ふと思い出した、
ある日、電車に乗っていると2人連れのおばあさんが乗ってきた。片方は60歳ぐらい、もう片方は80か、ひょっとしたら90ぐらいいっているのかもしれない。顔の特徴に似た点があったから親子かもしれない。
∧∧
( ‥)老老介護ってやつ?
(‥ )近似かもね。
足のもつれるおばあちゃん(80以上)をばばー(60ぐらい)がサポートしてる。母を助ける娘、だろうか。しかし娘であるばばーはどうでもよかった、母であろう”おばあちゃん”がそれはそれは小さくて、くりんとした顔と目をしていて、ちょこちょこ足をもつれさせながら、でもしっかりと車内に入ってきた、その見た目はまるで小さな女の子だった。
それを見た瞬間、周囲の座席に座っていた男が全員、席を立った。
∧∧
( ‥)つまり?
(‥ )女の子はいつまでたっても
女の子であって、そしてその
価値は第一には見た目と若さ。
そういうことだろう。
∧∧
( ‥)あからさまな差別ですけどね
( ‥)誰もがそれは自覚しているだろ?
女性が若さと見た目にどれだけの
時間と投資をかけているか
知らんわけじゃあるまい。
∧∧
( ‥)まあねえ
(‥ )例えばの話、
目尻に小じわ光線、びびびびー!
って女の子にしてみ、
まじギレするから。
そしてまた慈善も結局のところ無償ではなく、投資であって、それが内心の満足であろうがなんだろうが、見返りを求めるか、見返りに近似な判断をしていることはあからさま。
∧∧
( ‥)相手を選んで救済するのだと
( ‥)そりゃあそうさ。
相手が女の子の場合、それは若さであり、その手がかりは見た目である。それだけの話。いかに理念を語っても、これはねじ曲げられぬ。