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2018年11月22日木曜日

書いた人間が勝ちますので舞台に上がれ

 
 ∧∧
(‥ )百田尚樹って人が書いた
\‐  日本国紀って本が
    今、大変に売れていて
    そいでもって
    記述の一部が
    wikiのコピペだと
    話題沸騰
 
  (‥ )wikiのコピペどころか
      wikiを丸ごと本にして
      売りつけるやつも
      いるから
      別にどうってことのない
      話に聞こえるけどな
      というか
      むしろ良心的な方
 
 ナショジオの記事やnatureのアブストラクトをそのまんま記事にして本を書く。そんな連中、山ほどいるわけで、wikiのコピペだからなんだという感じである。珍しくもない。
 
 
 ∧∧
(‥ )記述に間違いがある
\‐  おそらく参考にした本自体が
    間違いだろう
    間違いからすると彼が
    参考にしたのは
    ここのサイトだ
    そう指摘する人もいるね
 
  (‥ )まあ指摘するのは
      結構だけどもよ
      そのままだと
      指摘したやつも
      負け犬だから
      指摘の後で
      自分は何をするかが
      問われるなあ
 
 ∧∧
(‥ )元号1つでさえも
\‐  一生かけて研究しているのに
   こんな人が
   日本史なんか書けるわけがない!
   と主張する人もいるね
 
  (‥ )ああそれだと完全に
      負け犬になってしまうので
      それを言い放った後
      どうするかだね
 
 細かくやると1日の歴史でさえも記述は無限大になる。
 
 反対に、地球の歴史から見れば日本史にも世界史にも何の意味もない。

 というか人類史からみてさえも世界史に意味など欠けらもない。人類は知能を得て、そして失って繁栄した。それだけで終わりだ。
 
 研究者が心血注いで作り上げた業績に意味があるかないか、それは視点の違いだけでしかない。客観的な価値などないのである。
 
 ∧∧
(‥ )言い換えれば
\‐  研究者でなくとも
    書けることはあるし
    研究者でなければ
    書けないこともある
    その範囲と要望の違いだね
 
  (‥ )だからな片方の要望に
      基づいて片方を
      断罪しちゃあダメだ
 
 そしてなにより、言うだけでは負け犬だ。

 少なくとも、以上のような批判を言った以上、このままでは、お前がプレーヤーになることはない。

 だって、これからの人生、私は観客席から訳知り顔でヤジを飛ばすことに決めた、そう言ったからである。
 
 つまるところ、このままでは、wikiのコピペが混ざっていようが、その1冊を本にしてみせた人間に、お前は絶対に勝てない。
 
 ∧∧
( ‥)そういうあんたはどうする?
    このままあんたも
    そんなヤジじゃ駄目だよと
    ヤジ評論するだけで
    外野で終わるのかね?
 
  ( ‥)今、科学の歴史を
    ‐/ 書いてるだろう?
       科学史とは言え
       歴史は歴史
       そうねえ
       ここから百田って人と
       同じ土俵に向かって
       勝負すること
       それはできるよね
 
 とはいえしかし、自分の関心は日本史というよりは世界史であった。
 
 ∧∧
(‥ )書くのは無茶だよ
\‐
 
  (‥ )ははっ無茶か
      そういって
      ヤジだけ飛ばして
      何も作れずに
      自己満足だけで終わった
      連中の死体で
      この世界はいっぱいだ
      自分もそれになるかね?
      俺は嫌だぞ
 
 おかしなもので、日本の本で、こういう分野丸ごとを一人で記述した本はあまりない。文系、理系にかかわらずそう見える。
 
 外国の本だとあるし重宝するのだが、日本語の本ではない。
 
 これはどういうことか?
 
 日本人は失敗を恐れ、同業者から叩かれるのを極端に恐れるからであろうか?
 
 だから日本の研究者は、これぞ入門書と謳いながら、実際には自分のやっている狭いことだけを無駄に詳細に書くのであろうか?
 
 あるいは、海外の研究者が無理も無茶も間違いも誤字も脱字も恐れずに、分野丸ごとの本を一人で書くのはなぜであろうか?
 
 欧米の人間は一神教徒で、物事の背景には一本筋の通った、真理と因果と原因と法則があると信じる。それを抽出することこそが、彼らにとって徳のある行為だからか?

 だからこそ、一人でこれぞ我が分野と抽出してみせるのか?
 
 確かに、分野丸ごと書くとは余計な枝葉を切ること、本質をあぶり出し、抽出する作業だろう。
 
 あるいは、日本の研究者が自分の業績紹介だけのつぶしの効かない本を書くのは、細かい彫り物や細工にやたらと凝ってしまう国民性のせいであろうか?
 
 それとも以上の指摘はそもそも全部間違いであろうか?
 
 あるいはもしかしたら海外の本にそういうものがあるのは、人口比の違いにすぎず、どちらも出現頻度は同じなのであろうか?
 
 日本語話者よりも非日本語話者の方が圧倒的に多いから、単にそれだけの理由で出現に大きな開きが見えるだけであろうか?
 
 ∧∧
( ‥)どっちにしろ
    あなたは機会があれば
    専門家でもないのに
    世界史の本も書きますよと
 
  (‥ )そりゃあ書きますよ
      これをしなかったら
      一生負け犬ですぜ
 
 
 とはいえ、次のことが言える。

 書いた人間が勝ちます。だから論評するだけでは駄目である。指摘がどれだけ正しくても、それでは負け犬だ。指摘するだけでも、言うだけでも駄目であると。
 
 ∧∧
(‥ )研究と論文こそ至高の価値
\‐  と言ってても
    引用もされずに
    終わっちゃう論文あるからね
 
  (‥ )心血注いだ研究も
      引用されなかったら
      売れなかった駄本や
      エロ漫画と
      同じ運命なんでな
      価値なんかありゃしねえ
      吠えてる暇があったら
      プレーヤーになって
      みせるこったよ
 
 さあ、舞台へ上がれ。そして始めよう。殺し合いだ。


 
 
 
  

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