自己紹介

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2013年1月31日木曜日

うわっ、なにその部品!

 
 hilihiliのhilihili: ホルスタインの逆襲の続き
 
 ∧∧
( ‥)つまり?
 
  ( ‥)そうねえ、僕らには
      考えられない、すごく
      でかくて粗雑な部品だけで
      理路整然と組み上げられた
      理論体系っていうと
 
 アリストテレスの理論だよな
 
 ∧∧
( ‥)火と土と水と空気
    天球と地上
    動くものは必ず止まる
    無限の足し算は必ず無限
 
  (‥ )なにひとつとして
      前提に正しいものがない
 
 半導体や抵抗器など、しかるべき部品から何かを作る、のではなく、さながら、市役所と高速道路、洗濯機とアラフォーを部品にしてラジオを論じる、みたいな無茶ぶり。
 
 ∧∧
(‥ )アリストテレスさんの理論って
\–   読んでいて
     めんくらいますよね
 
  (‥ )もう僕らは原子論で考えて
      いるわけで、土と火が
      元素だと言われても、
      土はケイ素と酸素だし、
      火は酸化反応であって、
      それは現象で元素じゃない
      と思っちゃうからねえ

 
 
 ∧∧
( ‥)でもアリストテレスさん自身は
    誠実であったのだと
 
  (‥ )だからそうねえ、現在の
      そこらにいるオレ様理論屋
      とは違うわけよな
 
 ただ、同じと言えば同じなのだ。理屈に使うパーツがあまりにもでかくて、知っている人間からすればめまいがするくらい雑。
 
 ∧∧
( ‥)そういう点ではアリストテレス
  –□ さんは雑な理解をする人を
     理解するためのきれいな
     モデルだとも言えますね
 
  (‥ )でっかいパーツをもって
      きて、彼なりに誠実に
      配置するんだよね。
 
 ただ現代人、あるいは、ある程度知った人の目には、彼が根源的なパーツだと思ってもってきたものの中身とその配線、部品が詳細に見えてしまうわけで、
 
 うわあ、そことここをくっつけちゃう??? 
 
 とか、
 
 高速道路と洗濯機を接続しますか?
 
 という感じなので、ぽかーんと見ることになる状態。
 
 ∧∧
( ‥)でっ、こういう人は
    現在にもいますよと。
 
  (‥ )時々、無駄に専門用語使ったり
      あるいは科学や技術の用語を
      本来はない意味合いで使ったり
      する人いるよな
 
 あれもこれだよね。
 
 ∧∧
(‥ )ある意味、アリストテレスさんの
\–   直系の子孫だとも言えますよね
     ギリシャポリスの哲学は
     数学以外は事実上、個人だけの
     理論が展開された状況ですから
 
  (‥ )哲学の歴史はプラトンの注釈だ
      と総括する人がいたのも
      そういう意味で理解すると
      深刻なんだよね
 
 *プラトンはアリストテレスの師であり、2人はある意味、表裏一体な側面もあること、近代科学はアリストテレス哲学を打倒して誕生したことを考えると、科学・数学にとってほとんどなんの意味もないプラトン(およびアリストテレス)の理論が哲学の中核だというのなら、それは科学と哲学の相克ということでもある。
 
 そして結局、この意味において、哲学は相互関係が希薄で普遍性の乏しい、個人理論の集合でしかないではないか、という恐怖。
 
 ∧∧
( ‥)まあ、総括というからには
    哲学はそれだけではない、
    ということでもあるの
    ですけどね
 
  (‥ )ただなあ、ソーカル事件が
      あったみたいにな、
      用語のおかしな使い方
      普遍性の乏しい使用法、
      奇妙な専門用語を使う連中が
      跋扈する。そういう
      領域があるのも事実なのよな
 
 
 
 *ソーカル事件:科学用語を本来とは違うオレ様な使い方をする哲学者たちに業を煮やした科学者ソーカルが、用語の使用法を意図的におかしくして書いた嘘論文を投稿したこと。それがその手の雑誌に受理されてしまったので、ほら、いい加減なことばっかしてる、とバレた事件。
 
 *あの手の人々が、科学だって絶対じゃない、と言うのも、(そもそも科学が絶対だという時点で理解がおかしいことは抜きにして)、オレ様が専門用語をオレ様利用するのだから、科学だってその用語の使用はオレ様利用でしかないだろ、立場同じじゃん、と考えているからかもしれない(というかそう解釈した方が整合性があるのではないか?)。
 
 *科学の用語の妥当性を決めるのは、最終的には人間ではないよ、という意味では科学の用語もオレ様利用だ、という主張は正しくない。
 
 *一方、科学が言う検証は自然という客観的な実在を無批判に前提としているだけである。その前提を疑うのが哲学だ、というのならそれはそれで正しい。ただし、正しいだけでは意味がない(正しいことは何かを保証しているわけではない)。また、それなりな毒キノコを食うと人は死ぬわけで、それを素朴な考えとか言うのは自由だとして、「それ食ったら死ぬよ」という現実は個人的には無視はできない。
 
 
 
 

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