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2014年12月9日火曜日

読者に苦痛を与え苦しめることが正しい説明

 
 分かったは事実ではない
 
 人はその神経構造に基づき物事を認識し、そして理解したと”感じる”
 
 ”感じる”だけだ。理解は事実ではない。認識だ
 
 認識以上の確信を得るにはテストしなければならない
 
 そして認識の外には、認識を圧殺する現実が存在する
 
 なれば
 
 認識以上を得るには認識が現実に圧殺されなければならぬ
 
 圧殺に絶え残ったものが現時点で最善の仮説であろう
 
 反対にこうである
 
 分かりやすいとは認識でしかなく、それは事実でもない
 
 そうである以上、分かりやすいとは嘘でしかない
 
 つまり良い説明とは分かりやすい嘘である
 
 なれば、相手に理解をさせたかったら相手の望む嘘を言えば良い
 
 心地よい嘘に相手は感激するであろう
 
 反対に相手を傷つけたかったら、ただ単に現実を開示すれば良い
 
 人は事実が持つ複雑さと、検証のためのテスト、つまり現実を用いた意図的な認識の圧殺に恐怖し、苦痛を覚えるであろう
 
 
   ( ‥)...
     ‐/
 
 ∧∧
( ‥)なによ
 
 
   (‥ )つまり相手を
       苦しめれば良いのか!
 ∧∧
( ‥)そう来たか
 
 
 事実は人を傷つける。妥当な仮説は人を苦しめる。
 
 これはおそらく事実であろう。
 
 しかし逆が真であるとは限らない。人を苦しめる仮説だからこれは妥当、ではないのだ。
 
 ∧∧
(‥ )でも科学はそれがどんなに
\‐  単純化されていようと
    苦痛の塊であることに
    疑いはないですよね
 
  (‥ )まあなんだ
      それは学校の授業で
      誰しも感じることで
      あろうなあ
 
 もちろん例えば、物理学は公式を覚えれば良いから楽だ、という人もいる。だが、それは科学の残りかすでしかないのだ。本当の科学とは得体の知れない自然現象を見て首をひねることの連続であり、それを説明するあらゆる仮説、発想、そして検証とテストという苦痛の連続であり、その成れの果てが公式だ。本当の科学は公式の向こう、恐怖と苦痛の世界にある。
 
 物理学ですらこれである。生物学に至ってはあり得るあらゆる化合物の名詞と作用、解剖された肉体と血液、病原体、腐臭に認識論、存在に関わる哲学的な問いつめに至るまで、あらゆる苦痛が吹き出してくる。お前が実在すると言っているその論証のどこが妥当なんだい? 果てしない問いつめがそこにある。
 
   (‥ )つまり読者に苦痛を与え
       苦しめることが
       正確な説明
 ∧∧
( ‥)まあ、だから皆さん
    安易な理解や
    黒魔術やオカルト、魔法へ
    逃げ込むのだろうけどね
 

 考えてみればすべてがそうであった。今からすれば明白である。ファンタジーや魔法は敗北した科学であった。敗北したからこそ、学校と教科書という苦痛から逃げる手段として使われたのである。
 
 なれば答えは明白である。妥当な説明を試みる限り、読者に苦痛を与えることは正しい。否! 読者に苦痛を与えねばならぬのだ。
 
 ∧∧
(‥ )可能な限り正しい説明に
\‐   拷問される読者は
     たまったものじゃないですな
 
  (‥ )必要なのはなんだ?
      麻酔か?
      注射か?
      薬物か?
 
 それとも棘を抜いて余分なものを焼く調理作業か?
 
 だがしかし、調理されればされるほど、それは不正確になり、ご都合主義の嘘に成り果てるのである。
 
 ならば選ぶべきは苦痛と恐怖だ。そしてしかし、与える痛みは最小限度にとどめねばならぬ。
 
 そのためにはどこをどう処置すべきか? それが問われる。
 
 分かりやすいなど、そんな知的安楽死は知ったことではない。安楽死したらもう苦痛を感じないではないか。
 
 
 これはhilihiliのhilihili: 科学系の物書きは暗黒面に落ちるの続き
 
 
 
 

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