらに説明能力や操作能力が無いせいだ。ポンコツな理論では現実の操作は不可能。動かない車でドライブすることはできまい。
 
 
      
 

2015年2月6日金曜日

40年、50年生きているとやばい局面はあるでしょ


 
 人間、40年、50年と生きていると、1回か2回ぐらい、やばいことに触れることがある。もちろんやばさは人それぞれ、事例それぞれで違うだろう。
 
 ∧∧
(‥ )そのやばい事柄に
\‐  手を出すかどうか、ですか?
 
  (‥ )それがだな
      気づいた時には
      もう避けられない
      そういうこともあってね
      気をつけて毎日を送れば
      この手の危険を
      避けられるかというと
      実はそうではないね
 
 気をつければ良いじゃん、とか言っている奴は阿呆だろう。あるいは視野が狭すぎる。
 
 やばい! これはまずい、今これを取らないといけない。だがしかし、これを取って失敗したら自分の人生が終わるかもしれない、というか死ぬんじゃね?
 
 40年、50年も生きていれば、そういう局面のひとつやふたつもあろう。

 とはいえ、以上のようなことは不可避の事故とは違う。対向車線からコンマ2秒で突っ込んでくるダンプカーとは違う。土壇場で危険を回避すること、これ自体は出来ると言えば出来る。つまり、なんだかんだ理屈をつけて逃げてしまえば良いのだ。
 
 だが逃げると面子と義理が立たぬ。しかし危険を取ったら最悪の場合、マジで死ぬかもしれない。

 この時、どうするのか? 後は本人の決断だ。
 
 そしてあるいは、危険があれば往々にして利益が手に入る。この時、利益が金である必然性はない。金が手に入るよりも面子を保ち、義理を通す事の方が重要だったということもある。
 
 あるいは普通に金の場合もあろう。あるいはそれが金と名誉である場合もあろう。金と名誉は何よりも代え難い。これを笑って馬鹿にする事は出来ぬ。
 
 だがしかし、安全圏に閉じこもっている人間はそういう事態に直面した人間の心情や判断を理解できない。というか想像もしない。この手の頭でっかちは、相手の判断を推し量るどころか、正常化バイアスだの、知ったようなようなことを言って賢し気に論評するだけである。
 
 危険を取った人間を頭ごなしに否定する人間もそうだし、それとは反対、”見捨ててはいけない、自己責任論は村八分の理論で不当である”、そう弁護を言い立てる連中もどうも怪しい。彼らとて、単に、人を救わねばならぬ、そういうプログラムに沿ってしゃべっているにすぎぬのではないのか。
 
 ∧∧
( ‥)でも本人にしてみれば
    意味も理由もあれば
    止むなしであったのだと
 
  ( ‥)そして失敗すると
    ‐□ どうしても言われるのだ
       自己責任と自業自得
 
 こればっかりはしょうがない。危ないことをする時、なぜしたのか? と問われたら理由を述べることはできる。だがしかし、
 
 理由も動機も分かった。言わんとすることは分かる。だけど決断してその結果を得たからには、それは自業自得ではないのか? 
 
 そう言われたら、そうだね、としか答えようが無い。
 
 ∧∧
(‥ )みんなリスクをしょって
\‐  賭けに出て
    名誉と金を掴み
    しかし時々、死んでしまう
 
  (‥ )投資やギャンブルと同じよ
      理由も動機も説明できるが
      でも責任は自分で
      負わねばならぬ
 
 実際、ギャンブルや投資で金を吹っ飛ばしてしまった時、本人以外、誰も責任を取れない。取りようが無い。
 
 代わりに、ギャンブルや投資で得た利益は本人のものだ。それは本人がリスクを負って手にした正当な対価であり、利益である。
 
 自らの業で自ら利益を得た。これは正当。
 
 ∧∧
( ‥)それは誰も否定しないのだよね
  
  (‥ )否定しないね
      代わりに賭けで破滅しても
      それはやはり同じこと
      それもまた
      自らの業で得た結果
      つまり
      自業自得だろ? と
      誰もが肩をすくめて
      見捨てるだけだな
 
 実際、救おうにも救えないのだからどうにもならない。
 
 ∧∧
(‥ )どうしたものでしょうね
\‐
 
 (‥ )国家官僚や政治家は
     義務を果たすだけだな
     助けられない
     それが分かっていても
     やらねばならないことがある
     それこそ面子と義理なんだが
     政治ってそういうもの
     だからね
     そしていつもそうなのだ
     これからもそうである
      
 ∧∧
( ‥)それ以外の人は?
 
  (‥ )ご本人の愚痴を
      聞いてあげる
      やれることって
      それくらいじゃね?
 
  
 

ブログ アーカイブ