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2015年1月1日木曜日

経済的合理性はもはや人間ではない

 
 例えば曰く、最近のディズニー映画は見ましたか? 日本のアニメーションとか漫画とか、そういうものの良いところを取って、一般向けに作っている。このままではジャパニメーションはただのB級に

 
 ∧∧
(‥ )...もともとB級でしょ?
\‐  何を今さら
 
  (‥ )意地悪な言い方をすれば
      ディズニーとか
      ハリウッドとか
      自力ではもはや
      コンテンツを作れない
      だからB級の世界を
      漁ってパクっている
      そう考えることもできるな
 
 日本の映画やドラマもそうであろう。無意味に漫画原作の映画を作る。自力では物語を作れないのだ。
 
 というか、アニメ自体がそうだと言える。漫画原作やラノベ原作が枯渇するような勢いで作っているぐらいなのだから。
 
 ∧∧
( ‥)組織は経済性で動く
 
  ( ‥)アニメや漫画なんてB級w
    ‐□ 日本の映画界すげー
      でもディズニー
      ハリウッドはもっとすげー
      これってさ結果的には
      ”経済的な合理性からは
      アイデアなんか
      生まれないのです”
      そういう自己申請だよね
 
 巨大組織に生きる人間は、俺ってすごいだろ? と言う。
 
 論理と分析に生きる人間は、組織はすごいと羨望して目を見張る。
 
 これらの主張には合理的理由があるが、だがしかし、自力ではアイデアを作り出せない。
 
 巨大組織は人間のしがらみのような政治がものを言う。
 
 だが、経済的合理性はもっとものを言う。
 
 経済的失敗が失脚の原因であり、成功が昇進の理由になることを考えれば、政治よりも経済の方が支配的だと言える。
 
 ∧∧
(‥ )そして経済的合理性で
\‐  活動している人びとは
    アイデアを生み出せない
 
  (‥ )ディズニーうんぬん
      日本の漫画はこのままでは
      B級だ
      コンテンツを搾取される
      だけではないのか?
      これらの指摘は
      それだけの話だな
      深刻かもしれないが
      昔からそうだし
      それだけの話だよね
 
 ようするに、みんな、合理的に考えてすぎて、知性という存在の根幹をまるっと無視している。そういうことなんだろう。
 
 例えば、オズマ計画というものがあった。宇宙に電波望遠鏡を向けて探せば、文明を見つけることができるかもしれないと。
 
 ∧∧
( ‥)でも冷静に考えれば
    すごい馬鹿な話だよね
 
  (‥ )宇宙に電波望遠鏡を向ける
      それは自身がすでに
      電波を発信できることも
      示しているけども
 
 宇宙に電波望遠鏡を向けるなんていう、そんなどうでもいい無駄なことをする生物が知的生物などと言えるか?
 
 いや、これは言い方が合理的すぎる。むしろこう言うべきなんだろう。
 
 経済的な合理性では異星人探索なんていう非合理的なことは正当化できない。
 
 だが、人はそれを知的活動だと呼ぶ。
 
 そんな存在が知的生物だと言うのなら、そんなものがこの宇宙で進化するはずがない。つまり、この宇宙に知的生物なんて存在しない。少なくともその必然性はない。
 
 
 ∧∧
(‥ )あなた方人類は
\‐  経済の合理性では
    説明できない存在だ
 
  (‥ )我々自身はいるから
      知的生物自体は
      ”存在してはいる”
      のだけどね
      ”存在しているから
      必然だ”
      ということにはならない
      知的生物は進化的には
      極めて不自然な存在だと
      考えるべきだろうな
 
 電波を出したり、誰かいないかな、と電波で宇宙を眺めているような頭のおかしな存在はこの宇宙にいない。そう考えるべきではなかったか?
 
 実際、オズマ計画で探査されて電波を出すような文明が無いと結論づけられた、くじら座タウ星。最近になって惑星があるのではないかと言われるようになった。この仮説がどこまで妥当なのかはともかく、少なくともひとつの星には液体の水とその存在を満足させる条件が整っているらしい。
 
 ∧∧
( ‥)つまり生物がいても
    おかしくないけども
    文明が存在しない
 
  ( ‥)これは非常に弱い
    ‐□ 論拠だけど
      示唆的だよね
 
 経済的合理性で進化が進む以上、この宇宙で知的生物が誕生する必然性は無い。
 
 確かに生物の進化は経済的合理性だけではない部分があるが、経済的不合理さを無視して進化が進むには、かなり無理矢理な部分があるのも事実である。

 つまり、知的生物は不自然な存在であって、おそらく、この宇宙に知的生物はほとんどいないのだろう。
 
 地球人は、いかれた進化をした不安定な存在だと見なすべきではなかろうか?
 
 実際、経済的合理性が重んじられるであろう巨大組織は、自力でアイデアを生み出すことができないらしい。これは極めて興味深いではないか。
 
 組織は組織的であり、巨大で質の高い作品を生み出せる技術力を持っている。
 
 にもかかわらず肝心のアイデアを作り出せない。合理的であるゆえに、アイデアを作り出すという負荷に耐えられないのだとも言える。それゆえに個々の個別の狂気から生み出されたB級作品群をパクらなければ存在できない
 
 これは非常に暗示的である。
 
 ∧∧
(‥ )経済的合理性で
\‐  コンテンツ産業を語る人びと
    これもまた同様
 
  (‥ )それは生物的ではあるが
      知的存在ではないな
      実際、
      その手の人の言葉は
      分析ばかりだろ?
      アイデアが無いよね
 
 そんなものは知的生物とは呼べん。つまり狂気的存在とは呼べないだろう。
 
 ∧∧
( ‥)もちろん経済的合理性は
    無視できないのだけどね
    だからこそ
    あなたがたは存在が
    おそらく不安定だ
 
  (‥ )知性とは非合理であるし
      知性とは狂気なのだ
      人間は存在が不安定なのだ
 
 
 多分、長い目で見れば、人間は二次的に知能を失い、もっと自然な動物へと進化するのだろう。それが本来の姿であるし、実際、極端に発達させた装飾を二次的に失った動物は数多くいるそうである。

 おそらく、ディズニーだの論理でコンテンツ産業を語る人は、存在が半ばそうなりかかっている。それは合理性へと至る祝福の道である。ただし、そうなるともはや人間であるとは言えないし、狂気であるとも言えない。そこにいるのはただの合理的な何かだ。
 
 

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