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2014年5月26日月曜日

泥縄は必要だけども、自慢したり満足したりすることではないよな

 
 時は金なり、時間は有限であり、情報の価値は同じではない。つまり、ライバルを出し抜くには大量の情報から有意義な知識を得なければならない。それゆえ、限られた時間内に、大量の資料に素早く眼を通すことが必要だ。
 
 まず作業仮説を組み立てる。仮説は物事の理解の枠組みで、何を探すべきかを教えてくれる。その理解に沿って、視線の動かす先に次々に現れる文字、何百、何千、何万、そうした文字の中から、これだ! というものを探し当てる。これであれば一冊の本を読み終えるのに1時間もかからず、内容も把握できる。
 
 このように作業仮説に沿って必要な情報を本の中から探し出し、探した情報を付け加えることで第一の作業仮説をアップグレードし、それに基づいてさらに次の情報を探していく。そうして理解を完成させる。大量の本と資料からすべての内容を適切に把握し、素早く説得力のあるプレゼンへと完成させる必須の方法だ。
 
 ∧∧
( ‥)などと大袈裟に言って
    おりますが
    これ、
    資料にざっと眼を通しました
    それだけの話だよね
 
  ( ‥)止むに止まれず
    ‐□ こういう作業をする時が
      実際にあるけどもさ
      必要だけども基本的に
      馬鹿作業なんだよな
      馬鹿って言い方が
      抽象的だというのなら
      こんなもの泥縄であり
      応急処置でしかないんだよ
 
 こういう作業を自慢する人は時々いるけども、いやあ、正直な話、とてもじゃないが自慢出来るようなものじゃないよねえ?
 
 それに自慢うんぬん以前に、これには致命的な問題がおそらくある。
 
 ∧∧
(‥ )人間が一回に処理出来る
\‐  情報や単語、知識の数って
    多分、基本的に
    全員がほぼ同じだよね
 
  (‥ )つまり時間あたりに
      処理出来る単語や
      知識の数には
      限界があるのだ
 
 当たり前の話なんだけども、それゆえにこそ、作業仮説とか自称するものが必要なんである。これが大事だ、これが大事じゃない、そういう”ふるい”に該当するものが無いと、資料に眼を通していてもこれが大事だ、必要だってことが分からない。大量の資料から”有意義な情報”を選別できない。
 
 言い換えれば、高速で選別作業するために発明した”ふるい”それが作業仮説なのだが...
 
 ∧∧
( ‥)その作業仮説が
    ただの思い込みだったら
    どうするんだい?
    という話
 
  (‥ )そうなるとさ
      大量のデータから
      自分の作業仮説と
      うまく整合する話だけを
      ひたすら
      かき集めることに
      なっちゃうんだよな
      有意義な情報とやらも
      それはただの自称にしか
      ならないわけだ
 
 これはデータからグラフを描いて仮説を検証する、という作業とは明らかに違うだろう。
 
 なんでかというと、グラフを描く時には、こっちの思い込みとは別個の基準、例えば最小二乗法とかが存在する。それゆえに思い込みや恣意的なデータが、”それは恣意的である”ときちんと表示されうる。もちろんこれは完全でも絶対でもないけども、人間の思い込みとグラフを描く基準が別個にある、というのはかなりな程度、安全装置になりうる。
 
 ∧∧
(‥ )でも最初のような
\‐  資料の高速読みだと
    作業仮説とデータの解釈は
    表裏一体、渾然一体
    なんだよね
 
  (‥ )めちゃくちゃ危険なことを
      やっているのだよな
 
 もちろん、そういう危険性を意識して、確認作業をすることは出来るけども。
 
 ∧∧
( ‥)いくらやっても
    根本的な問題点は
    そのままだからね
    根本的な解決には
    なりえないと
 
  ( ‥)なんかさあ、速読とか
    ‐□ 大データーとか
      そういう泥縄を
      無駄に熱心に
      自慢げに語る人は
      昔からいるけどさ
      たぶん、ものすごく
      やばいことを
      やっているんだよね
      だけど連中は
      その自覚が
      まるでないんだよな
 
 それを考えると、なんか腑に落ちることがある。ビジネスにおける先進性を熱心に吹聴する人々のやっていることや見解が、話を聞いてみれば結局のところぺらいのだ。そういう場面に遭遇することはないか?
 
 ∧∧
( ‥)大量のデータに眼を通して
    疲れた頭を休めながら
    満足しているけども
    結局は自分の思い込みを
    補強しているだけだった
    その結果がぺらさに
    つながるのかもしれない
 
  (‥ )すべては幻想かもしれない
      わけだよ
 
 選ばれしエリートを自称する人々が、実際には巨大な集団幻覚の中で泳ぎ回っている金魚でしかない可能性。そして、頑張ったから俺の人生は正しい、そういう無意味な思い込みにしがみついている普通のおっさんたちと、実は何一つとして変っていないのではないか、という懸念。
 
 
 

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