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2010年8月22日日曜日

状況をお知らせすべきでした

 
 
 ∧∧
( ‥)なんでしょう?

     (‥ )今日、ふと思った。

 子供達は”恐竜が骨のみで知られていること”を知らない。のではないだろうか

 ∧∧
( ‥)そりゃあ、鳥以外の恐竜(認識的な恐竜)はすべて
    滅びていますから。

     (‥ )そして、子供達はばらんばらんの断片的な
         骨からのみ恐竜が知られている、という当然の
         事実を、これまた当然ながら知っていない。
         わけだよね?

 そうだよな そうだよね?

 ∧∧
( ‥)・・・・そりゃあそうでしょう。

     ( ‥)そうなんだが、完全に失念していたな。

 
 子供たちに限らず、世の中では”骨という現実”、ではなく、骨から推論された推定値(というかあてずっぽう)としての”復元画”なるものの方を”事実”だと考えている、、、、

     (‥ )というわけだよね?
 ∧∧
( ‥)まあ、復元画をまず見ているでしょうからね。
    見たら事実だと思うでしょう。


 推定値を事実だと思い込んでいる。

 しかしたぶん、それが恐竜に関する最大の誤解。理解の障壁。

 ∧∧
( ‥)何をいまさら。

     (‥ )その今さらを今気がついた。
         いや、分かっているつもりだったんだが・・
 
 ∧∧
( ‥)子供に、そのことをまず教えるべきだったと?

     ( ‥)そうね。
         うかつだったな。

 今度はそうしよう。

 例えば、
  
 鳥が恐竜ってそんな馬鹿な、という意見はしばしば耳にする。それも考えてみればこれと同じの誤謬が根本にあるわけだよね? 

 ∧∧
( ‥)そうなんですか?

     (‥ )そうじゃねえか?

 例えばつまり以上の違和感はこう?

 恐竜をモンスターとして復元した推定値(実はこんなもの、もはやestimate:推定とは呼べないただの”憶測”、”あてずっぽう”)を事実だと前提して、その”事実”とやらと”鳥の外見”という事実の齟齬に違和感を抱いている。

 というわけであって。

 ∧∧
( ‥)根底が妥当ではないと。

     (‥ )というか主張が無意味だろ?
         前提と事実が齟齬するなら、前提を
         疑うべきだ。      

 だから、やはり産出状況をちゃんと見せるべき。



     ( ‥)でも、恐竜の産出状況を見たら、
         みんながっかりするだろうなあ。
 ∧∧
( ‥)まあ、大概はばらんばらんのぐっちゃぐちゃですからね。

 というか恐竜を”骨”だと思っていないから、はあ? なにこれ? と思うだけかもしれぬ。

 ∧∧
( ‥)そんなもん?

     (‥ )恐竜の骨って言うだろ。

 だがそれは間違いだ。 ”恐竜の骨”ではなく、”恐竜は骨”です。

 ∧∧
( ‥)まあ、皮膚の印象化石とかもありますけどね。

     (‥ )それはそうだけどね。

 ”恐竜が骨”であることをこの人は理解していないんじゃないか? という疑惑はこんな時にも感じたことがある。


 恐竜時代の最末期。北米の大型肉食恐竜はある推論(論文です)によればティラノサウルスしかいなかった。

 ∧∧
( ‥)ナノティラヌスとか一部の人がアルバートサウルス・メガグラキリス
    と考えたものはティラノサウルスと識別する意味がない
     そういう推論がありますからね。

     (‥ )でもある人(複数)はこの推論に対して
         こう意見した(科学者ではない)。

 現在の世界でも同一地域に複数種の大型肉食動物がいるではないか。同じ北米でもより過去のジュラ紀末には明らかに複数種の大型肉食恐竜がいたではないか、でっ、あるから

 ∧∧
( ‥)ゆえに白亜紀最末期の北米にも
    複数の大型肉食恐竜がいただろうと

     (‥ )でもそれ、あまり意味の無い話なんだよな。

 恐竜の場合、手に入れられるのは骨だけ。分類とは”識別し、認識する”ためにある(ここでは分類は自然科学であるとは主張しない)。すると当然、恐竜の場合、その認識には骨から観察できる形質に着目することになる。

 ∧∧
( ‥)骨の形質で識別できなかったら
    骨から複数種を認識する意味がなくなるんですよね。

     (‥ )そして、手に出来る骨の情報ではこれらは識別する
         必要がないのではないか? という提言がある、
         それに対して生態的には複数種(属が)いたと
         考えるのが妥当ではないか?
          と主張するのはまったく無意味。

 そもそも、生態的には複数いたに違いない、という主張をどう検証するのか? (明らかな新属を見つけた、というわけでもなく、既存のデータから導くわけでもなく、ただ単に”複数いたに違いない”という信念を論証するにはどうすればいい?)

 ∧∧
( ‥)科学で扱えることではないですね。

     (‥ )認識論としての分類においても
         主張としては無意味だろうね。
         それとも僕には認識できるというのかな?

 
 こういう事態を招かないためにも、やはり子供たちには”産出状況”をお知らせすべきではなかったかと。

 ∧∧
( ‥)思ったわけですか。

     ( ‥)うかつだったよなあ・・・
         なぜ気がつかなかったのか・・・。

    

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