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2017年1月24日火曜日

ちょっと頭が良いとは悲惨なことだ

 
 ちょっと頭が良いと周囲の人間が全部馬鹿で劣って見える。
 
 ちょっと頭が良いと周囲より浮くから居心地が悪くなる。だから血縁や地縁に頼れなくなってしまう。
 
 しかしちょっと頭が良いとそこそこな地位につけるのでお給料に困らないし、血縁や地縁に頼る必要が薄くなるか、無くなる。
 
 むしろ血縁や地縁は愚かさの象徴に思えるようになる。
 
 だから、ちょっと頭の良い人間にとって、血縁や地縁を馬鹿にすることは自分の高いステータスを見せびらかすことなのだ。
 
 私は血縁や地縁を頼らなくても生活できますよ! という自慢なのである。
 
 かくてちょっと頭が良くてお給料が良い地位につけた人間は貧乏を馬鹿にするようになるし、経済から浮いた政策や主張を連呼するようになる。
 
 なぜかというに、皆が、経済の回転を良くしよう、こうなったら地縁、血縁に頼った助け合いの社会へ帰還しよう、と話し合っている時に
 
 戦争反対! ヘイト反対! 多文化共生を否定するもの許すまじ!

と浮世離れした主張をがなりたてることは余裕を示すことである。
 
 皆が経済と金と収入の話をしている時に、全然関係ない話をすることは、自分は金に困っていない特権階級であるということを、地縁血縁に頼らざるをえない愚かな貧乏人共に示す絶好の機会なのである。
 
 ∧∧
(‥ )まあ人間ってのは
\−  そういうものなのであると
 
  (‥ )人間は全体のことなど
      考えない
      皆のためという言い訳を
      まといつつ
      必ず自分の利己的な利益を
      誘導しようと考えている
      それを踏まえて行動を
      還元していくと
      こういう結論に至るな
 
 全体主義などありえない。全体主義とは、一部の人間が極端な自由を行使している状態でしかない。
 
 そもそも人間が全体のために行動するのなら、皆のためにやっているのです、などとはいわない。なにも言わずにただただ動作するだけである。
 
 これはなになにだから正当です、と言っている時点で、それはあからさまに言い訳ではないか。
 
 ∧∧
( ‥)皆が勝手なことを
    するからこそ
    俺だけは全体を
    考えなければいけない...
    ではなく
    皆が利己的だからこそ
    皆のためという言葉で
    あなたのことも配慮します
    だから私の利益に
    賛同してくれませんか?
    という取引を持ちかける
    皆のためとは
    実は取引そのものなのだ
 
  (‥ )皆のためにという
      添え言葉は
      全員が利己的利益追求を
      行っている状態でないと
      成立しないし
      必要ですらないのだ
 
 人間に作られた機械を動かす歯車は、皆のために私は働きます、皆さんもそうしてください、などと他の部品に話しかけたりはしない。仮に歯車に人工知能が搭載されたとしてもそんなことは言わないであろう。なぜって最初からそう作られているからだ。
 
 だが人間は違う。人間はあくまでも利己的利益を追求する個体であって、その集合であって、社会は利己的目的が渦巻く修羅場なのだ。調和のとれた社会とは、エゴの闘争が均衡したという意味でしかない。
 
 ∧∧
(‥ )だからこそ
\−  皆のためにという
    言い訳が必要になる
 
  (‥ )だからこそ
     人権とか多文化共生とか
     戦争反対とか
     この主張は良いものの
     はずだから
     それを主張して何が悪いのだ
     という理屈を見たら
     まずその虚飾を剥ぎ取って
     論じなければならぬのだ
 
 人権とか自由とか多文化共生とか戦争反対とか、そんなものは神社のもとに集まろうとか国家のために働こうとか、僕は君のために言ってるんだよ? 取りあえず3年我慢しなさいとか、そういうおっさんの提言と何も変わらない。すべては効果と必要性に応じて個々に論じられることであって、それ自体に普遍の価値はない。

 実際、すべては人間の恣意的な発明であったろう?
 
 宗教は真理を与えてくれるが、しかし真理が真理であるという根拠はどこにもない。真理とは作られたものであり、それは所詮、普遍不滅なものではない。あくまでも人間による創作物だ。
 
 人権も多文化共生も自由と平等も、それは宗教であって信じる必要がなくなればまた消えてしまうものなのである。
 
 そして当然、人はこうした真理を、つまり作られた美辞麗句を利己的目的のために使うのである。

 その利己的目的は賛同できることもあれば、賛同できないこともあろう。

 そして、美辞麗句という上辺だけでは賛成できるかどうかは判断しかねるのだ。
 
 ∧∧
( ‥)だからこそ
    美辞麗句の虚飾をすべて
    剥ぎ取って
    皆のためにという言葉を
    無味乾燥な言い訳として
    見据えて
    それから賛成するかどうか
    判断しなければならぬ
 
  (‥ )すると冒頭のようになる
      それだけの話よ
 
 
 ちょっと頭が良いとは、それはそれは悲惨なことだ。お給料取りにはなれるが、血縁、地縁から排除され、自分で捨ててしまい、帰ることもできず、永久に自慢の虚飾の中に座っている。そうしてその自慢がゆえに人々の支持を失い、思い描いた理想には決して到達できない。ただただ自慢だけに終わる虚飾の人生。

 ちょっと頭が良いとはそういうものだ。
 
 
 ∧∧
( ‥)それがトランプさん当選で
    泡食ってるリベラルな
    人たち?
 
  ( ‥)地縁血縁な貧乏人ども
    −/ とか
       ただただ自分自慢を
       してると
       現実を見誤って
       ああいうことに
       なるんよ
 
 
 ちょっと頭が良いなどと、そんなものは罪人と変わらない。そこんところを考えねばならぬのだ。
 
 
      

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