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2014年12月15日月曜日

神権政治としては特異ではなかろうか?

 
 ∧∧
( ‥)例えばの話
 
  ( ‥)マルクス主義者たちが
    ‐□ トンデモ農法で
      メチャクチャやった時
 
マルクス主義は科学である

この学説はマルクス主義的だからゆえに正しい

反対する連中は反動勢力である

反動勢力とは、科学であるマルクス主義が予測する社会の流れに反対する分子のことである

そう主張していたわけで
 
 ∧∧
(‥ )社会には流れがある
\‐  それには法則がある
    法則を記述した理論がある
    その理論は正しいが故に
    反対勢力はすべて間違いであり
    非科学であり
    来るべき未来と運命を拒否する
    愚か者であり
    断固として叩き潰すべき
    敵である
 
 
  (‥ )まあこれ自体は
      循環論法で
      なんの意味もない
      正当化だし
      それどころか
      パチもんの神学
      さらには
      神権政治になってしまう
      主張なんだが...
 
 いや、多分、もっと悪いのである。科学理論の風を装って統治する。それは理論を熟知した者のみが責任をもって統治者になるべきだ、という主張であるし
 
 ∧∧
( ‥)というか
    熟知している私たちには
    予知能力があります
    そういう主張ですかね
 
 ( ‥)そもそも資本主義は
   ‐□ 終焉するし
     そうして社会主義
     さらには共産主義になるから
     俺たちの運動は正当だし
     反対者は反動勢力で悪だと
     主張したわけだしな
 
 予言と成就と能力の誇示と権限の要求。
 
 これは一般的な神権政治よりもはるかに強力な主張だと言える。ローマカトリックも、あるいは中世期のサファビー朝成立以来、宗教色が歴史的に強まっていくように見えるイランでついに実権を握った法学者たちも、彼らはいずれも神権政治の指導者ではあるが、あくまでも代理人だ。
 
 ∧∧
(‥ )本音はどうあれ
\‐  代理人だよね
    あの人たちだって
    神に仕える身である
    そういう意味では大衆と同様
    神の下僕である
    彼らは運命については
    論じない
 
  (‥ )なぜなら運命は
      神のもので彼らは人なのだ
      民衆が亡くなった指導者を
      聖遺物にするようなことも
      あるだろうけども
      生きている彼らが
      自分から
      私は神通力を持っています
      そう主張するかというと
      そうじゃねえしな
 
 だが、マルクス主義者はどうもそういう一線をあからさまに踏み越えているようである。
 
 これはたぶん、来るべき楽園が死後の世界ではなく、現実の未来に来る。そう設定したせいではなかろうか?
 
 ”いつか来る”ではなく、これこれこういう過程で順番に、こう具体的にやってきますし、それを説明する理論ですし、その理論を熟知しているのが我々です。
 
 この主張はあまりにも強すぎる。
 
 ∧∧
( ‥)我々は神通力を持っている
    我々は予知能力を持っている
    そういう主張だともとれる
    神権政治としては
    かなりユニークですよね
 
   (‥ )たぶん、それゆえに
       致命的な点が
       幾つかあるんだよな
 
 ひとつは、検証可能な予言をしてしまった点にある。楽園を死後の世界に設定していない。あるいは社会が変化する具体的な順序を述べてしまった。これは神権政治としてはあまりにもうかつな設定である。予言が間違っていたことがばれてしまうからだ。
 
 ばれたら最後、その権威は損なわれる。
 
 
 ∧∧
(‥ )まあそのなんだ
\‐  マルクスさんも神権政治を
    行うために
    設定したわけじゃ
    なかったのでしょうけどね
 
  (‥ )でも結果的には致命的だ
      地上の楽園を標榜した
      ソビエト連邦は瓦解し
      予言と理論が
      破綻していることが
      露呈してしまった
 
 もうひとつは、マルクス主義が道徳や倫理ではない、という点ではなかろうか?
 
 ∧∧
( ‥)そりゃ政治運動のための
    理論でしょうからね
    道徳じゃないでしょう
 
  (‥ )でもそれだと
      政教分離が
      できないんだよね
 
 仮に宗教として駄目だ、そうなっても、道徳や弱者の救済は普遍的な価値として残りうるだろう。権力を放棄しても、いやむしろ権力を放棄したからこそ神職が大いなる力を発揮できる場合がある。
 
 だがしかし、マルクス主義は道徳ではなく、政治運動である。
 
 しかも、政治運動それ自体の基礎が、間違っていると暴露された神通力習得法に基づいている。
 
 これは思った以上に致命的ではなかろうか? これでは道徳になることもできず、神通力取得法の無力化と共に心中するしかないではないか。
 
 ∧∧
(‥ )そういえば亡くなった
\‐  後藤田さんは
    共産党は良い事も
    言っているのだから
    マルクス主義をやめて
    共産党という党名も
    変えた方が良い
    そういうことを
    言っていたのでしたっけ?
 
  (‥ )うろ覚えだが
      テレビでそういうことを
      言っていた記憶があるな
 
 実際、確かに主張は....、その主張がどんな動機で述べられたのかはともかくとして、その主張内容それ自体が良いとしても、”共産党”という名称で忌避してしまう人は多い。

 冷戦時代、あまりにも敵勢力として意識されすぎたし、過激派をはじめ、その凄惨なリンチとテロは今でもべっとりと人々の記憶に残っている。
 
 ∧∧
( ‥)でも捨てられない
 
  ( ‥)これはマルクス主義の
    ‐/ 特異な特徴と
       特異な神権政治の
       有り様に
       起因するんじゃないかな
    
   

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