(‥ )逆にだよ、過去のある時点では、
宇宙は超高温、超高密度で原子もなくて
陽子、中性子、電子が自在に動き回って、
さらにその前はクオークが荒れ狂う世界だった
わけだよな。
∧∧
( ‥)まあ、そう予想されているし、それを
再現する実験もあるんでしょ?
中性子星のような超高密度(*うろ覚えで言うと内部でエネルギーを生み出す核反応を起こせなくなった恒星が、これまで核反応で支えていた自重をついに支えきれなくなり、自重によって圧縮崩壊するさいにできる超高密度の天体)の星では、原子核が融解して陽子や中性子が解放され自在に動き回る。
ならば、
自由になった陽子、中性子は複雑な構造物を生み出しうるのではないか。もしかしたら自己複製をするような構造、つまり生物すら生まれるのではないか? という予測は昔あったし、それをネタにした小説もあった。
ちなみに、原子核とそれをとりまく電子から構成される原子や分子が行うのんびりした反応に対して、中性子星の表面で誕生しうるような生物は、その反応速度が(理屈の上では)べらぼうに速くなるので、たぶん、生まれてすぐに死んでしまうけども、それで充分、人間の一生分と同じ経験ができる。
∧∧
( ‥)じゃあ、クオークでもそういうことは起きるんですかね?
(‥ )どうだろうねえ? クオークが自己複製するような
複雑な構造物を生み出すっていう可能性は
あるのかねえ?
ともあれ、初期の宇宙にあった(とされる)そんな一時の世界に生物はいたんだろか? いくら反応速度が速いと仮定しても、その速度、光速が限界なわけですし(*普通に斉一的に考えてます)。それに、
∧∧
( ‥)先の超未来の仮想生物もそうでしたけども、
生物を誕生させるようなエネルギーの流れがあるほど
初期の宇宙ってむらがあるんですか?
(‥ )はてねえ、どうだろうねえ?
誕生するにしても、彼らの主観時間においてさえ充分な時間はあったのか? クオークでなくてもいいから中性子星にいてもおかしくないと仮定された生物であってもいいけども、そんな生物でさえ存続できる時間が宇宙の初期に充分あったのか? でもまあ、あっけらかんと、そんな生物がいたよーんと(先に読み終わった本では初期宇宙と超遠未来を含めた時間をどう計測するのか? というもっと哲学めいた考察だったけども)そう考えた場合、、、
∧∧
( ‥)その生物が未来を見据えた時、どう
思うんでしょうね?
(‥ )自分を構成するクオークが陽子や中性子の内部に
あるいはそれすらも原子核の中に封じ込められてしまう
そういう未来が予測できたとしたらどう思うのかね?
自分たちはなすすべもなく、体を構成する媒体もろともこの宇宙の表舞台から消え去ると気がついたら、さてどう思うのやら。
∧∧
( ‥)未来の僕らからすれば、彼らの許された時間は
ほんの一瞬ですよね?
(‥ )主観的にはどうなんだろうね。
いずれにせよ、こちらの主観時間からすればほんの一時、現れて、そしてなすすべもなく、まったく何の痕跡も残さぬままに消え去った心があったとしたら、それはぞくぞくするものがある。
しかしありきたりなことでもある。
∧∧
( ‥)遠未来どころか、個人の寿命は
たいした長さじゃないですからね。
(‥ )なすすべもなく、ほんの一時で
二酸化炭素と水に還る。
とはいえ、だからそれがなんだ? と言えばまったくそうでもある。
( ‥)だから言ったのさ。絵を描く能力があるのなら、
それを大事にして絵を描き残せばいいよって。
∧∧
( ‥)たとえ、それが僕らの短い一時をさらにほんの少し伸ばすだけの
行為であったとしてもですか?
しかり。