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2012年12月5日水曜日

定義の牢獄/異形の論証者

 
 
 ある映画監督が語ったとされる言葉でこんなものがあるそうだ。
 
 人工知能が人間に接近できるか? 映画製作にあたって専門家に尋ねると曰く、人間は定義できない。科学は定義できないものを扱えない。ゆえに人工知能が人間に接近できたかどうかは科学ではない。
 
 ∧∧
( ‥)本当にそんな言及があったのか
    分かりかねますけど、まあ
    あったとしましょうか
 
  (‥ )それを考えるとダーウィン
      は偉大だよな。
 
 ダーウィンは種を定義しないと明言した上で種の由来を論じた。
 
 ∧∧
( ‥)理由はたぶん、簡単でしょうね
 
  (‥ )定義すると、結論はその
      定義自体に制約されるの
      だよな。
 
 平行線は交わることがない、ゆえに三角形の内角の和は180度である
 
 人間は平和を愛する動物である。ゆえに戦争が起きるのは異常事態であり、原因が人の外部のどこからかやってくる。おそらくそれは文明や競争社会という狂った悪魔。
 
 ∧∧
(‥ )そうではなく、もっと明瞭に
\–   定義できるパーツ、個々の
     事実を積み重ねて考える。
     例えば特徴に注目して
     それを累積させて
     考えていくと、
     種は消失してしまう
 
  (‥ )説明するべき種を
      定義することなく、
      もっと別の
      定義を延長することで、
      説明するべき種、
      それ自体を破壊する
 
 種が消失し、代わりに系統が出現する。
 
 出現した系統を人間の認識に解体すると種になる。
 
 ∧∧
( ‥)しかし、系統を分解するのは
    人間の認識であって、外部に
    ある実在物ではない。
 
 (‥ )種は存在せず、ゆえに
     種は定義できるものではない
     このように種を定義しない
     理由は明らかとなり、
     系統と進化のみが論証された
     形式としては
     かなり独創的で
     逆説的だとも言えるかな?
     科学の歴史における
     論証としては
     異色で華麗なもののひとつ
     だろうね
 
 
 一方、冒頭の発言は、科学は定義できるものだけを扱う、そういう定義の提案だとも言える。
 
 *一応、言っておくと定義の提案は真理や、ましてや妥当性の提案、提示ではない。
 
 ∧∧
(‥ )以上の定義を受け入れたら、
\–   しかし、科学はほとんど
     まったく無力の
     存在になってしまう
     でしょうね、
     自分の定義だけを
     累積させた無矛盾で
     独りよがりの
     体系になるだけでは?
 
  (‥ )一見すると
      数学っぽいとも言える
      けども、数学でさえ
      そういうものでは
      おそらくないよな。
 
 自然数だけが数だという定義に拘泥すると、二次方程式ですらまともに解けなくなってしまう。
 
 ∧∧
( ‥)それを突破するために
    霊感のように新しい定義を
    導入し、新しい体系を
    創出し、数の世界を拡張する
    数学の歴史ってそういう
    側面がありますよね
 
  ( ‥)自然科学にいたっては
    –□ ダーウィンのように
       定義できないものを
       定義しないままに
       破壊する人もいるのだ
 
 アルキメデスもそうだったけども、この世界には得体の知れない、しかし、あっと驚くような戦法と論証方式を持って大鎌をふるう人がごくまれに現れる。彼らに比べればあまたいる天才など取るに足らない存在だ。定義に拘泥して飛べない彼ら凡才は、それを仰ぎ見て、奇怪な、、、と、ただつぶやくのみ。
 
  
 

 

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