昨日スケッチした公園のチューリップが散ったので、落ちた花びらをさらに詳細に観察したところ、花弁と萼の違いはこんな感じらしい。
萼:中央に平行脈によるバンドがある。中央の脈は末端まで届くが、細く明瞭でなく、周囲に脈が多数あるので目立たない
花弁:中央の平行脈によるバンドは脈が少ない。中央の脈は太く、はっきりと末端まで届く。周囲に脈がほとんどないのでさらによく目立つ
(‥ )品種や大きさによってその明瞭さに違いはあれど
∧∧
( ‥)どうやら区別できそうですね。
黄色い大きなチューリップでは平行脈が密で、なおかつ中央の脈がかなりはっきりしているものがあった。しかし、平行脈がほとんどなく、中央にはっきりした太い脈が走り、バンドの左右を縁取る1対の脈+中央の脈の3本が走るものがある。どうもこっちが花弁で、先の、平行脈が細かいのが萼ということらしい。
とはいえ、しかし
∧∧
( ‥)これこれが萼である、これこれが花弁である、そういう
大前提に基づいて散って落ちた花弁と萼とを識別しているだけで
それは論証とはいえないのではないか?
(‥ )あるいはこうかね。この大前提は正しい、
その大前提に基づいた識別はゆえに正しい
この主張は根拠を示さぬ循環論法ではないのか?
北村が言う、チューリップの萼と花弁は(少なくともこれまで見た品種で考える限り)形態から識別できる、という主張は実のところ意味がないのではないか。もしかしたら血液型占いと同程度なんじゃないのか以下ウンヌン。
∧∧
( ‥)まあ、今のところ、花弁も萼も花の中央に平行した脈による
バンドがあること。
(‥ )そのバンドが「平行脈が密に(10本以上)走る」もの
「数本程度で、大部分は末端にまで届かず、
末端にまで届く中央脈が目立つ」もの、
このように識別することができること。
そのように識別できるものが花についている状態から考えると、それぞれ萼と花弁に相当すること。かつまた、「平行脈も中央の脈もない」、「数本の明瞭で太い平行脈は走る」というどっちに分類/識別していいのか分からないようなものは出現していないこと。
∧∧
( ‥)そして、中央に明瞭な脈のあるものが、萼としての
位置についているチューリップや、
(‥ )平行脈が多数走るバンドをもつものが、花弁としての
位置についているチューリップを見ていないこと。
∧∧
( ‥)でっ? 以上の主張はあなたの仮説が正しいことを
証明するものですかね? (証明って言葉を使っちった)
(‥ )違うだろうなあ。
現時点ではこの仮説を捨てる必要性を認めないのは、以上のような理由であります。
というだけの話。
あっ、でも、ここでさらにいじわるなことを考えてみる。
∧∧
( ‥)血液型占いを信じる人や、オレ様鳥進化論者や人間アクア説論者も
言うのではないですかね? 現時点でオレ様の仮説を捨てないのは
以上のような理由であります、以下ウンヌン。
(‥ )というか、そういう台詞は普通に言われることであるね。
さて? では、おいらの仮説は彼らのとは違うんだい!! と主張するにはどうしたらいいもんですかねー。