自己紹介

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2012年1月18日水曜日

ゲルマーニア

 ∧∧
( ‥)でっ? どう?
 
   ( ‥)タキトゥスの「ゲルマーニア」
     -□ 岩波文庫を読んだのだけども

 やっぱりどうも、ローマ帝国時代の西欧(ここでは広い意味でドイツ)において、農耕は発展していなかったらしい。
 
 ∧∧
(‥ )耕作地はあったのですけども
 □-  村で占有、それから皆で分配、
    作付け場所は取り替えると
 
   (‥ )麦を育てると地味がやせてしまう
       そのことなんだろうな
 
 村、といっても住居は密集していないらしい(別の文献に従えば、農耕の制限上、そうすることができない)。食べ物は果実、肉、乳製品。
 
 ∧∧
( ‥)パンもあることはあったし
  -□ 魚もとっていたと、訳者の方が
    注をいれてはいますが
 
   (‥ )牧畜が主。牛はほぼ唯一の
       貴重な財産で数は多いが小さい
       そういうことみたいね。
 
 ∧∧
(‥ )この時代の税金って何だったの
 □-  でしょうねえ?
 
   (‥ )イタリアと北海の間で成立した
       交易路に交易都市があったり
       したから、そこからも徴税した
       のだろうけども。
 
 あるいは、決まりの年貢をいついつまでに、どこどこへもってくるように。そう指定し、取り決めの日に毎年、徴税人が出向いたのか。
 
 ∧∧
(‥ )そういえばローマ帝国ではないけど
 □-  「ヴァイキングの経済学」では
    王様から徴税をおおせつかった
    ノルウェーの豪族がフィン人から
    貢ぎ物(毛皮やセイウチの牙)
    を取り立てに遠征する話が
    ありましたよね
 
   (‥ )数十人だけど毎年、武装して
       いくのよな。ローマ帝国に
       組み込まれたガリアも
       そんな感じだったのかねえ?

 どうも文献を見る限り、帝国の穀倉地帯はチュニジアとエジプトで、イタリアなどの農地は商品作物に特化した大農園になっていた。
 
 ∧∧
( ‥)考えてみれば帝国領内だからといって
    ガリアに自給できる農耕地と村がある
    必然性はないのですよね
 
  ( ‥)村も農耕も発達していなくても
    -□ 毛皮とかを税にすれば良いし
      *以上に関しては次に続く=>*
      駐屯地は輸入した食料配給で
      維持できるわけだしね。
      もっとも、それを確認するのが
      仕事なんだが。
 
 まあ良い。今度はガリア戦記を読もう。 
 
 *フィン人:いわゆるラップ人のこと。ラップは蔑称であるという。
 
       

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