ふと思い出した。テレビを捨てる、そのはるか前の話、テレビで映画なのか何かのドラマなのか、妙なオムニバス形式の奇妙な物語がやっていた。
そのなかのひとつが放射能に色をつけた話。
∧∧
( ‥)プロパンガスに匂いをつける
ようなもん?
(‥ )たぶんね。
それを思い出して考える。
(‥ )もしそういう技術があったら
今回の時とか便利だったろうな。
∧∧
( ‥)そうでしょうけど、
風評被害は防げないでしょう。
まあ、たぶん、防げない。色なり染まり具合なりがどのくらいになると危険なのか(認識と結果が具体的にリンクしない限り、)、それが分からない限り、風評被害は起こる。
( ‥)ああ、この染まり具合なら
-□ 毎時5マイクロシーベルトね
∧∧
( ‥)結局は元の木阿弥ですね。
便利であるには違いないが(汚染土壌とかをすぐに具体的に”見て”発見できる)、理解が無い限りは風評被害を防げない。困ったことだ。
とはいえ、あの映画を思い出して、一番印象に残ったのは実はそこではないことを思い出す。
∧∧
( ‥)どこ?
( ‥)最後の話で、水車のある村が
出て来て、老人と若者が語り合うの
だけども。
どうやら原発と対極にあるエコっている村らしい。そこに葬儀の列だかなんだがやってくる。彼らは楽器を持っているのだが、しかしそれが異様。
∧∧
(‥ )単なる管弦楽器ですよ?
□- ←メモリー
(‥ )いや、それこそが異様なのさ。
水車で動力を代用しているらしい、産業革命以前を思わせる村。であるのに、なぜ”工業製品”が存在する?
古ぼけたくたびれはてた代物にはされているが、作ったにしては規格が統一されすぎていると感じた(まあ、当たり前、演出の上では本物を使っているだろうし)。
しかし、あれをフィクションと考えると、途端に異様な雰囲気を醸し出す。
∧∧
( ‥)買ったのでは?
(‥ )どうやって? どこから??
産業革命以前のような村が一体何を対価に払う?
∧∧
( ‥)牛さんとか、お米とか小麦
じゃないですかね?
( ‥)つまりさ、あの村の外部に
巨大な産業世界が存在するわけだ。
あるいはもしかすると、丘や森を越えた先に村人を働かせる工場があるのかもしれない。
(‥ )時給500円ぐらいで
∧∧
( ‥)ああ、まあねえ。
田舎や外国に工場を作るのは
こちらにとっての低賃金でも
喜んで働いてくれる
人たち目当てですからね。
だから思った。老人は村を理想郷のように語っているけども、
∧∧
( ‥)偽りではないのかと。
( ‥)あの楽器を見た時、
-□ ぎょっとしてしまってね。
あれは原作者なり監督なりの無邪気な世界観の表明で、単に手近にあった楽器を使っただけなのか? そして確かに映画の理想郷の外部には、巨大な産業世界である現実の地球が存在する。
あるいはそれとも、
(‥ )あれは計算された悪意そのもので
楽器は種明かしの道具。
老人の語りはまったくの嘘で
物語は悪夢であったのか?
∧∧
( ‥)謎であると。
今でも謎であるし、しかしどうでもいいことでもある。
夢
理想はやがて妄想となり、ついには悪夢になった
これは確かに、起きてしまった事実に対してかつて言われたことでもあった。
∧∧
( ‥)彼は国家を相互殺戮と相互軋轢による
巨大な肉挽き器に変えたのだ。
( ‥)夢や理想の最後ってのは
そういうもんだ。
自分を信じるな。他人を信用してしまう。
自分を大事にするな。他人を切り捨てられなくなる。
何も信じるな。何かを信じればそれは罠だ。
∧∧
( ‥)とっ、言うの簡単ですが、
非現実的ですね。
(‥ )しかり、僕らは何かを前提にして
解釈し、認識し、理解したと称して
歩き、しかし、ゆえに転んでしまう。
自分を信用しなくても、何かを前提にしている。どれだけ疑っても、自分の信用も他人の信用もまったくの皆無にはならないし、前提からは自由にはなれない。
∧∧
( ‥)政府と東電は嘘をついているのです!!
マスコミもぐる!!
(‥ )だから原発事故もうっそぴょーん
あれ、CGなんだ。
とは、みんな言わないわけよ。
そこは信じているんだ? 政府もマスコミも信用しないんじゃないのかい?
∧∧
( ‥)信じるな、と言っても
信じていないわけではない。
( ‥)前提と仮定から自由になれる
わけではない。信用しない自由を
うたっても、それには限度がある。
ではなんとする?
例えばこう?
自分が実在すると思うな、認識したものすべてが実在すると思ってしまう
∧∧
( ‥)認識したものも、理解も
納得も把握でさえ、
それは単に仮説であると
(‥ )この世界自体は実体かもしれないが
僕らの認識と理解はまぎれもない
仮説だ。
認識と理解=世界そのもの、では明らかにない。
∧∧
( ‥)世界が実在したとしても
認識した世界、それ自体は、
かりそめの夢ですか?
( ‥)そう考えるからテストするし、
-□ テストするからより妥当と
思われる仮説を発見する。
そういうことじゃねーの?
天動説はかつては真実であるとされたが、地動説にとって変わられた。世界の構造そのものが天動説から地動説になったわけではなく、我々の理解、それ自体が所詮は夢まぼろしで、しかしそうであるからこそ、かりそめな認識が是正される、そう考えればどう?
∧∧
( ‥)かりそめの仮説に沿って
世界を眺めているのだと。
(‥ )これが現実の表面に僕らが
暫定的に作ったはかない夢と思えばこそ、
是正の必要が認識されるのじゃね?
夢は真実ではないし、真実でないのなら前に歩く理由になるだろう。
言い換えればこう? 真実と納得と理解はあきらめで、それを得た瞬間に死んだも同然。老いるとはこういうことか?
∧∧
( ‥)老いるとは夢から覚めることだと?
(‥ )いや、夢から覚めたくない、これで
いいのだと納得することが老いで、
夢から覚めたいがために、
何が覚めるということか、
それが分からぬままに、
しかし、果てしなく歩けば
前進できるってことで。