自己紹介

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2014年5月21日水曜日

律法主義

 
 ∧∧
( ‥)どう思います?
 
  (‥ )んー
      例えばの話
 
 弁護を引き受けたのは良いが、被告人なり被疑者なりが有罪なのか無罪なのか、それは究極的なところ分からない。
 
 ∧∧
(‥ )そしたらもう論証に
\‐   走るしか無い
 
  (‥ )論証の妥当性に
      走るしか無いのだ
      まあ、実際に
      検察や弁護人が論証の
      妥当性を争っているのか?
      それ自体には議論の余地が
      あるけどもね

 
 *端から見てると、検察も弁護人も面子とか建前とか仕事だからとか、金だからとか、そんな程度のことしか考えていないんじゃねーの? という可能性
 
 まあ、こういう解釈、これ自体は置いておくとして。
 
 いずれにしてもこうである。論証と妥当性に走るにしても、あるいは単に法的な解釈と法的な妥当性だけに走るにしても、
 
 ∧∧
( ‥)どっちにしても
    彼らは
    被疑者以外の関係者を
    全部置き去りに
    してしまうだろうと
 
  (‥ )争点は有罪か無罪だろ?
      だったら被害者のことや
      被害者の心情について
      興味を持たんよな
      争点ではないのだからね
 
 法律だけを見て、法律が人々のために作られたものであることを忘れて法律を行使する。それを考えると弁護士がしばしば揶揄されること。いや、それは検察もそうなのだが、彼らは法律で人々を害する律法主義者だと揶揄されることは、当然と言えば当然かもしれぬ。
 
 特に人間の法律はたちが悪い。法律は法律の妥当性それ自体をまったく語らないのに、行使する力自体は持っているから法律は暴君として振る舞う。特に律法主義者の手にかかれば、それはただの暴力だ。
 
 ∧∧
(‥ )あなたも律法主義的に
\‐  振る舞う事があるよね
 
  (‥ )消費者よりも
      妥当性が上位
      それが当然
 
 科学や論証は人々の想いや願いを踏みにじるものだ。例えばの話、この鼻血は放射能のせいなのです、とあなたは言うけども、そんなデータや統計的な事例はどこにあるのよ? そう問われれば、放射能が恐ろしくて引っ越しを繰り返した人はおおいに傷つくのである。そういう場面はここ数年、あちこちで起きたことだった。科学は妥当性を争点にしているのであって、人々の想いに興味はない。
 
 ∧∧
( ‥)科学は律法主義的だと?
 
  (‥ )いやあ、律法主義よりは
      ずっとまっとうだよ
 
 なんといっても、科学には自己破壊がある。我と我が身を破壊するのが科学の歴史。その根底には狂気が渦巻いている。
 
 一方、法律にこんなものはない。あるのはルールを守れ、守れ、それだけだ。彼らは無意味なくらい真面目すぎる。
 
 

     

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