自己紹介

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2012年1月2日月曜日

僕らは時代のあだ花だったのかもしれない

 ∧∧
(‥ )改めて見てみると、去年の
\-   このblogにおける、あなたの
     投稿件数は701件なんですね
 
    (‥ )去年は忙しかったからなあ
        現実逃避というか、
        多分、病んでいたんだな。
 
 仕事以外にやることがないと、散歩するか、さもなければ
 
 ∧∧
( ‥)情報発信だと
 
    ( ‥)HPの更新は落ちたままだが
      -□ blogはてきとーなこと
        書いていればいいからね
        楽だから、楽に逃げたのだとも
        言える。良い徴候ではないね。
 
 しゃべるのは楽だ。それだけである。楽に逃げるとは、多忙もあるけども、これは老いか?
 
 ∧∧
( ‥)さりとて、誰かと会話しているわけ
    ではないですからねえ。
 
   (‥ )ほとんど一方的なつぶやきに対して
      誰かがたまに答えるtwitterを
      精神病院と例えた人がいたけども
 ∧∧
(‥ )そのコミュニケーションを精神病院扱い
\-   するなら、このblogはもっと重傷でしょう
 
   (‥ )なんかどこにいるのか分からない
      宇宙人に、というか宇宙人がいると
     一方的に仮定して信号送ってる状態よね
 
 病んでいるとしか思えないが、しかし、本というもの、それ自体が本来はそういうものなのであった。
 
 ∧∧
( ‥)本も一方的に情報発信して
    受け取った幾人かがそれに
    反応するのだと。
 
    ( ‥)書評なんてのはどうでも良いのだ
      -□ ほとんど全部勘違いと思い込み。
        本の分析というよりは、自分の
        感情の発露と発信だからな。
        だけどもごくまれに
        受け取った情報を確かに我が身に
        変えて、それのみならず、
        アップデートを試みる人がいる
 
 ∧∧
( ‥)まあ、そういうアップデートも
    多くは失敗に終わるのですけどね
 
   (‥ )だが、長い長いコピーと改良の試みと
      実際による淘汰で、改良自体は
      前進するのだ。何世代もかかるけどね
 
 例えばの話、プトレマイオスからケプラーまで、それはそれは本当に長い道のりだった。本を読んでいると、この2人には特に驚かされる。
 
 ∧∧
(‥ )そういう点では、本だって電子化と
\-  コピーをオッケーにしようよという
    過激な意見も一理はありということに
    なるんですかね?
 
    (‥ )もちろん、必要経費が著者に
        還元されにくいと、著者は
        なにかしら手を抜くので
        本の劣化が進むという意見も
        事実だろうけどもね。
 ∧∧
( ‥)どのくらい劣化が進行しますかね?
 
    (‥ )tumblrぐらいにじゃないか?
        あれは自分を広めたい人々の
        情報発信(絵と文章を含む)
        で構成されているから
        コンテンツの経費は非常に低く
        それでも成り立っている。
 ∧∧
( ‥)....問題ないじゃないですか
    あれ、普通に雑誌レベルでしょ?
 
    (‥ )だから問題であり脅威なんだよ
 
 言い換えてしまえば、コンテンツの供給を牛耳ってきた出版界とか放送界とかマスコミが、このままでは独占で無駄に肥大化してきた自分たちは、これからくる餌不足で飢え死してしまう、ひいいい、死にたくないようー だじげでええええーーー と青くなっているわけで。
 
 ∧∧
(‥ )でもさ、本って本来はこういう
 □-  巨大産業じゃなかったのですよね
    ケプラーさんやニュートンさんの
    本も刷られたのは、ごくわずかでしょ?
 
   (‥ )ケプラーは帝国の役職をもらいながら
      貧乏だったし、
      ニュートンは科学者としてではなく
      造幣局の管理職で金をもらっていたし
 
 そういう、しかし能力のあるしかるべき少数者が色々な無理をしてごくわずか作った難解な本を、それなりに賢い人が読んで、うおー!! と議論し、受け継ぎ、発展させるものだった。事実、我らはその遺産を使って生きている。
 
 金を賭ける覚悟と、人生を摩耗させる用意がある者たちだけが作り、読むもの。
 
 本ってのはもともとはそういうものだった。あれはそれなりなエリートのものでしかなく、結局、そこへ還るのだろう。
 
 人間が複数の人々から教わった知識や経験の複合体であるように、本も複数の本に由来する情報と知識の複合体。そういう意味において、本は、たとえそれが一冊の”本”であっても、individualではない。編み目のようにもつれた、複製と淘汰の連鎖の中にある結節点だと考えた方がむしろ妥当。
 
 ∧∧
(‥ )紙の本はもう出版界を支えられないけど
\-   紙の本自体は生き残る。それも、
     本来の姿へと戻る
      そういうことでしょうか?
 
  (‥ )本がたくさんの人の生活を支えられる
     消耗品だったというのは、中途半端に
     メディアが発達した時代の過渡的な
     現象だったのかもしれないね。
 
 巨大な出版界、活字を消費することに意義ありと紙っぺらを売りつける新聞社、無駄に金をかけていたマスメディア、これらはどれもこれも、所詮は未熟な時代にぶくぶく太りすぎたあだ花だったということか。
 
 まあよい、まあよい、変化する世界の中で、どうするのか考えよう。
 
 本来いたあの場所、薄暗く這いずり回る世界へ我らは還る。時に青空を仰ぎ見ることができるだけで良しとすべし。
 
 
   

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