ダーウィンが進化理論を提案した時、というかしようと画策して根回しを始めた時、
∧∧
( ‥)ある人は、それに恐怖したみたいですよね?
(‥ )人間が進化で生じたのであれば
神の存在は必然でなくなり、
ゆえに神も地獄もなくなる
∧∧
( ‥)つまり人間の邪悪な行動を
阻止する道徳的な基盤が
なくなるのではないかと
( ‥)あの発想はどう考えるべきなんだろう。
道徳は神で正当化されているから、神が必然でなくなれば道徳も必然でなくなる
ということなのか
∧∧
( ‥)あるいは地獄の恐怖がなくなれば
抑圧がなくなるということなのか。
(‥ )どっちだったのかまだ確認はしていないけども
逆にいうと
当時の人間にとって、道徳とは便宜的なものでしかなくて、背景に具体的な何か、問いかけに答えてくれる具体的なモデルなど存在しない、そういうものだと思われていたということか。
∧∧
( ‥)神は存在するけども、道徳という行動を
コードする実体は認められていない
そういう世界観だってことですかね?
(‥ )反対にダーウィンは、彼自身が野蛮人と呼んだ
(当時は当たり前の表現だった)フエゴの人を見て、
キリスト教がなくても人間は人間。
思いやりはキリスト教を必要としない、という発想に至ったっぽい。
∧∧
( ‥)道徳は進化で誕生する行動様式だ、
そういうことですね。
(‥ )当然、そういうことになるね。
道徳は神を必然とも必要ともせず、代わりに道徳は進化の必然のひとつとなった。
まあ、当たり前ですか。神は世界を説明するために人間が(アブダクションで)発見した仮説ではあったのだが、しかしその性質ゆえに仮説としてはできが悪かった(未来を予測できず、仮説それ自体の検証ができない)。
∧∧
( ‥)逆にいうと進化理論の誕生ではじめて
道徳が科学の対象になりうる時代が
きたのだと。
(‥ )まあそうだろうね。
∧∧
( ‥)でも、それは正当化ではないですよね?
(‥ )そりゃあね、道徳を科学することは
道徳の正当化ではないね。
道徳は自然現象になった。しかし、それは正当化ではない。