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2010年4月11日日曜日

それに意味があるかと問われれば、無しと答える

 
 そういえばこんなことがあった。

 最近になってあるサイエンスライターが恐竜の絶滅は隕石衝突が原因ではなく、衝突が起きる前からすでにじょじょに滅びていた。隕石衝突は衰亡した白亜紀の生態系にとどめを刺したにすぎないという内容の本を書いた。

 ∧∧
( ‥)じょじょに滅びた説ですね。

    ( ‥)実際には化石記録が充実するにしたがって、
        じょじょに滅びた説はじょじょに怪しくなって
        きたよねー、というのが研究者の流れだったと
         思うけどもね。

 興味のある人は「恐竜学 進化と絶滅の謎」とか「白亜紀に夜がくる」とか読んで、それから論文にまでいってくださいな。


 まあ、それはともかく

 そんな本が出たのだが、一ヶ月もしないうちに、「結局のところさ、恐竜絶滅は隕石衝突でよくね?」という論文が出て、テレビや新聞でも報道されることになる。

 つまるところ、先のサイエンスライターさんの書いた内容は研究者の動向と一致してないんじゃないの? ということなんだけども、とはいえ、この不一致に気がついた人はどうもほとんどいなかったらしい。

 当たり前と言えば当たり前。読んだ本の内容が妥当かどうか、他の本や論文まで読んでそれをクロスチェックする人間なんかそうはいない。いざとなればそうする人間だって、聞いたすべてのことに関してそうするわけではない。

 ∧∧
( ‥)でっ?

     (‥ )サイエンスライターって何者だと思うかね?

 妥当性の追求。そういう淘汰圧はサイエンスライターにはほとんどかかっていないと思うし、こういう事例は事実としてそうだということを例証しているように見える。

 そしてそうなってしまう原因もまた示しているように見える。

 ∧∧
( ‥)?

     (‥ )サイエンスライターが妥当性を必ずしも追求しないように
         消費者も手にした情報の妥当性を必ずしも追求しない。

 まあ、当たり前の話ではある。そういう手間ひまと技術をサイエンスライターに委託する代わりに、それに対して対価を支払っているんだから。だがしかし、それゆえにサイエンスライターには妥当性の追求という淘汰圧が充分にはかからない。

 一冊の本を書いた場合、現実的には3000人あまりが本を買って読んでくれるが、逆に言うと3000人しか読まない。

 本の内容が妥当であってもそれは3000人しか伝わらない。

 とはいえ、たとえ間違っている本であっても、その間違いは3000人にしか伝わらない。

 ついでに言えば、

 ∧∧
( ‥)間違っていようが、正しかろうが、本の
    内容を吟味する人はさらにその何分の1かだと。

      (‥ )正しい、あるいは妥当な結論に到達できるのは
          さらにさらに少数。

 間違った妥当でない本から正しい結論へ自力で至る人もいれば、反対に妥当な内容を曲解してオレ様理論を思いついちゃう人間だっているだろう(というかいる)。

 妥当でない本を書き続けてもその悪影響はあまりないんだろう。

 だが妥当な本を書き続けてもその影響もまたあまりない。

 ∧∧
( ‥)妥当な本を書くことに意味はない?

      ( ‥)意味はない。

 だが効果は0ではない。1億2000万の3000はほんのわずかではあるが、それは0ではない。

 ならば問える。

 これまでの50年間なにしてきたの?

 だから言える。

 このままなら次の50年もどうせ失敗するよ。

 

 

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