体力をつけるのなら1時間ぐらい走らなくちゃだめですよ。
なるほど、そうですか、では。
∧∧
( ‥)まだ20分ですが
( _ _)-
隣駅までが限界。
∧∧
( ‥)距離にして3キロ、時速にして9キロってとこですね。
-□
( _ _)・・・・
帰りはへこへこと歩いてちょうど1時間だった。5キロ走ると体力がつきますよ、という話もあった。ああ、無理だねえ。現段階では駄目だねえ。きっと死ぬ。
公園にいったらツツジの花にぶんぶんとハナバチが群れていた。せっせと花粉と蜜を集めてく。
仮に自分がハナバチであったとする。ただし現実のハナバチと違って「トータルで必要な蜜を集める」のではなく、一番蜜の量が多い花を発見せよ、そういう課題をこなすとする。
(‥ )それに必要な能力ってなんだと思う?
∧∧
( ‥)探索する体力とスピード、調査する感覚器官、比較する適切な基準
じゃないですかね?
要するに、それさえあればもはや知能も知性も必要なくね? →*
( ‥)仮に無限大の体力があれば
時間の問題は置いておくにしても、
すべてを調べられる。
∧∧
( ‥)まあ、そんな単純な話ではないと思いますけど、
体力がないとそもそも探索できませんからね。
おおむね良しでしょうか。
1万の花のうち、10個を探索しましたと、6000の花を探索しました、ではどっちがいいかというと、そりゃあ6000だろう。
∧∧
( ‥)でも仮に1万のうち、100までしか調べられないとしたら
どうします?
(‥ )どれだけ最善を尽くせるか?ってことだよね。
でたらめに100をチョイスする手もあれば、最初の30個で「どうも赤い花が蜜の量が多いらしい」と思えたら、赤い花を選択する機会を増やす、それが反証されない限りその傾向をさらに増やし、、、という手もありそう(これが知能だという人もいるかもしれないけども、系統推定の/樹形探索のプログラムってこういうのじゃないすかね?)。
そしてそもそも
(‥ )体力がないと1万のうちの最大100までという
制限さえ使えきれない場合がある。
∧∧
( ‥)でしょうね。
体力が無限大なら知能いらなくね?
∧∧
( ‥)でも体力だけでも駄目ですよね?
(‥ )花を発見したり比較する能力も必要だけども、
そもそも蜜の量が多い少ないを決定できないと探索する意味がない(*実際には量もさることながら糖度とかも関係してくるんでしょうかね)。
∧∧
( ‥)データを比較する何らかの基準を持つこと、
さらにその基準は適正であること、
それが必要なのでは?
(‥ )例えばデータからグラフを導く能力とかが
必要だよなあ。
例えば2つの仮説のどちらをチョイスするのか? という時、データがどっちを支持するのか適正に見極めることができないと、チョイスはまるで意味がなくなってしまう、たぶん。
∧∧
( ‥)つまり、体力、感覚器官、比較する適正な基準があれば
最善の解答を発見しうると。
(‥ )と、それでいいんじゃねーの? とね。
ハナバチなんかは飛行距離とか飛翔時に消耗する蜜の量とか、そういうもろもろ経済的な要因で行動が制限されるらしいけども。まあ、それは人間だって同じこと。
そして思うに。
( ‥)オレ様理論屋さんって、反対に「知性」しか
ないんじゃねーか、そう思ってしまう時が
あるなあ。
∧∧
( ‥)普通は逆に言われていますけどね。
自分の発見した「最善の花」にこだわっているのだが、他の花の探索にいかない(資料探しや現場取材にいかない)、花を見てもぴんとこない(本を読まない、あるいは都合のよいように曲解する)、蜜の量を比較する基準がない(最小二乗法とか最節約法とか最尤法を無視してオレ様基準)。
∧∧
( ‥)そういうのを知性がないと言うのでは?
(‥ )いや、それがむしろ知性じゃねーの?
現実との格闘ではなくて、もっときれいで居心地のいい活字と論理の世界で自分の発見した夢から離れられない。
(‥ )ほら、知性的。
∧∧
( ‥)はあ、まあねえ。
これとは反対に、科学者はマラリアにかかると分かっているのにジャングルへいって、そして死ぬ人たちだしね。現実との格闘ってそういうことなんじゃないの? と。
∧∧
( ‥)論証のためなら命を賭けろと。
(‥ )ならば敬意に値する。