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(‥ )さる方の自問自答、これをアンケートと解釈して、
\- 問い:恐竜好きは恐竜が好きなのか恐竜の絵が好きなのか?
お答えください。
(‥ )絵だろ。
例えばの話。骨格図、形質の列挙、その比較がなされた本。論文集(英語)以外にそんな本があったっけ?
*一部過去に存在した「骨格図集」は形質の列挙でも比較でもないし、需要と供給が何事かを反映するのであれば、それは恐竜(骨)が望まれてもいなければ、欲されてもいないことを示していると解釈するのが妥当。
その購買層が存在すると仮定できる場合、望みをかなえる本は出現する。例えばの話、軍事や戦車が好きな人間相手には設計図のみならず、エンジンの構造まで記された本が戦車の”車種ごと”に出ている。
恐竜にそんな本は(日本語では)ない。
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(‥ )問い:恐竜の絵が好きな人は恐竜を好きになれるか?
\-
(‥ )ならないんじゃね?
なるのなら骨の本がもっと存在するはず。あるいは一部はなりうるのだが、それは数として無視してよいレベル。
ならないんじゃね?≠一部はなりうる
であるが
ならないんじゃね?≒一部はなりうるが効果は無視できるレベル、誤差の範囲
最低限、日本語の本で恐竜が好き、という本が出現したことはなく、あっても存在を無視できるレベル。出版界が縮小していることを考えれば、そういった書籍、ひいては情報の流布が起きること、現れることはない、がたぶん近似。
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(‥ )問い:恐竜が好きな人は恐竜以外を好きになるか?
\-
(‥ )ならない理由は見当たらないが
なる理由も見当たらない。
なるにしては全員が同じ反応を示すわけはないので部分集合になるのは確実。例えばの話、マーケットとしては無視してよいレベル。その効果は無視できるレベル。
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(‥ )問い:以上の問いにおける好きを興味をもつ
\- に変換してよいか? あるいは変換するべきか?
(‥ )好きがすでにしてマーケットとしてあまり大きくはない
好きの一部が興味がある、に変換するとしても
やはりマーケットとしては無視して良いレベル。
その変換は誤差の範囲。未来は何も変わらない。
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( ‥)マーケットというのは経済活動に関する
判断ですよね?
(‥ )啓蒙活動だとしても同じだぞ。
本が売れない、本を書かない、
書いても売れない、情報は流布しない。
何も起きない。
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( ‥)ネットなら?
(‥ )シュメール文明に関するネット上における記述を見れば
結果は明らかじゃないか?
やっても無駄。これに近似。
つまり啓蒙活動としても効果は無視して良いレベル。
好き=興味をもつ、ではない。例えばの話、好きな相手を解剖したりはしない。
興味を持つ、調べるは「好き」ではない。
好き→興味をもつ、はこの場合、好き自体が少ないので、興味をもつはさらに少なくなる。
つまるところ経済的にも啓蒙的にも、あるいは情報の流布という点でもやはり無視して良いレベル。誤差の範囲で結果は同じ。
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( ‥)どうしたもんでしょうね?
(‥ )恐竜マニア、というのは日本には存在しない。
あるいはこう言えばいい? 恐竜マニアというものは日本においては存在を仮定するほどの購買層ではない。存在しないと同義。
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( ‥)はあ、まあねえ
( ‥)恐竜にすべてを賭けて、すべてを失った
かの人のことを忘れることはできない。
忘れようがない。2週間前に会ったから。
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( ‥)なんとします?
(‥ )他の存在すると仮定できる購買層を
ターゲットにすればいいんだよ。
彼らは恐竜マニアではないし、そして恐竜マニアにはならないだろう。
だけど、それがいい。それでいい。