自己紹介

イラストレーター兼ライター 詳しくはhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili あるいは詳細プロフィール表示のウェブページ情報をクリック

2015年8月3日月曜日

己の才能ごときを信じて挑むなど愚か極まる

 
 夜の3:00。外の気温は28度、湿度は92%。涼しくなったから散歩に出ようという気にもなれない月の夜。
 
 さて
 
 ∧∧
( ‥)前も話題にした惑星大戦争
    =>
 
  ( ‥)スターウォーズの公開に
    ‐/ あわせて
       漁夫の理を狙った
       作品だそうだが
       わずか二ヶ月で
       作ったという

=>https://www.google.co.jp/search?q=惑星大戦争&biw=1166&bih=842&site=webhp&source=lnms&tbm=isch&sa=X&sqi=2&ved=0CAcQ_AUoAmoVChMIlory4vWKxwIVIyC…
 
 子供心ながらに、ちょっとしょぼくね? と思った映画だったけども、大人になって二ヶ月で作ったと言われると驚異と感嘆の念を禁じえない。
 
 ∧∧
(‥ )しょぼかろうがなんだろうが
\‐  見れる作品を二ヶ月で
    急遽作れてしまうだけの
    人材と経験と蓄積と経済を
    当時の日本映画界なり
    特撮界は持っていたわけだね
 
  (‥ )需要があれば雇用があり
      そして発注もある
      人と経済が周辺に築かれる
      号令すれば人も話も物も
      全部集まる

 
 だから二ヶ月で作れたってことだ。
 
 ∧∧
( ‥)しかし今や
    映画産業どころか
    テレビ産業も衰亡縮小
    まったなし
 
  ( ‥)こういう時にさ
    ‐/ 集団で作る産業って
       不利だよねえ
       一回市場が臨界以下まで
       縮小したら
       質を維持することなんか
       できやしない
 
 反対にこう言う時、本は強い。本は個人、少人数で作れるものだ。同人誌が巨大な市場を作っていることはその反映だろう。

 漫画やラノベもその典型だろう。そして孤立した個別の個人が作品を作るとは、集団としては可能性を最大限に演算し、探索するということでもある。ほとんどのアイデアは死んでしまうが、中には大成功を収めるものもある。
 
 ∧∧
( ‥)そして今や自力では
    コンテンツを
    生み出せなくなった映画界は
    漫画やラノベに寄生するしか
    ないのである
 
  (‥ )漫画の実写化なんて
      成功しないじゃんと
      言われるけども
      まあなんだ
      漫画の実写化って
      自力では
      もはやコンテンツを
      作れない
      映画という斜陽産業を
      支えるための
      失業対策だよな
 

 撮る事もできるし、作ることもできるのに、肝心のアイデアが作れない。よろめく巨大な斜陽産業は自分を維持するために、漫画とラノベに寄生する道を選んだ。すでに売れているこの作品を実写化してはどうでしょうか? そういう口実をもってこないとお金を集められない。そうやってようやく失業対策するが、映像化の必然なのか? それとも最後に残った映画人としての無駄なプライドのせいなのか? 実写化映画は大概無惨な最後を遂げる。
 

 ∧∧
(‥ )ハリウッドでさえも
\‐  自分では新しいコンテンツを
    作り切れないみたいだしね
 
  (‥ )ハリウッドはすごい
      なにもかも
      システマティックで
      面白さを研究して
      何度でも面白いものを
      作ることができる!!
      あっちの文系はすごいんだ
      とか評価する人も
      いるけどさ
      それって裏を返せば
      新しいものは
      何も作れません
      と言っているのと同じ
      だからな
 
 再現は新規ではない。
 
 つまり自力では可能性の扉を開けることはできぬ。出来ぬなら、すでにある成功に寄生するのは道理。

 寄生することでようやく金を集めて失業対策しているのなら、この明白な事実から目を背けてはならぬ。
 
 ∧∧
(‥ )目を背けたいのですかね?
\‐
 
  (‥ )映像としてのあり方が
      まったく違うから
      原作を改変するのは
      当然なんだがな
      それだけでは
      説明できない部分が
      あるだろう?
 
 あれこそ、無駄なプライドが首をもたげた結果かもしれぬ。

 しかしそれは必然的に破滅の道となる。漫画やラノベは集団で解を探索した、いわば最適解としてそこにある。それは進化的に膨大な演算を行った結果なのだ。そのような進化的な解に対して、脚本家というたった一人の個人が、己の才能ごときを信じて挑むなど、思い上がりもはなはだしい。
 
 集団の大演算の前では、個人の知力など何の意味もないと知るべし。

 
 
 

ブログ アーカイブ