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2011年9月11日日曜日

ちゃんと選んだかい?

 
 *の続き
 
 ∧∧
(‥ )でもあれですよね、natureや
\-   scienceに目新しい論文が載って
     それに目をつけたライターさん
      とかが流布させるってことも
       あるのですよねえ。
 
   (‥ )それは前の話とは逆で
       不確定な未来に手を出した
        そういう事例だよね。
 
 そもそも目新しい話、独自な仮説、というのは実のところ珍しいものでもなんでもなくて、絶えず出現している。
 
 ∧∧
( ‥)単純にほとんど全部死滅するって
    だけでね。
 
   ( ‥)だからニュース以上の価値は
       ないんよな。そして
       議論の最先端では矛盾のない思いつき
       新しい提案、対立する2つの仮説に
       基づいた異なる解釈、色々なものが
       ある。
 
 物事は物事だし、現象は現象。それが例えひとつで、あるいは一種類であっても、しかしそれを解釈する、説明する方法は複数あるのが当たり前。
 
 ∧∧
( ‥)異なる理論が2つあれば
    異なる解釈をした対立する複数の
    論文がぞろぞろ出てきますから。
 
   (‥ )そういう時にさ、サイエンスライターとか
       自称している素人があっ、これ、正しそう
       とか言って”勝手”に論文をチョイスして
        取り上げるのって危険なんよな。
 
 ”勝手に”

 こういうと権威主義だとか言論の自由がとかメディアリテラシーだのたわ言を言う人がいるのだけども、これはようするにこう。
 
 存在する複数の対立仮説から、現時点で最良と見なされるものをチョイスするにはなんらかの基準が必要で、これが最良であるという主張の妥当性は、その基準の妥当性そのものにかかっている。
 
 ようするに、正しい物差しがないと計測できないし、正しい計測には正しい物差しがないといけない。いくらこの物差しは正確ですとオレ様申告しても、なんらかの基準でその物差しが正しいことを論証しないと意味ないよ? ということ。

 *例えばの話、いくらメディアリテラシーとかいっても、その結論が妥当であるにはチョイスの基準、解析と比較の基準が妥当でなければいけない。メディアリテラシーという単語はこのことを説明していない。ようするにこの言葉、ていのいいごまかしだ(実際、この単語は間抜けの隠れ蓑によく使われていないか?)。
 
 ∧∧
(‥ )よく、「これは整合性がある」とか
\-  「矛盾が無い」「全部説明できる」とか
    それを基準にして選ぶ人いますよね。
 
   (‥ )整合性がない、矛盾がない。そんな
       仮説はひとそろいのデータから
       いくらでも導けるから意味ないよね。
 
 特に、全部説明できる、というのはチョイスの基準として最悪。
 
 ∧∧
( ‥)全部説明できる、の説明できている
   そのすべての中には
 
    (‥ )ありがちだけど、間違っているものも
        含まれているんだよな。
 
 全部説明できる、はまずい。致命的にまずい。おそらく間違っているものまで説明”できて”しまっている。
 
 ∧∧
( ‥)まあ、妥当な仮説を
    チョイスする基準をまず検討してから
    論文は選んだ方がよくね、そういう
    話ですね。
 
    (‥ )状況の把握も大事だよな。
        戦況の把握というかね。
 
 ”現在”の論文や学説を紹介するというのは現在進行中の戦況報告でもある。ちゃんと勝っている方を選んだのだろうな? という問いは絶えずなげかけられる。
 
 続く*
 
    
     

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