自己紹介

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2011年7月21日木曜日

爆弾本

 
 これまでよりも妥当な知識

 妥当でなくなった知識の埋葬


    (‥ )もうひとつ、テストという
        要素があるべきなんだよね。
 ∧∧
( ‥)どうテストするんです?


    (‥ )読み間違えると
        爆発するとか?
 ∧∧
( ‥)どんな仕組みの本ですか。


 とはいえあれだ、爆弾を解体するってのは究極的なテストでもある。

 ∧∧
( ‥)把握が妥当でないと死にますからね。

    ( ‥)誤読するとペナルティーがある本か...
      -□ 実際に一番簡単に作れるのは
        爆弾だよな。

 でも爆弾本(爆弾を作る本ではなく、読むには起爆を避けつつ読まねばならないという本)は誰も買ってくれなさそうだ。

 ∧∧
( ‥)本の解釈は自由だ、という
    意見もあるでしょうけどね。

    (‥ )そういうのは活字の世界だけで
        生きている文化人だの知識人の
         たわ言だよ。

 あるいはこう言えばいい? 解釈という仮説を提案する時は自由で良いが、現実世界の説明に失敗すると、その失敗した仮説にはペナルティーが存在する。場合によっては仮説の提案者や支持者が死ぬ。そもそも我々の認識や推論過程自体、そういう淘汰を経て現在の形になったものだ。

 ∧∧
( ‥)言論の自由とは推論と論証、
    検証過程の前半分でしかないと。

    ( ‥)まあ、そもそも文法から自由にすら
        なれないのに、自由を誇るとは
        片腹痛いって奴だけどもね。

 あるいは皆の言う自由は最初から制限付きの自由であるということでもある(考えても見れば自由と言う言葉自体、何らかの定義や認識から自由になれず、それはすでに”設定されてしまった”ということに他ならぬ。真面目に考えると笑える冗談だ)。

 ああ、しかし爆弾本ね。何かうまい手はないものか。

 
 苦痛と恐怖とテストが蔓延するすばらしき世界。

 

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