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2010年6月12日土曜日

実験は再現できるが実験した自分が再現できない

 
 再現できないものは科学ではない

 ∧∧
( ‥)それを言っている人の人生も再現できないから、
   その人は科学でない根拠で科学でないと主張
    しているのかもしれませんね。

     (‥ )まあ、「再現できないものが科学でない」と
          本に書いてあったら”再現できる”とは言える
          のかな?

 再現できる、というのは”指示対象であるそれ”が未来においても過去においても均一で同一であるということを示す。あるいはそれが前提。おそらく。

 ∧∧
(‥ )個物を対象にするのが科学である、そういう主張
 □-  なのでしょうか?

     (‥ )さあどうだろうね? 個物とは何か?
         そもそもそれがよく分からないからなあ。

 もしかしてその人にとっては「再現できないものは科学でない」と記述してあって、何度でも手にして読むことができる”その1冊の本”は個物なのかもしれない。

 ∧∧
( ‥)個物ってindividualのことでしょ?(個体と個物は同じ)
   1冊の”その本”が個物ってのは言葉的には正しそうですよね?

     (‥ )まあそうねえ。
 
 まあ、ようするにこう?

 ”科学とは均一で、過去においても未来においても性質が変わらないものを対象にして、なおかつ実験によって反応や動作を行うことができて、しかもその結果が人間の手で確認、観測できるものである”

 ∧∧
( ‥)ということになりますか。ずいぶん不便な
    世界観ですけどもね。

     (‥ )生物学や地学、天文学では役に立たない
         考え方であるねえ。

 水は? 水とかはどうなるんだろうか?

 ∧∧
( ‥)純粋ではないですし、例え純粋であるとしても
    同位体が混ざっているでしょ?

     (‥ )元素や水、化合物、鉱物の同位体の比率は
         生物や周囲の温度で変わっちゃうしね。

 *生物は軽い同位体を使うし、温度が上がると、例えば水では蒸発しやすい同位体が飛んでしまって比率が変わる。そういうことからその鉱物を生物起源だと推論したり、過去の水温などを計測することが可能。一方でかなりおかしなふるまいを示す生物がいるので(高温状態では重い同位体を使用する)ややこしいこともある。

 ともあれ、あれだ、水は均一な性質を持つ、元素、同位体、化合物の混合したものだから、水は以上の定義でも科学として扱えるものだ、と考えるのかもしれない。

 ∧∧
( ‥)でも、、、元素って言葉を使うのは
    すごく怪しげですよねえ・・・。

     ( ‥)そうねえ、元素って言葉は複数の同位体を
         含む言葉だからねえ。

 再現できるものが科学であるというのなら、元素って言葉は使えないかあるいは最低限こう? 同位体の比率を指定してからでないと(厳密な意味では)使えないというべき?

 ∧∧
( ‥)まあ、ただの便宜的な言葉だ、と言い立てる
    こともできますよね。

     (‥ )種、みたいにな。

 でっ、いつも不思議になる。”再現実験できるものこそ科学である”、この言葉を真に受けて進化理論は科学でない、と主張する人間は意外といる。

 ∧∧
( ‥)最低限、言葉の上では矛盾はないでしょ?
    そう設定したのだからそうなのだ、再現実験うんぬん
    という大前提は、進化理論は科学でない、という
     結論を包含しています。

     (‥ )まあ、言葉に矛盾はないわなあ。
         矛盾がない=妥当、ではないのだけども
         矛盾はないよねえ。

 すべての衛星はチーズで出来ている、月は衛星である、ゆえに月がチーズで出来ている、これと同じくらい矛盾はないと思いますよ、そりゃあ。

 ∧∧
( ‥)再現できないから進化は科学じゃない、
    この言葉は矛盾もなければ
     妥当性も不明、それだけの話です。

     (‥ )そして、こういう主張をする人は
         再現できない歴史を科学として扱うことを
         放棄したわけだよね?

 問題は、科学として扱うことを放棄するのはいいのだけども、ではどういう選択基準で歴史をチョイスしたのか? ということで。

 ∧∧
( ‥)その人たちは歴史をチョイスしますか?

     (‥ )チョイスしてると思うよ。

 自分の人生、自分の経験、世界史、日本史、生物の歴史、これらに対してまったくなんの意見も持っていないなんてことはありえない。

 
     (‥ )科学である私の実験は再現性があって確かだが、
         その実験を行った私の経験は再現性がないので
         科学でもなければ確かでもない、なんて言わないだろう?
 ∧∧
( ‥)まあねえ、自分の人生は再現できないから科学でないのですよね。
    でも自分が行った実験は再現できるから科学であると。
    ずいぶんおかしな話ですし、でもそんなこと言いませんよね。

 実験は再現できるが、実験した自分はもはや再現できない(同じ服を着て、同じことを考えても体を構成する原子入れ替わってるよね?)。

 やった実験は科学だが、実験をした自分の経験は科学ではない、そんなことを言うやつは見たことがない。

 でもその言い様は実は正論ではあるまいか? しかし正論であるはずなのに見たことも聞いたこともないとはこれいかに?
 
 人生も日本の歴史も世界の歴史も生物の歴史も再現できないから、科学でない。それはいいのだけども、昨日こういうことをした、5年前にこういうことがあった、1000年前にこういうことがあった、古代エジプトでこういうことがあった、1万年前にこういうことがあった、それらすべてが科学でないとしても別にかまわないのだけども、


 ∧∧
( ‥)何らかの意見をチョイスしていない、ということは
    ありえないと。

       (‥ )ありえないね。

 問題は、そのチョイスの基準は何? ということで。

 
 ∧∧
( ‥)実は疑似科学なチョイスがありうると?

      (‥ )疑似科学なチョイスがありえない、ということは
          最低限ありえないね。

 それは科学の領域でない、と言ってしまったのだから、他の科学の定義や感覚や進化学や生物学、天文学、地学の観点からすると疑似科学的と言えるチョイスをしてしまうことはありうる。

 区別できないと自ら言ってしまっているのだから、そのチョイスがありえない方がおかしい。

 

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