スーパーで切り花を見る。ヤマユリの手合いと思われるものは雄しべから葯がとられていたけども、テッポウユリかタカサゴユリとおぼしきものは葯が取り除かれずにレモン色の花粉をこぼしていた。
∧∧
( ‥)花粉がさほど強烈な色でない場合、
取り除かないということでしょうか?
(‥ )かもね。
さてさて
何気に部屋の隅に置いておいた「ワンダフル・ライフ」著グールドをぱらぱらとめくってみる。いつも見るたびに思うけども、訳の分からない本。
共有原始形質で束ねられた節口様類は系統群ではないから既存の節足動物とは異質のグループであるとか
∧∧
(‥ )早川書房の大判では261ページの記述ですね
□-
(‥ )共有原始形質で束ねられただけのグループは単系統群である
とは限らない、としか言えないし。
かつまた、そこに入れられた生物が
派生的な形質で束ねられた系統群と近しい系統関係にない、
とも言えないんだよなあ。
∧∧
( ‥)一応、これは人様の見解を紹介しているよ、という
体裁をとっている箇所ですけどね。
(‥ )人様の見解だろうが、自分自身の見解であろうが、
引用したからには、その妥当性が問われることに
なるのだがね。
まあ、実際、314ページとかでも同じ論法が使われているので、グールドさん自身もそう考えていたんでしょう。ようするに原始形質だけでは単系統群だとは言えない、を、原始形質なのだからまったく別の系統群である、と拡大解釈している。
∧∧
( ‥)混乱的?
(‥ )混乱的。言い出せば切りないぜ、この本。
□-
共有原始形質は単系統群を束ねるものになるとは限らない、という論法は分岐学の見解だけども、こうした論法を以上のように拡大解釈して使う(というよりもむしろ曲解している)一方で、分岐学ではバージェスは語れない(318ページ)と主張する(でもほんのちょっと後にブリッグスたちの論文が出ちゃうんだけど)。
また、例えば、
「合体節化というパターンを共有する上で現在の節足動物はバージェスのものと異質性の点で劣っている。バージェス動物群が滅びたから合体節化という手がかりが使えるわけだが、このような過程で重要になった合体節化を異質性減少の根拠として使ってはいけない、というのはおかしい」という307ページの主張は
∧∧
( ‥)なんか難しい文章ですが
(‥ )ようするにこういうことじゃね?
:AはBよりも異質性が低い
:AがBよりも異質性が低くなった理由はCである
:理由CをもってAがBよりも異質性が低くなったと主張してはいけない、という仮想的な反論Hがあるとする
:だが仮想的な反論Hはおかしいことは明らかである
:以上の結論からAはBよりも異質性が低いと考えてよい
∧∧
( ‥)?
(‥ )意味がないんだと思います。
まあこんな難しい話で頭をこんがらがらせる必要はないんじゃなかろうか。「合体節化という派生的な形質を共有している生物=単系統群=合体節化を共有していない生物群と別系統」ではない。
ようするに
合体節化という派生的な形質を共有している生物≠単系統群≠合体節化を共有していない生物群と別系統
事実、合体節化は収斂かもしれない。また、合体節化を共有していないからといって(距離はあるかもしれないが)別の系統群であるとは限らない。
それがどういうわけか、グールドさんの世界では派生形質Aを共有しているから単系統群だ(あるいはひとつの分類群だ)、派生形質Aを共有していないから別系統群だ(あるいは全然別の分類群だ)、派生形質Aを持つものと持たないものとでは距離があって持たない者の方が異質性が高い、になっているわけで。
∧∧
( ‥)まあ、それはあなたが分岐学のパラダイムで
考えるからでしょ? とか反論する人も
いそうですけどね。
(‥ )パラダイムって便利な言葉だけどさあ、
方法論の妥当性それ自体は語ってくれないんよね。
というかむしろ妥当性のなさをあえてマスクする目的で
詭弁に使われやすい言葉じゃね?
パラダイムなんて、そんなお上品な言葉だけじゃあ科学の世界じゃ勝てないさね。
そしてまた、ワンダフルでライフな論文がその後出たのかと言えばどうだろう? そうでない論文ばっかだと思う。