対立する仮説の良し悪し(この場合はどちらの方が現時点で妥当性があるかという意味)は何をもって判断するべきか、あるいは何をもって判断しているのか?
∧∧
( ‥)誰が?
(‥ )自分も含めて色々な意味で
:仮説を支持する証拠の数が多いほどいい。それは当然ありますわいなあ。
∧∧
( ‥)でも、人間は仮説を通して世界と証拠を眺める
動物ではないんですかね?
(‥ )だからデータからグラフを描く方法が必要になる
のじゃないの?
:ものすごく単純に考えると、例えば最節約とか、あるいは最小二乗法(トータルとして誤差最小のグラフを描く)みたいに手持ちの仮説とは別に、全部のデータを無理無く説明する仮説(グラフ)を発見する方法。そういうものがないとたぶん、どんな仮説も破壊できなくなる。逆にいえばそういう検証手段がないとどうにもならない。
∧∧
( ‥)データからどんなグラフを描いてもいいのなら、
どんなデータがあってもグラフを正当化できますからね。
(‥ )政府がUFOの存在を認めないのは、政府の陰謀だ。
ゆえに資料がないのはエイリアンクラフトが実在する証拠
:判断の根拠は証拠や根拠の配置や分布にもあるってのも、たぶんそうなんだろうと思う。
∧∧
( ‥)例えば?
(‥ )Aを支持する論文が100個ある。対抗するBを支持する
論文が1個ある。
数だけでいったら多分、Aを支持する論文の勝ち。でももしも、Aを支持する100個の論文が共通して”ある根拠K”に根本的に依存しているとする。それに対してBを支持する論文1つが”別の根拠L”に依存しているとする。
∧∧
( ‥)根拠Lが根拠Kに勝つことが論証されたら
どうなるか?
(‥ )そしたらBを支持する論文1つが
対抗する100に勝ちうるよな?
(必ず勝つ保証があるわけではないけども)
だから証拠の数や妥当性の検証だけでなくて、証拠の配置や分布によってたぶん、その(証拠それ自体の)インパクトは変わってくるはずだ(と思う)。
*この場合、証拠や根拠の位置や配置というのは共有派生形質のように考えています。
∧∧
( ‥)だけど、それだけではないと?
(‥ )それだけじゃないでしょ。
こんなことを言った人がいた。
相対性理論は水星の近日点の移動を”すでに”説明できていたし、さらには日食のさいに星の見かけの位置がずれて見えるだろうということを予言していた。それは1919年の観測で確認されたが、実はそのデータは当時の技術水準で行われたのでいささか怪しげな点があった(今はもうそんなことはない)。それに対し、質が良かったのは以前から観測されていた水星の近日点の移動と、相対性理論の計算結果による答えの一致だった。しかし、相対性理論が受け入れられる大きな理由になったのは、1919年の日食観測の方だった。
*S・ワインバーグ「究極理論への夢」第5章の冒頭がこんな話
∧∧
( ‥)しかも考えてみれば妙な話なんですよね。1919年以前の
状況でも、「じゃあ日食を観測にいくか」というプランを立案して
実行しちゃう人たちがいたんですから。
(‥ )まだ確証のない理論に魅了されて、その確証を行うために
人生の少なくとも一時期をそれに賭けちゃう人たちが
いるってことなんだよな。
ようするに、人間、理論の魅力も判断の材料にしているのではないかというワインバーグさんの話。それは言われれば当たり前といえば当たり前。しかし妙と言えば妙な基準。戸惑うといえば戸惑う話でもある。
もちろん、妥当性だの理路整然としているだの、シンプルだのとか、そういう理論の基礎がしっかりしたものである上に、さらに、
「問題解決において将来性がありそうだという予想」
の意味合いで魅力的なんだろう。
(‥ )実際、魅力的って言葉だけなら、死んだらラーメンや
- チャーハンがあたりに生えてて食べ放題、温泉が
あっちこっちに湧いているという天国と世界観を
チョイスするのが妥当に・・・・
∧∧
( ‥)それはむしろ地獄じゃないですかね?
あるいはこの言い様を
「既存のものだけでなく、それまで解けなかった問題さえも解く新しい能力」
とでも言えば当たり前な選択基準だとも思える。
でも、「この問題まで解ける!! すげーー!!」という確信、驚き、賛同、理解ってのは具体的に何なのだと言われると困るよなあ。問題を理路整然と解けること=正しい、ではないだろうから。
∧∧
( ‥)でも、「これ使えるじゃん!!」という
使い勝手のよさってのは・・・・
(‥ )その仮説を採用する生々しい根拠であるよね。
∧∧
( ‥)あなたにもこういう判断基準でチョイスした
心当たりがありますか?
( ‥)・・・あるんだよなあ。
「ありえない!? 生物進化論」*これ→Untitled Document という本を書いたときに、節足動物の系統をどう考えるかで、ウプサラ大学のバットさんの仮説を最後に紹介しているのだけども。
データを大量に、それを最節約に解析すればいい、もしもそう考えている人がいたら、この仮説のチョイスはまことに奇妙になるはず。だって系統解析に使っている形態データの数でいったらブリッグスさんたちの方が
∧∧
( ‥)明らかに多いですよね?
(‥ )たぶんそうなんだよな。
□-
だけども、ブリッグスさんたちではなく、最後に紹介したのはバットさんの仮説だった。
以前、北村ってやつは狂信的な分岐学信者だ、と、どこぞにそんな書き込みがあったのを見たことがあるけども、いやあ、それは明らかに違うと思うぞ? だったらなんでバットさんの仮説を選んだのか説明がつかないじゃない。実際、「なんでお前はデータの数で勝るはずのブリッグスたちを最後に取り上げないのだ?」と誰かが文句を言ってくるかと思ってたけども(3000部が売れるくらいじゃ)、そんな突っ込みはやってきませんでしたとさ。あら悲し。
∧∧
( ‥)あなたはバットさんの仮説の魅力にひかれた?
( ‥)いやなんというかですね。
ああっ、その手がありましたか!!というね。
ブランキオカリスの触角+大付属肢って一体何ね? どっちが第1触角よ? と思っていたけども、あれもこれか??・・という衝撃
∧∧
( ‥)だけど、使い勝手がいい、美しく魅力的が、
=妥当ではないのですよね。
(‥ )そりゃあそうだね。
それは当たり前。使えるし魅力的だけど駄目ってのもいっぱいある(昔の天動説ってこういう?)。
とはいえ、基礎さえしっかりしている上に、性能が以前よりも向上して、使い勝手が良い、という確信があったら、それはたいていの人にとって当面の間は魅力的に違いない。