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2014年7月10日木曜日

弱体化とは迂遠なごまかし:ラミア戦争とフィロポイメーン

 
 しばしば言われる言葉、古典ギリシャの人々は豊かになるにつれて共同体としての意識を失い、市民軍は弱体化した。大帝国ペルシャに勝利した栄光はもはや望めないものとなり、最後は堕落してローマに征服されたと
 
 ∧∧
(‥ )問題はこの説明が
\‐  正しいのか?
    ということなんですよね
 
  (‥ )というか
      そもそもこれは説明に
      なっているのか?
      それが問題だろうな
 
 こうも問われる。共同体としての意識や自覚が失われたから市民軍が弱体化したというのは本当か? 例えば逆ではないのか? 市民軍が”相対的”に弱体化したから共同体が壊れた、あるいはむしろただ単に征服されたのではないのか?
 
 
 ∧∧
( ‥)市民軍自体は昔のままで
    未だに意気軒昂でも
    周囲が強くなれば
    戦争には勝てなくなる
    そういうことは充分
    ありうる
 
  ( ‥)アテナイ市は
    ‐□ アレクサンドロス大王に
      征服されたから
      大王の死後、
      叛旗をひるがえすわけ
      だけども

 紀元前323年に始まるラミア戦争、この時、アテナイ市は騎兵500、歩兵5000を出したという。
 
 ∧∧
( ‥)都市国家という性質上
    この数はもはや総力戦
 
  (‥ )実際、同盟軍を率いて
      大王の将軍たちや
      マケドニア王国の軍勢と
      良い勝負をするんだよな
 
 でも結果的には敗北だ。
 
 それからさらにおよそ100年後の紀元前207年、「プルターク英雄伝」(5)岩波版 pp103 によると、アカイア同盟の指導者となったフィロポイメーンは同盟の戦闘方式を改めたという。例えば武装をより重武装にして戦い方にも改良を加えた。
 
 ∧∧
(‥ )でっ、その時の記述によれば
\‐  ”当時”の同盟軍は
    布陣を中隊に
    分けることがなかった
    マケドニアの密集陣形のような
    固い陣形を作ることも
    なかった
    そう述べられている
 
  (‥ )つまり征服と敗北から
      100年が過ぎたのに
      敵の陣形や仕組みや
      戦闘方法を
      取り入れていないって
      ことなんだよね
 
 前にもネタにしたが=>hilihiliのhilihili: 過去の栄光にすがる人 
 
 これはにわかには信じがたい話で、当然、もっと確認する必要があることなのだけども。
 
 ∧∧
( ‥)ともあれここから同時に
    分かる事は
    未だに市民軍が
    健在であること
    若者たちは軍役につき
    フィロポイメーンの
    指導に従って
    勝利を収めることが
    読み取れる
 
  (‥ )でも結局、ギリシャは
      マケドニアの支配から
      脱出できず
      そして最後はローマに
      敗北し征服される
 
 王国であるマケドニアの軍隊は当然として、ローマの軍勢も当時すでに市民軍とは呼べないようなものであることを考えれば、これは次のようなことを示しているように見える。
 
市民軍は敗北から100年を経ても健在だ
ペルシャ戦争から数えれば250年を経た当時でも、市民軍はなお健在だ
だがしかし、市民軍ではもはや王国の軍隊やローマのプロの軍団に勝ちを収めることができない
 
 ∧∧
( ‥)つまり市民軍が弱体化した
    のではなくて
    市民軍ではもはや戦争で
    勝ちを収めることが
    できないぐらいに
    戦争のプロ化が
    進んでしまって
    いるのだろうと
 
  (‥ )ラミア戦争で総力戦を
      挑んだアテナイ市
      その敗北から
      100年過ぎても
      なお健在な市民軍
      しかしその内容は
      100年前と変らず
      それゆえに
      改良はするけども
      最後はその全てを
      軍役の長いローマ軍に
      持っていかれる
      状況はそういうこと
      だよね
 
 つまり明白ではなかろうか? 国民皆兵の精神がそのままでも、若者たちが意気軒昂であっても、それでもなお、戦争では勝ちを収めることができなかったと。
 
 ∧∧
(‥ )堕落したんじゃない
\‐  弱体化もしていない
    むしろ伝統的なままである
    単に物理的に負けただけ
 
  (‥ )思うのだけどさ
      現代人と同じことを
      当時のギリシャ人も
      考えていたのでは
      なかったのかな?
 
 現代人である私たちも、ぎーぎー騒ぎ立てているではないか
 

曰く、若者の精神を鍛えれば、戦争に勝てるはずだ
曰く、勝てないのは精神が堕落したからに違いない
曰く、だから鍛えるべきだ
曰く、戦争となれば必ず徴兵制になるに違いない
曰く、みんなで学徒動員をするに違いない
曰く、だから反対しないといけない
 
 ∧∧
( ‥)単に精神論を言っているだけで
    物理的な力の違いを
    まったく見ていないのだと
 
  (‥ )怖いよな
      古代ギリシャ人たちは
      自分たちがなぜ
      覇権を失ったのか
      多分、全然理解して
      いなかっただろう
      現代人の我々もまた
      賛成にせよ反対にせよ
      無邪気に徴兵制と
      喚き立てるだけで
      物理的な力や
      練度の違いをまるで
      無視しているのだ
 
 現代は過去を知る鍵であるという。その論からすれば古代人は現在の我々と同様に愚劣で愚かだったのだろう。そしてひるがえれば、古代人がなぜ覇権を失うのか理解できぬまま伝統にこだわって破滅していったように、私たちも、徴兵制とか言うもの、あるいは平和憲法とか言うものでも良い、それらに賛成するにしても反対するにしても、時代錯誤と精神論にこだわって何もかも理解できぬままに終わるのだ。
 
 そして、冒頭に話を戻せばである。弱体化した、というのは説明ではないのだ。それは勝ちを収めることができなくなったという単純な事実を複雑に言い換えただけにすぎぬ。説明には、弱体化したなどといういい加減なごまかしではなく、もっと精度の高い単語を使うことが望ましい。
 
 
     

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