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2011年6月4日土曜日

その問いかけは前提が間違っている

 
 考える人が科学を考えた時、科学と倫理の関係を問いかけてくることがある。

 ∧∧
( ‥)科学が現実世界に
    強大な影響力を行使している
    そういうことでしょうね

   (‥ )核兵器なんかその典型だろうな
 
 原子力もそのひとつなんだろう。
 
 あるいは科学する人々の判断力に懐疑的な目を向ける場合がある。例えば例の事件以来、よく言われる論法が

   ( ‥)毒ガスをまいた宗教団体に
       理系の人間が数多くいた
       なぜだ? という問いだね
 ∧∧
( ‥)この前も問われましたよね。


 なぜだ?

 しかしこう思う。


   (‥ )なぜだって、何が?
 ∧∧
( ‥)あなたからすれば
    その問いかけの意味が不明だと。


 こんな陳述があったと記憶している。

 科学では真理が分からない。だから宗教へいったのです。

 ああ、それは正しい。

 ∧∧
( ‥)科学は真理を追求する学問では
    ないのであると。

    (‥ )これが真理だ、と言うのは勝手だが
        それが真理であると判定する基準を
        科学は持っていない。

 科学は真理を追求すると言うのは勝手ではあるが、これが真理であると判定する基準を科学は持っていない。どれそれが真理であると言えない以上、真理を追求すると言っても、真理追究が実現不可能な行動であるのは明白。

 ∧∧
( ‥)ゴールを判断する基準がない以上

    (‥ )ゴールできずに永久に走る
        しかないんよね。

 少なくとも、それに失望した連中がいた。そして宗教に走った。別に連中に限ったことではないんだろう。過去にいくらでもいたし、これからもいくらでもいるだろう。そして確かに、宗教には真実がある。

 ∧∧
( ‥)でも、宗教の真実って
    「ここがゴールであると前提しました」
    というだけの話ですよね?

    (‥ )これが真実であると前提した
        矛盾はないが、それだけだ。

 ここがゴールです、と前提した。前提したからこそ、そこがゴールになるが、そこがゴールであると前提したからといって、ゴールそれ自体に説得力が出るわけではない。

 *漫画やゲームで「これこれの能力/世界観/魔法や物理法則は以下のように設定しました」ということは、漫画やゲームというその体系の中では意味がある。しかし現実世界において意味があるわけではない、ということに近似。

 ∧∧
( ‥)真理を求めて宗教に走ることは
    体系内では矛盾がない。
    しかし意味があるわけでもないと。

   (‥ )体系内では矛盾がないから体系内の
       指示に基づく殺人も矛盾はないが
       体系外の人間はそうは認識してくれない。

 世界はそれを許さないだろう。

 とはいえ

 ∧∧
( ‥)最低限、真理を求める人が科学を
    捨てるのは道理であると。

   ( ‥)逆に言うと理系の人間が
       宗教に走るのはなぜだ?
       という問いは意味が分からん。

 科学に真理がない以上、真理を求める者がそれを前提してくれる宗教に走るは必然。

 ひるがえれば、「なぜ真理を追求する者が科学から宗教に走るのか?」という問いかけは、何度聞いても、意味不明。

 だが、こう考えればどう?

 科学は論理的であり、宗教は非論理的であり、真理は論理的に探求できるものであり、ゆえに宗教よりも科学の方が真理を探求する方法論として明らかに上である

   (‥ )とっ、質問者が認識している
       としたらどうだろうか?
 ∧∧
( ‥)だとしたら、理系の人間が
    真理探究の過程で宗教に走るのは
    非合理的で、理系や科学が
    役割を果たしていない
    そう考えるでしょうね。

 というか、そういう世界観の持ち主でないと「なぜ理系の人々が宗教に走ったのか?」という問いかけや疑問を投げかけたりしないだろう。

 ∧∧
( ‥)科学が論理的に真理を探求している
    というのは、明らかに間違いですけどね。

    (‥ )論理的に探求しているのだったら
        実験も観測もしないはずだからな。

 だが実際にはしている。

 数学が実験をしないように、論理だけなら実験や観測は必要ない。実験や観測をしている時点で、科学は論理から逸脱した、何か別なことをしていることは明らかだ

 *経験から何事かを論証することは帰納論であって、それは論理ではないし、その論証は証明でないという意味で*、科学は論理以外のことをしている。

 **さらに付け加えるなら、以上のことから科学の論証とその結論は証明ではないし、その意味においてその結論は必然的に真理ではない。それは論理的に真であるとは言えない状態だよね、という意味において真理ではない。



 ∧∧
( ‥)ようするに、なぜ科学を志した人が
    宗教に走ったのか? という
    問いかけは

    (‥ )その問いかけをした人は
        科学を根本的に理解していない。
        それは明らかだね。

 たぶん、例の宗教に走った連中も最初はそうだったのだろう。科学をすれば真理が分かると思っていたのだとしたら、それは明らかに間違った認識であった。

 ∧∧
( ‥)それに気づいて宗教に走った人と

    ( ‥)一方では、それに気づかずに
       「なぜだ?」
        と問いかける人々がいる。

 どっちも科学ではないし、前者はまがいなりにも科学を理解して失望してしまったが、後者の場合、科学そのものを今だにまるっきり勘違いしている。

 ∧∧
( ‥)間違った理解に基づく質問は

    (‥ )意味のない質問だね。



 「なぜ科学を学んだ人々が宗教に走ったのか?」その質問が仮に、真理を探求する人がなぜより劣った(非科学的な)真理に飛びついたのだ?という問いかけだとした場合、この質問は前提が破綻しており、ゆえに文章として意味がない。

 
   
 

 

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