( ‥)つまりあれだよ、
本のあり方は、実は
人類の知能の有様を
反映しているわけだ。
∧∧
( ‥)まあ、それはそうでしょうね。
同じ授業を受けた時でも生徒個人個人で成績がばらばらになるように、一冊の本に関してであってさえ、正確に理解する、曲解する、勘違いする、理解したと思い込む、買う、そもそも買わないという分散があるのは当然。
分かったとか分からないとか、そんなもの所詮は自己申告でしかない。論文を正確に把握する人もいれば、普及書すら誤読するお馬鹿さんもいる。
しかも、本は受けるべき授業ではなく、強制的なテストでもなく、望みに応じて販売、購入されるものである以上、本の有り様はむしろ人間の知性の有様と分布、分散、その割合や数を反映する。
∧∧
( ‥)つまり?
(‥ )正しい科学の本は子供向けや
一般の普及書か、あるいは
学生以上の教科書であって、
”難しい本を読む”、自称読書家は
どちらにも手を出さずに、
むしろ複雑なトンデモ仮説に
手を出す。
一般人>自称読書家>科学者
↑
実はここがトンデモの温床
そうでないと本のこの分布と有様は説明できない。
∧∧
( ‥)そしてそれは人の知性の有り様であるのだと。
( ‥)鵜呑みと正確な推論と検証、
その両極端の間に
何かおかしな動作が入ってくる
これは本の分布を見ても
確実だってことじゃないか。
ああ? つまりやはりこういうこと? 鵜呑みをするには正しい人間を見極めれば良い。一方で正確な推論と検証をするには何か複数の要素が同時にそろう必要があって、そのうちのどれかが抜けると、読書をするし自主的に判断しようとするのだが、正確な動作が行えず、テストが不完全になる(たぶん、データからグラフを作るという作業がうまく動作していないのだと思う)。
∧∧
( ‥)本の分布、特に教科書よりも
”複雑で難解だがおかしな普及書”の
方がよりよく売れる、は人間に
対する知能テストの結果だ、
そう見るべき?
(‥ )そう見るべきだし、これは
ソフトの問題ではなくて
ハードの結果だと見るべきかも
しれない。
だとしたら科学ジャーナリズムに出来ることなどそもそも無い。
∧∧
( ‥)この状況を是正しよう、というのが
ひとつの試みでもありますからね。
( ‥)あっ、無理だ。
むしろ、この大いなる知能テストの結果をこそ、受け入れて立案するべき。