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2014年5月21日水曜日

戦争はまあ、伝統的に天災なんでしょうね

 
 権力に無抵抗主義の日本人は、迫り来る戦争も天災のひとつだとあきらめきっているのではないか?
 
 ∧∧
(‥ )と、いうような言い方が
\‐  あるみたいですね
    あるいは、
    あったと言うべきですか
 
  (‥ )まあ単純にだ
      このような言い様だけを
      読むとだな
      思い出すのよな
 
 さらに西へ二百里、鹿臺(ろくだい)の山といい、鳥がいる、その状は雄鶏のごとくで人面、名は”ふけい”。鳴く時は我が名呼ぶ。これが現れると戦がおこる。
 
 *”ふけい”の字はちょっと書けない。特殊な漢字だ。そして”我が名呼ぶ”とは、鳴き声が呼び名の由来であることを示す。カッコウが”カッコー”と鳴くようなものである。
 
 
 ∧∧
( ‥)中国の奇書にして古典
    「山海経」だね
    登場箇所は第二 西山経 
    平凡社ライブラリー版だと
    34ページ
 
  ( ‥)山海経:さんがいきょう
    ‐□ どこそこにあるこの山には
      金や銀がある、玉がある
      こんな産物がとれる
      こういう動物がいる
      そういう地域ごとの産物を
      記した地理書だけども..

 
 出てくるのは実在のものたちだけではない。化け物、怪物も多く登場する。というかむしろそちらの方が主眼というか。
 
 あらゆる野山、河川に様々な怪異たちが潜んでいる。人食いなどはまだ可愛い方で、出現すると大いなる災いをもたらすものたちがいる。
 
 旱魃、洪水、伝染病をもたらす者、無数の命を奪う厄神たちだ
 
 ∧∧
( ‥)そして戦争をもたらす
    怪異もいる
 
  ( ‥)戦争は、旱魃や日照り
    ‐□ 洪水や伝染病と同じく
      天から来る災いだった
      そういうことだね
 
 天帝に成敗された”きんぴ”は大きな鶚(ミサゴ)となった。その状はワシのごとくで黒い文あり、白い首、赤いくちばし、虎の爪、これが現れると大戦が起こる
 
 天神あり、その状は牛のごとくで八つの足、二つの首、馬の尾、その声は勃皇のよう。これが現れるとその国に戦が起こる
 
 その状は”はいそ”のごとく。白い耳に白いくちさき、名は狙如(そじょ)。これが現れるとその国に大戦おこる。
 
 *pp38, pp39, pp108
 
 
 ∧∧
(‥ )山海経が成立したのは
\‐  古代中国における
    戦国時代だったみたいだね
 
  (‥ )戦争とは、古来から
      自然災害と同様の
      恐ろしいものだった
      まあ当たり前だよね
      
 
 今も昔も中国も日本も変わりない。なんらかの物理的な理由があって戦争が起こる。それは個人では止めようが無く、勝敗もまた物理的な理由で決定される。
 
 ∧∧
( ‥)起こるべくして起こり
    勝つべくして
    あるいは負けるべくして
    勝ち負けが決まる
 
  (‥ )それだけの話って
      ことだろうな
 
 ああ、冒頭の言葉。権力に無抵抗、という言い様も、裏を返せば、抵抗しさえすれば世界はまるで粘土のごとく自在に変るという世界観ではないのか?
 
 ∧∧
( ‥)でも実際にはそうではない
 
  (‥ )世界は起こるべくして
      起こり
      次の均衡状態へ移行する
      それだけの話よ
      自由なんて無いって
      こった
 
 
 サッカーの監督が、試合のその局面局面では自由意志を働かせて可能性をもぎ取るものの、大局的には自由なんて無かったかのように、当初の数値が示した結果に落ち着く。
 
 それと同じように、自由意志が可能性をつかんでも、結果は収束するだけだろう。権力に抵抗しようが、無抵抗であろうが、結果は同じだろう。
 
 ∧∧
(‥ )冒頭の発言者は
\‐  厭戦気分なんですかね?
 
  (‥ )WW2における敗北
     なんかさ、実感するよね
 
 一度、敗北した軍隊は、勝てる条件でもなかなか勝てなくなる。そういう話。
 
 ∧∧
( ‥)戦争という緊張状態では
    敗北でついてしまった
    また負けるのではないか?
    という不安、
    この感覚が大きな影響力を
    持ってくると
 
  ( ‥)ほら、前に話をした
    ‐□ じゃないか
      戦争を子供の頃に
      体験した人との話
 
 この話=>hilihiliのhilihili: もはや戦争は軍国主義を望んでいないという可能性
 
 安倍首相の色々な活動を、その人がひどく毛嫌いするのも、同じことなのかもしれない。少なくとも、もう戦争はいやだというか、より正確に言うと、負け戦はいやなのだ。
 
 つまり戦争に負けたという経験は、負けた人々にとって色々な自信を喪失する原因であり、機会であったということではないのか? 当たり前の話なのだけども、当たり前だけに深刻で現実的な話でもある。
 
 しかし、本当に深刻なのは
 
 ∧∧
(‥ )戦争が起こるべくして
\‐  起こるのだとしたら
    起こすべきか否かとか
    そういう話じゃなくなる
    むしろそこが深刻
 
  (‥ )あきらめる
      あきらめない
      そういう話でもないとも
      言える
      つまり
      自由意志とは関係ない
      そういうことになる
 
 本当に深刻なのは意思があろうがなかろうが、やりたくなかろうがなんだろうが、世界はそんなこと配慮してくれない。ただこの一点にあるのだろう。
 
 ∧∧
( ‥)戦争は天災以外の何者でも
    ないってことですかね
 
  (‥ )賢しい連中は
      状況のコントロールを
      試みては失敗し、
      そして社会の理不尽さに
      絶望するだろう?
      冒頭の言葉自身が
      そうだよね?
      だったら気づくべきだよな
 
 社会同士の戦いである戦争は社会そのものよりもはるかに理不尽なものになろう。だとしたら、それは天から降ってくるものと区別できないってことになる。
     
 あきらめようがなんだろうが、戦争とはそういうものではないのか? 考えてみれば反戦デモをまるで無視してイラク戦争で大失敗、さりとて反戦主義者の株が上がるかというと微妙で、むしろオバマ大統領は世界中から馬鹿じゃね? とか、隙ありと付け込まれる有様を我々は目にしてきたのではなかったか? ブッシュの方がましだったなんて言われる始末。

 
 私たちは社会の一員であるはずだのに、その社会が決める意思決定には誰一人として参加できない、そういうことではないのか? 
 
 細胞が個体の意思決定には参加できないように、脳細胞さえも演算に参加しているのに、その結果には参加できないように。集合の動きとはそういうものではなかったか? 
 
 だとしたら、戦争が我々にはあずかり知れない天災となること、これは必定。
 
  
 
 
 

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