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( ‥)でっ? どう?
( ‥)タキトゥスの「ゲルマーニア」
-□ 岩波文庫を読んだのだけども
やっぱりどうも、ローマ帝国時代の西欧(ここでは広い意味でドイツ)において、農耕は発展していなかったらしい。
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(‥ )耕作地はあったのですけども
□- 村で占有、それから皆で分配、
作付け場所は取り替えると
(‥ )麦を育てると地味がやせてしまう
そのことなんだろうな
村、といっても住居は密集していないらしい(別の文献に従えば、農耕の制限上、そうすることができない)。食べ物は果実、肉、乳製品。
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( ‥)パンもあることはあったし
-□ 魚もとっていたと、訳者の方が
注をいれてはいますが
(‥ )牧畜が主。牛はほぼ唯一の
貴重な財産で数は多いが小さい
そういうことみたいね。
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(‥ )この時代の税金って何だったの
□- でしょうねえ?
(‥ )イタリアと北海の間で成立した
交易路に交易都市があったり
したから、そこからも徴税した
のだろうけども。
あるいは、決まりの年貢をいついつまでに、どこどこへもってくるように。そう指定し、取り決めの日に毎年、徴税人が出向いたのか。
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(‥ )そういえばローマ帝国ではないけど
□- 「ヴァイキングの経済学」では
王様から徴税をおおせつかった
ノルウェーの豪族がフィン人から
貢ぎ物(毛皮やセイウチの牙)
を取り立てに遠征する話が
ありましたよね
(‥ )数十人だけど毎年、武装して
いくのよな。ローマ帝国に
組み込まれたガリアも
そんな感じだったのかねえ?
どうも文献を見る限り、帝国の穀倉地帯はチュニジアとエジプトで、イタリアなどの農地は商品作物に特化した大農園になっていた。
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( ‥)考えてみれば帝国領内だからといって
ガリアに自給できる農耕地と村がある
必然性はないのですよね
( ‥)村も農耕も発達していなくても
-□ 毛皮とかを税にすれば良いし
*以上に関しては次に続く=>*
駐屯地は輸入した食料配給で
維持できるわけだしね。
もっとも、それを確認するのが
仕事なんだが。
まあ良い。今度はガリア戦記を読もう。
*フィン人:いわゆるラップ人のこと。ラップは蔑称であるという。