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2013年7月13日土曜日

似ているようで、この議論、重大な相違点があり、混合されている

 
 2011年の震災で原発がぱーんしてからしばらくして、その人のところに知人から連絡があったという。子供がじんましんを出しているの! きっと放射能の影響だわ、どうしよう!!
 
 聞けばその知人、放射能が怖くて、まだ小さな赤ん坊を連れてあっちこっちへ幾度も引っ越しを繰り返していたらしい。
 
 ∧∧
( ‥)...原因それじゃね?
 
  (‥ )とっ、その人がいったら
      がちゃんと電話を切られて
      それっきりだそうだ。
 
 一方、知り合いの奥さんはこういった。幼稚園のお母さんたちの中にもすごく心配性な人がいて、野菜は放射能の心配がないこの商品を選ばなきゃいけない! と言う、そうなの? と思って最初はそうしていたんだけど、めんどっちーし高いからやめちゃったー、とのこと。
 
 がははははっ、と笑っていたその笑顔がまぶしい。
 
 
  ( ‥)まあ、こういう姿勢が
    ‐□ 良かったわけだよ。
 
 ∧∧
( ‥)本当に危ないなら、みんな
    逃げるだろう、
    そういう判断ですね。
 
 ああ、もちろん、地下鉄が放火されて煙が充満するまで逃げなかった客がいる、それで亡くなった人もいる。あれは周囲を見て大丈夫だ、そう思い込んだ心理的な失敗で、今の日本もそれと同じではないか!! そう力説した人が、原発ぱーん当時にいた。それはそれで、事実の、あるいは解釈の一側面なんだろう。
 
 *だが、多くの場合、人間、周囲に流されてればいいんである。それに、言わせてもらえば、逃げるという選択肢に勇気がいるのは彼らが言う通りだが、”動かない”という選択肢も実のところかなりな努力が必要だ。人間はすぐに浮き足立つ。
 
 **2011.03.16に書いたこの後半の話=>hilihiliのhilihili: 3つの選択肢から、あなたならどれを選ぶ?
 
 ***あるいはこちら=>hilihiliのhilihili: 危険から逃げたのか、背景に何もないから逃げたのか?
 
 
 ともあれ、
 
 ∧∧
(‥ )でも、逃げるには
\‐   危険性を把握しないと
     いけませんよね。
 
   (‥ )どのぐらい危険なのか?
       困ったことにそれは
       統計学的なものなのだ。
 
 例えば冒頭の人は冒頭のお母さんにこう言うだろう。あるいはそれこそ、まま、こう言ったのかもしれない。
 
 これまでの知見を照らし合わせて考えるに、この放射線の量で、そんな影響は出ないだろう、出るとしたら、生まれて間もない赤ん坊をあちこち新しい環境につれていってストレスを与えているせいじゃないのか?
 
 ∧∧
( ‥)でも、お母さんは放射線の
    影響だってことを確信して
    いるわけですよね?
 
   (‥ )統計学は確率的なもの
       だよね?
 
 だとしたら、一般にはたとえ影響が出る量ではないとしても、我が子はそうではないかもしれない。そう主張することが出来る。確率のより高い方、ではなく誤差に逃げるのだ。

 それにしてもこの議論の背景にあるのは、
 
 ∧∧
( ‥)因果関係があるかないか、
    それをどう判定するのか、
    という話ですね。
 
  ( ‥)弱ったことにな、
    ‐□ こういう話になると、
       必ず、万が一を
       考えて頭ごなしに
       否定してはならない、
       という主張が出てくる
 
 まあ、確かにそうなんだろう。因果関係がまだ不明瞭だから規制できない、規制しなかった、そうやって被害を拡大させた例はいくつもある。
 
 ∧∧
( ‥)でも、それ、ちょっと
    違いますよね?
 
  ( ‥)例えば水俣病は
    ‐□ 特異で固有な病気だよね。
      特異な事例には何か他では
      考えられない
      特異で固有な原因が
      あるのではないか?
      例えばメチル水銀と
      相関関係があるか?
      確かめてみよう。
 
 という議論と、
 
 じんましんというかなり広く見られる症状と、自然界や人工環境下ではかき消されてしまうようなごく微量な放射線との間に、因果関係を”そもそも想定する必要”があるの? という議論は
 
 ∧∧
( ‥)同じには扱えないだろうと。
    前者は論証の話、
    後者はそれ以前の、
    仮説を選ぶ選定の話
 
  ( ‥)特異な2つの事例がある
    ‐□ この2つには因果関係が
      あるかも知れない。
      こうした強い関連が
      示唆されるのならば、
      実験的な裏付けがまだ
      ない状況であっても
      規制するべきではないか?
      後知恵ではあるが
      重大な結果を招いたことを
      考えれば、
      水俣病はそうすべきでは
      なかったのか?
 
 だが、冒頭のじんましんはどうだ?
 
 ∧∧
( ‥)冒頭のお母さんは多分、
    言うのですよ。
    原発ぱーんと放射線の
    わずかな増加は特異な
    事例であると。
    2つには因果関係があると
 
  (‥ )だが、対して答えた人は
      こう言っているわけだ
      「短期間に何度も
       引っ越しを繰り返した
       これもまた特異な
       事例であり、私はそれが
       原因だと思います」とね
 
 ∧∧
(‥ )2つの特異な事例に因果関係が
\‐   あるだろうとあたりをつけた。
     では実験的に論証する前に
     事態の重大さを鑑みて
     検証される以前に
     対処すべきか否か?
 
  (‥ )それに対して、
      そもそもなんでその2つを
      因果関係で結びつけたの?
      もっと簡単な原因と結果が
      あるんじゃね?
      で食い違いが起きている
      これが冒頭の話。
 
 一見似ているようで、この議論、重大な相違点がある。
 
 片方は選定済みを論証しようという話
 
 もう片方はそもそもなんでそんな選定をしたの? という話
 
 
 ∧∧
( ‥)特異な事象2つを結びつける
    という因果関係の選定は
    少なくともイメージ的には
    かなり強烈、
    かつ強固なものが
    ありますよね。
    これに対して、
    原因になりうる事柄が
    明らかに複数あって、
    しかも結果や症状が
    ありきたりだと
    論証以前に因果関係の
    選択自体に疑問の目が
    向けられる。
    
 
  (‥ )因果関係の選定は
      因果関係の論証とは
      また違うのだよな。
      あるいは同じではない。
      でもまったく関係ない
      わけでもない。
      ここで混乱が起きている
      のだと思うけどね。
 
 
 次に続く=>hilihiliのhilihili: 原因の候補は無限大に存在し、選定と検証は混乱する
 
 

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