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2013年3月17日日曜日

その陰謀論が現実の近似値になる

 
 
 
 ∧∧
(‥ )取りあえず、スライドグラスに
 □–  グリセリンを一滴垂らして
     様子を見てみましょう。
 
  (‥ )まあ、この時期、これに
      ひっかかってくる浮遊性の
      微粒子といったら、
      杉花粉とか、黄砂だろう
      からね
 
 もっとも、黄砂自体は、現在、大規模には日本へ飛んできていない模様。
 
 さて
 
 基本的にはこちらの続き=>hilihiliのhilihili: それが黄砂であると、なんと論証しようか?
 
 今月10日、関東で起きたことが、3年よりも少し前の春に起きていたらどうなったか?
 
 ∧∧
( ‥)気象庁とマスコミが中国に
    乗っ取られているという
    陰謀論が現れたか?
 
  ( ‥)たぶん、現れなかったと
      思うんだよな。
 
 実際、あの時のマスコミはまだ信用されていたんである。事実、マスコミの自民党バッシングに乗るような形で政権交代が起きたのだから。
 
 ∧∧
(‥ )あの時、政権交代に熱狂した
\–   のはマスコミとか知識人とか
     そう言う人で、一般の人は
     まあ、自民党がなんか
     頼りないから、一度、
     別の人にやらせてみようか、
     その程度のノリだったと
     思いますけどもね。
 
  (‥ )それでも影響力は行使
      できたわけだよ。当時から
      ラーメンの値段だの
      やや高級なバーで飲んだだの
      漢字の読み間違いで
      バッシングするだの、
      マスコミのやりかたは
      常軌を逸していたけども
      結果を出すことが出来たのは
      事実であるな。
 
 しかし、あれから3年と半年あまり。マスコミは敵国のスパイ、工作員であるという陰謀論が急激に、それも普通に眼につくようになった。
 
 実際、マスコミはスパイである。ゆえに自民党に政権が戻ったら、以前のようにラーメンの値段とかそういうどうでも良いことを取り上げ、マスコミは狂ったようにバッシングするに違いない、という陰謀論の予想は的中した。安倍が3500円のカツカレーを食った! 彼には庶民感覚がない!! とマスコミがはやし立てた時、マスコミ工作員説という陰謀論は陰謀論ではなくなり、予想を導きだすアルゴリズムへと昇格した。
 
 ∧∧
( ‥)まあ、このバッシングは、
    安倍さんを叩いた新聞社の
    社内食堂のカレーの方が高い
    という、どうしようもなく
    恥ずかしいオチが
    ついたわけですけども。
 
  ( ‥)正しさを追求した報いだね
    –□
 
 ∧∧
( ‥)正しさ? 二枚舌でしょ?
 
  (‥ )二枚舌とは正しさから
      生まれるものだ。
 
 正しい結論ありき。その結論に物事を合わせるとは、現実を正しさに合わせなくてはいけないということだ。
 
 そして現実を正しさに合わせるには嘘をつくしかない。
 
 ∧∧
( ‥)現実は現実であって
    現実自体が正しさ、である
    わけではないのだと。
 
  (‥ )それに、正しい、には
      重大、かつ、致命的な
      欠点があるわけさね。
 
 正しさは、正しさそれ自身の正しさを保証しない
 
 ∧∧
( ‥)こいつは魔女だから殺すのが
    正しい
 
  ( ‥)それはそれで正しいのだ。
      だがその正しさは
      自分自身の正しさを
      保証してくれない。
 
 正しさとはそれ自身ではまったくの空虚。うつろなガラクタでしかない。
 
 
 ∧∧
( ‥)正しさにとって重要なのは
    正しさではない。
 
  (‥ )正しさ、
      それ自体を推し量る
      普遍の物差しが必要だ。
 
 ∧∧
( ‥)普遍の物差しとはなに?
 
  ( ‥)さあね。
 
 
 
 だが少なくとも、ジャーナリズムとは、良く検証された、確からしい情報を伝えるべきだ、というのであれば、妥当性が物差しとなるだろう。
 
 ∧∧
( ‥)でも? 彼らは妥当性ではなく
    自分たちの正しさを物差しにして
    しまったと
 
  (‥ )ではないかね? 民主党や
      左翼やマルクス主義や、
      そういうものを用いれば
      地上と社会は楽園になる、
      そういう物差しを、
      そういう目的論を使って
      しまったのではないかね?
      楽園実現のためには
      こういう二枚舌だって
      いいはずだ、そういうこと
      ではないのかね。
 
 だがしかし、目的の正しさはそれ自体を何も保証していない。マルクス主義がいくら理論的な楽園を提示しても、理論自体は理論の成功を保証していない。
 
 成功したか、失敗したか、それは別の物差しで検証されねばならぬ。例えば経済とか、賃金とか、株価とか、
 
 ∧∧
( ‥)失敗しました
 
  (‥ )失敗したね。
 
 だが正しさ、それ自体を物差しとする人は、株価だの、人々の賃金だの気にするだろうか?
 
 ∧∧
( ‥)するわけないと
 
  ( ‥)するわけないさ。
    –□ だって彼らは
       そんな物差しを使って
       いないのだからな。
 
 
 ∧∧
(‥ )もし、人々の賃金を気にせず、
\–   自分の正しさだけを頑固に
     死守するのなら
     致命的でしょう
 
  (‥ )致命的だろうね。
      人々を不幸にしているのに
      自分は正しいと思っている
      他人から見れば、
      彼らは人を不幸にするのが
      正しいと思っている、
      そう見えるだろうね
 
 ∧∧
( ‥)つまり、大げさな言い方を
    すればですよ
 
  (‥ )大げさな言い方をすれば、
      このモデルに従った場合、
      マスコミ工作員説は
      現実の近似値になる。
      
 
 

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