昔、こんなことがあった。その場にいたところ、サイエンスライターというかフリーのジャーナリスト2名が言い争いを始めた。ようするに
「あなたが取り上げて記事にしている仮説は科学界のスタンダードではない!!」
「スタンダードである仮説が必ずしも正しいわけではない!!」
という言い争い。まあ、要約すればそういう話。
∧∧
( ‥)あなたは黙って見ているだけでしたね。
( ‥)どうでもいいことだからな。
まあ、それはともかく、とうとう一人が怒って言った。
「私の記事が正しくないというのなら、なんで研究者は文句を言わないんですか!!」
∧∧
( ‥)なんでだと思います?
(‥ )その人の本を研究者が知らないか、どうでもいいか
そのどっちかだろ?
例えば漫画や雑誌は多くの人に読まれるが、1人1人の個人が読む漫画や雑誌はごく限られている。多くの人が読んでいる媒体でさえ、個人がフォローできる量なんてごく一部。ましてや理工系の本の販売部数なんてたかが知れているわけで、中身に問題のある記事を述べた本が3000部売れたからといって、別にどうなるわけでもないし、ましてや研究者のアンテナに引っかかるわけでもない。
とはいえ、実のところさきに取り上げた人の本(複数)の内容に関しては「おいおい」と思っている研究者が幾人かいて、実際、「ああ、あの人ね、しょうがないよねー」と感想を述べているのは見たことがある。ただ、面と向かっては言わないというだけの話。そりゃあいちいち言わないよなあ、みんな本業があるわけだし。
∧∧
( ‥)もちろん研究者の言うことや
現時点でスタンダードな仮説が
絶えず正しいわけじゃないでしょ?
(‥ )そりゃあそうだね。
有名大学の教授なのに全然業績がない人もいれば、若く精鋭で、えっらく敷居の高い国際誌にがんがん投稿している人もいる。反対に若いのにまるで後ろ向きで、ああこの人もうだめだな、という人もいれば、数学からプログラミング、本業から科学哲学まで全部こなして的確に物事を指摘する人もいる。
研究者の能力や実績、その言葉の妥当性はそれぞれ様々で、当然、それらの言葉が絶えず正しいということはありえない。しかし絶えず間違っているわけでももちろんない。研究者の言葉が絶えず正しいわけではないのだからオレ様正しい、という論の展開はありがちだけども、それは意味がないし、説明になっていない。
そしてかつまた、現時点でスタンダードな仮説だからといって、それがそのまま妥当であり続けるわけではない。しかしさりとてスタンダードな仮説が絶えず間違っているわけでも、また当然ない。もう150年もスタンダードなのだから、そろそろ壊れてもいいはずだとか主張する人もいるけども、そんな論証はもちろん意味がない。
∧∧
(‥ )検証で生き延びてきた=これからも生き延びる、ではないけども
\- 最低限、スタンダードな仮説は実績があるとは言えますよね。
(‥ )つまりだ、スタンダードでない仮説をサイエンスライターが
あえて取り上げた場合、その選択肢の妥当性は当然、
問われるべきことなんだよねえ。
検証にさらされたにも関わらず生き延びてスタンダードになった仮説は、実績があるのだと言える。
それを無視して、今だスタンダードになっていない少数派の(悪くすると衰亡して少数派になった)仮説を取り上げる場合、それなりな理由が必要だ。
∧∧
( ‥)研究者から注意がないではないか、とかうんぬん以前に
そもそもその仮説を採用した妥当性を説明できますか?
ということですね。
(‥ )まあ、ご本人は説明できると思っているから
あえてその仮説を取り上げたわけだけどね。
この喧嘩のもとになった人の場合、その点に問題があるとしたら、あえて取り上げるに至った説明が説明になっているようには聞こえないってだけの話で(少なくとも北村には説明になっているようには聞こえなかった)。
∧∧
( ‥)でも難しい問題でもありますね。
それは何を持ってその説明を妥当と見なすのか?
ということでもありますからね。
(‥ )妥当な論証をするには、いかなる論証の仕方が
妥当であるのか、それ自体を論証しなけりゃいかんのよね。
研究者もスタンダードも馬鹿で間違いで保守的で、しかるにオレ様正しいからオレ様の理論も結論もまた正しい。普通に考えてこんな論証はバッテンなんだけども、じゃあなにゆえこの論証は駄目なのか?
あるいは逆にいうと妥当とされる論証とオレ様な論証の相違点とはなんぞいや?
そういうことが絶えず問われるし、それを論証せよ、かつまたその論証が何ゆえに妥当なのかを論証せよと問われます。