自己紹介

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2015年3月9日月曜日

モデルがあるとか、そんな話どうでもいいわい

 
 
 この国は目指すべきモデルがないまま堂々巡りをしている
 
 ∧∧
(‥ )という意見が
\‐  
 
  (‥ )そして
      ”だから僕の考えたモデル”を
      提案します
      そういうことだろ?
 
 ∧∧
( ‥)つまり
 
  (‥ )人間は物事を見て
      アイデアを思いつき
      それを正当化するために
      理屈を後付けして
      理路整然と正当性を
      述べてみせる
 
 それを踏まえて考えると
 
 ∧∧
(‥ )目指すべきモデルがない
\‐  そこで私は
    モデルを考えました
    これは実のところ
    まったく
    根拠の無い意見だと
 
  (‥ )まあ根拠はあるんだよ
      後付けだがな
 
 もちろん、理屈や根拠を後付けしても良いのだ。後付けされたことと、それが成功するかどうかは関係ない。
 
 そういう意味では、お前のアイデアも所詮は後付けなんだから無意味だろ? というのは言い過ぎなんである。もしかしたら結果的に価値があるアイデアで成功するかもしれない。ただ単に、無数のアイデアのどれが成功するのか、それを予め知る術が我々に無い以上、いかなるアイデアも、それがいかにもっともらしく見えても、価値判断なんか出来ない、価値判断してもそれは結果と関係ない、そういうことでもある。
 
 ∧∧
(‥ )結果を知るには
\‐  なにより試せば良いんだよね
 
  (‥ )進化のプロセスだな
      そして進化を進める時
      必要なのは
      実行と手数だ
 
 考えてみればマルクス主義が失敗した理由には色々あろうが、そのひとつはまさにここにあったのだろう。国家が司令部として決定論的に計画を立てた時、手数はたったひとつとなって、それは必然的に破滅をまねく。
 
 無数のアリであれば複雑な迷路を解けるだろう。アリよりもはるかに大量である水の分子ならどんな複雑な迷路も解けるだろう。迷路に水を注入すれば、出口から水はあふれ出すのだ。
 
 だがたくさんでもなく無数でもなく、それらを合してたったひとつの個体になったらどうか? 無数の人々が好き勝手して解を探すべき時に、それを意思統一してしまったらどうなるか? 出口もわからず、迷路の中で餓死することになる。
 
 ∧∧
(‥ )私にはモデルがあります
\‐  こう言っているこの人も
    もともとはマルクス主義者
     だったよね
 
  (‥ )マルクス主義っていうのは
      論理的な人間が
      ここ150年の間に
      選んだ衣装だな
 
 つまり、マルクス主義というのは、実のところ失敗の本質ではないだと言える。あれは衣装でしかない。本質というか本体というか、失敗の本丸というか。それは論理的に物事を考えるその人自身にあるのだろう。
 
 論理的な人間はなぜ敗北するか? 答えは単純、それは論理的だからだ。
 
 思いつきを論理的に述べる。これはかなり頭が良いことを示す。もちろんこのような頭の良さはまったく無意味で無駄だ。そもそも知能自体に意味がない。だが、彼らは無駄に頭が良いからこそ、思いつきでしかない計画を後付けで理論武装することが非常に得意だろう。そうではなかったか?
 
 それのみならず、彼らの言葉は知的で魅力的であるゆえに、その計画に皆を賛同させ巻き込んでしまう。事実、そうではなかったか?
 
 それゆえにこそ手数がたったひとつになる。それだけのことなんだろう。
 
 ∧∧
( ‥)でっ必然的に失敗すると
 
  ( ‥)だからなあ
    ‐□ モデルがあるとか
      そういう話は
      どうでもいいんだよ
 
 アイデアがあるというのなら、分かった、分かった。まずは自分でやってくれ。
 
 それで成功したら僕らも一口乗ろう。賢い奴はそうやって追い返すに限る。相手が儲かったらみんなで便乗すれば良いし、儲からずに失意に沈んだら、まあ、愚痴のひとつも聞いてやれば良い。
 
 モデルがあるだの、こうしなければいけないだの、そんな話、どうでもいい。
 
 
 
 
      

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