自己紹介

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2011年8月5日金曜日

そこに市場はあるか?

 
 例えばの話、どこでもドアが普及した時代、ドアが接続していない隣町まで歩いていく奴はいない。ドアの接続をカットしてしまえば、ひとつの地域を丸々隔離できる。
 
 ∧∧
( ‥)言い換えれば、接続さえ切ってしまえば
    情報の隔離は可能。
 
    (‥ )見方を変えればビジネスチャンス
        でもあるんだ。歩いてそこまでいって、
        隔離された情報を持ち帰って
        売る、そういう商売が成り立つ。

 もっともこれ自体は昔からそうであったことでもある。記事は足で書く物だ、というのは確かにそうなんだろう(反対に言えば、ネットも調べず、足でも書かないとしたらマスメディアは終わりだ)。
 
 ∧∧
( ‥)ネットの普及は情報を広めることにも
    貢献するけども、情報を隔離することにも
    貢献しうる。
 
    (‥ )前者の視点からは商売がしにくくなった
        後者の視点からは商売がしやすくなった
        どっちの見方も可能だね。
 
 ∧∧
( ‥)問題はtumblrのように編集されたコンテンツが
    ネットで見れる、ようするに”ただ”で雑誌が
    読める時代になったということですよ。
 
    ( ‥)この状況下で売れるコンテンツとは何か?
  
 先日、面白い話を聞いた。ネット上でこんなやり取りがあったという。
 
Q:進化論は見直しがされているのか

A:自然選択説が疑問視されている。
:生き物が少しずつ変異を積み重ねるとして、変異を持った生物は生存に不利だろう
:角を持たない生物から角という協力な武器を持った生き物に進化していくとする
:その進化途中の微妙な角を持つ生物は代謝の上で不利ではないのか
:もしその程度の不利さは影響ないっていうのなら自然選択自体が弱体化することになる
:地理的な隔離や塩基配列の無意味な変異が進化につながるという説も出てる
 
 ∧∧
( ‥)...これ、あからさまにメンデル遺伝を
    忘れてますよね?
 
     (‥ )忘れてるね。
 
 例えばO型の血液型にだけ作用する病気が出現したとする。当然、O型の人は子孫をあまり残せなくなるので数を減らす。しかしO型の遺伝子はそう簡単には消滅しない。
 
 ∧∧
( ‥)O型は劣性遺伝ですから。
 
    (‥ )AOの人の血液型はA型。
        BOの人はB型。外見上、
        O型はあらわれないから
        淘汰にはかからない。
 
 100人に1人AOが、1人BOがいるような状態では、子供の遺伝子型がOOになってO型の血液型が発現するという事態はそうそう起こらない。こうして不利な遺伝子が集団の中にストックされる。
 
 ∧∧
( ‥)そして今度は逆にO型が有利になる
    状況になったら
 
     (‥ )O型が増え始めるなあ。
 
 これはひどく問題を単純化しているけども、まあそういうこった。その変異が有害あるいは何らかのコストがかかるから、ただちに消滅する、なんてことはまあない。むしろ逆。発現しないだけで大量にストックされる。
 
 私たちの遺伝子にある変異は膨大で、実際、発現すれば死に至るような遺伝子さえ誰もが抱えている。2組の染色体が対になり、優性(優秀という意味ではないことに注意)な遺伝子が発現するという仕組みなので、そういった有害な遺伝子が覆い隠されている/マスクされている。だから一見するとそういう変異がないように見えているだけ(*優生学なんて意味ないよね、という論拠はひとつにはここにある)

 そして状況いかんによってはそれまで不利だった遺伝子がいきなり広まり始める。薬物や農薬、猫いらずに対抗できる昆虫やネズミの遺伝子は、通常の環境ではコストがかかって不利なものだ。
 
 つまるところ、先の説明は、ようするに間違いである。
 
 ∧∧
(‥ )それにしてもこの間違った見解に
\-   いかなる意義を見いだしますか?
 
    (‥ )そうね、まず以下のように考えた。
 
:ベネフィット(利益)とコストを考慮して疑問を抱いたのは頭が回っている
:ただメンデル遺伝を忘れている(だから間違っている)
:しかしメンデル遺伝も、A型にはAOとAAがあるということも、実のところ誰しも知っているか、言われればそうだったわ、というありきたりな知識だったりする
:このことは私たちはばらばらの知識を知っているだけで、相互的に、あるいは体系的に、あるいは妥当な理論としての形で知識を理解しているわけではないことを示している。
 
 ∧∧
( ‥)まあ、当たり前ですね。
 
    (‥ )月が天を動くことは誰でも古代から
        知っていることだが、天空をまま運行している
        という古代バビロニアな解釈からギリシャの
        天球を仮定した天動説、ケプラーの
        地動説と解釈が変わるのだから
        そりゃ当たり前なんだよな。
 
 そしてもうひとつこうも考える。
 
:コストとベネフィットを考えた先の説明は間違ってはいるが、着目点は良い
:さらにこの説明には注目が一部で集まった(らしい)
 
 ∧∧
( ‥)つまり?
 
     ( ‥)人間は何かを肯定する時、
         論の正しさに注目するもんだ
         先の説明に注目が集まったのは
         このレベルの論の正しさを
          把握し、評価できる人々が
          いることを示している。
 
 ∧∧
( ‥)メンデル遺伝とか考慮していないから
    あからさまに間違いなんですけどね。
 
     (‥ )それは論の正しさと結果の正しさは
         全然関係ないってことでもあるね。
         ここで注目したいのは
         どうもこの論の正しさに着目して
         評価できる人々の層があるってことさ。
 
 *注:論理が正しいが間違っている。例えば正しい文法でしゃべり、使用している単語の定義が正確に定義され、名詞の包含関係が正確に設定されていてもなお、その文章がとんちんかんになるということはありえる。端的に言うと、単語が正確精密に定義できている、ということと、単語の定義が実体験に照らして正確あるいは妥当である、というのは意味が全然違う。
 
 ∧∧
( ‥)つまり?
 
     (‥ )これに注目できる人々がいるのなら
         俺、もっと複雑なこと書いても良いと
         思わんかね? 売れるんじゃないかな?
 
 ∧∧
( ‥)ようするに隔離された場所から
    情報を持ち帰って売る時、
    それなりに複雑なものでも
    良いのではないかと?
 
     ( ‥)子供向きの本しか書いたことないし、
       -□  基礎的なことしか書いたことないんよ
          でも、もっと応用的なことを
          書いてもいいんじゃないのかな?
 
 先のアンサーは色々な意味で間違っている。しかしコストとベネフィットに着目した点はかなり良い。そしてそれに注目した人々がいたということは。
 
 ∧∧
( ‥)楽観的に考えれば知的な
    市場があるということではないか?
     と、そういうことですか。

     (‥ )十分な規模であるかどうか
         分からんけどね。
         でも、これは福音か?...
         と思ったのよな。
 
 先日、イアペタスの記事を書いて読んだ人が言うには、最低限、分かりやすかったし、へー、だったそうだ。土星の衛星の形状や放射性物質の熱、氷の粘性の変化、レオロジーを読んで、へー、と思える人がいるということは、意外なことに、複雑な話でも、不可思議で浮世離れした話でも市場があるということではないのか。
 
 ∧∧
( ‥)難しい話、ではなくて
    あくまで複雑な話、ですね。
 
     (‥ )楽観的すぎるかもしれないが、
         試してみる価値はあると思わないかね?
  
 
 *ちなみに先のアンサーの最後にある、種分化に関して言うと、種分化は系統の分化については述べているが、系統(この場合は種と呼ばれるもの)がなぜその特定の特徴を持つにいたったのか、なせ特徴がばらけずに一定の形を保っているのかについて説明していない(説明できるのは自然選択説と中立説)。

 無意味な変化、に関して言えば、これが中立説のことだとすると、中立説が現代進化論の二本柱のひとつ(もう1本は自然選択説)であることは正しいが、その場合、じゃなんで環境にマッチした特徴になっているの? が説明できないことになる(無意味な変化では無意味なものしか出来ないことになる、という意味で)。ようするに残念ながらアンサーの最後は答えとしては不十分か答えになっていない。

 ただ、現代進化論をめぐる議論や理論のある側面を歪めてはいるし、ぼんやりとではあるのだが、一応。、伝えてはいる。

 また、こうした誤解や、あるいは受け取り方を正すことが売れるのか、あるいはこうした曲解や受け取り方それ自身が市場が望んだものなのか、どちらなのかはよく分からない(人間は、特にテストが無い状況では妥当か正しいかではなく、単に心理的に良さげに見える情報をチョイスするだけなので、妥当なものを陳列してもそれが売れるかどうかは分からない、という意味で)。
 

 
 

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