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2011年7月3日日曜日

おとぎ話と言われた人

 
 ふと、駅前の本屋で新書を手に取る。なんでも著者に言わせればアリストテレスの宇宙観はおとぎ話のようであるが、近代以降の科学者は今とは違っていても全員同じ方向を向いているのだそうだ。例えばニュートンのように。

 ∧∧
( ‥)ニュートンさんってばりばりの
    錬金術師でしょ?

   ( ‥)おまけに蔵書の多くは神学関係で
     -□ あったというけどな。

 全員同じ方向を向いているんですかねえ? というかそれこそ全員が同じ方向を向いているのでは?

 科学。

 時に人は科学は正確な知識の体系で、過去の間違った知識は科学ではない、と思うことがある。

 科学は連綿と続いて継承されてきた知識体系、、、、ではなくて、理論体系、でもなくて


 ∧∧
( ‥)なんでしょうね?

   (‥ )なんだろうね? 

 知識も引き継いでいるけども、知識を受け継ぐだけだったら研究しなかっただろう。

 既存の知識から解釈や考察を行うことで知識を拡張すること、それ自体は中世の神学者たちもやっていた(現在のオレ様理論家とかトンデモさんもこれをやる。ごくごく低いレベルではあるが)

 つまり知識、解釈、考察では科学と他の学問を識別できない。

 ∧∧
( ‥)実験、観察、観測、発掘による
    理論と仮説の検証。
    より優れた理論と仮説の発見。
  
   (‥ )それがたぶん、他の学問ジャンルとの
       大きな違いだよね。

 人間の学問大系の中で、実験、観察、観測、発掘という特徴を獲得して特化したのが科学と言えばいい? そういう点では異形の存在であるけども、他の点では共通しているし、そして当然、起源を共有し、その有様は連続しており、任意で恣意的でないと区別できない。

 *末端の科学と末端のオカルトは識別が容易だが、起源は共通しているし、起源の根幹へ近づくと識別が容易ではなくなる、という意味。例えばニュートンと錬金術。

 とはいえ、派生的な特徴を見ると、やはり識別できるし、他の学問ジャンルからは断絶がある。

 ああ、そういえばなんかこんな話を聞いたことがある。ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」。地球上における人類の各集団は環境と地形による制限を受けて、その後の運命、あるいは社会のあるべき姿、あるいは発達の速度と有り様が決定された。

 ∧∧
(‥ )でも、批判があるのですよね、
\-   人間が持つ可能性を軽視している
     とかそういう。

   (‥ )それを聞いた時に、こいつらは
       論証を問題にしているわけでは
       ないのだ、そう思ったもんよ。

 あの本の特筆すべき点は、もしこの仮説が正しいのであれば、この仮説から予想される現象や状況が観測されるはずである。実際にオセアニアで調べたところ、そのような状況が観察できた。ゆえに、、、

 
 ∧∧
( ‥)ようするに仮説演繹ですね。
    →*

   (‥ )歴史科学や社会学は人道とかの点で
       実験はできないが、実験に相当する
       検証も論証も可能だということでも
       ある。

 だが、彼の本の批判を聞いていると、それらはそういう論証/検証とはどうも別次元で展開しているらしく(例えばの話、インカを滅ぼす征服者を批判していない、という無駄な長文を投稿してきた奴もいる)

 ∧∧
( ‥)つまり?

   ( ‥)まあ、あれだ。論証仮定に
       重きを置かないような意見は
       ただのオレ様感想文だから
       普遍の意義なく論ずる価値なし。

 逆にいうと科学と科学でないジャンルとの相違点がここにある。著者のダイヤモンドは種分化の過程を取り上げた生物学者。あの本はダーウィンの論証方式を初めて人類社会に適応した例ってことになるのかもしれない

*初めてしたのはマルクスだという人もいるかもしれないけども、マルクスの進化論はダーウィン以前のちんちくりんで悪い意味でオカルトじみた理論なので、その解釈は却下。科学だとしても当時からしてすらあまりに時代遅れで空気読んで欲しい。

 ∧∧
( ‥)実験、観察、観測、発掘に
    基づく論証こそが科学だと。

   (‥ )論証方法そのものの検証と論証、
       それこそ科学だったとも言えるかもね。

 ∧∧
(‥ )その点、アリストテレスさんの理論が
\-   おとぎ話ってどう思います?

   (‥ )観察や経験に基づいてその延長で
       考察しているから、おとぎ話ではない
       と思うけどね。

 例:重ければ重いほど動かす力も、動かすのにかかる時間も大きくなる。このことからすると宇宙が無限だとすると宇宙は動かない。ゆえに宇宙は有限である。

 ∧∧
( ‥)ガリレオさんは滑らかにすればするほど
  -□ 物体は遠くまで動く、だとすると
    摩擦0ならもはや止まることはない
    そういう発想でしたっけ?

   (‥ )条件をAに近付けると、運動の有様が
       Bになっていくから、究極的には
        Bだよね。どっちもそういう発想
         かもね。

 すると例えばの話、この2つの片方はおとぎ話で、片方は科学だと言うとしたら、その基準は何よ?

 ∧∧
(‥ )まあ、提案者はニュートンからと
\-   言ってはいるんですけどね。

    (‥ )そのニュートンからして錬金術師で
        異端の神学者。
        おとぎ話とそうじゃないの
        違いとやらは何かな?

 ∧∧
( ‥)そして正しい知識=科学、という
    わけではないのだと。

    (‥ )これが正しいとしてしまったら
        もう検証しないからな。科学じゃ
        ないか、科学の範疇ではないことに
        なっちゃうんじゃねーの?

 仮定や前提にはこれこれが正しいだろうとするし、これはもう解決済み(正しい)から論文のネタにはならないよね、というのは科学の世界でも起こることだろうけども、知識や真理、それ自体をありがたがったりするのは科学じゃないよねえ。それは頭がいかれてオレこそが真理を手にしたと勘違いしたオレ様理論家か宗教だ。

 分かったという実感が人を殺す。

 
 ∧∧
( ‥)でっ、あなたはアリストテレスを
    把握しなければいかんのだと。

    ( ‥)あれはおとぎ話だとかさ、
      -□ 言っていられんのよね。
 
 

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