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2014年10月5日日曜日

死ぬという自覚が無い限り、正しい事は正当化できない

 
 なんでも二つに分けることができる。
 
 ∧∧
( ‥)そりゃ任意の基準点を
    一つ選んで
    こっからこちらはこうです
    そう言うだけですむからね
 
  ( ‥)まあ、そんな程度の話だ
    ‐□ そう思って
      話をさらに進めるとだ
 
 
 物書きの仕事は二つに分けることができる
 
 売るために嘘を書く か、あるいは次の世代に価値あるものを伝えるか
 
 ∧∧
( ‥)なにを価値ある
    ものとみなすのか?
    そういう問題も
    あるのだけども
 
  ( ‥)ここでは嘘か嘘でないか
    ‐□ それだけを考えよう
 
 実際には嘘か嘘でないか、この言い様にも問題がある。
 
 もっと正確に言うと、紹介する事柄や結論が、現時点で最良と呼べるか、あるいは否か、ということだけを考える。そしてそれは検証によって確認される。そう考える。つまりこれは道徳や政治や倫理による正しさではない。
 
 ∧∧
(‥ )まず、
\‐  ”売るために嘘を書く”
    これは意識していなくても
    起こる事
 
 
  (‥ )以前も話題にした話が
      あっただろう?
 
 要約するとネット上で見た、こんなやり取り
 
Q:自然界は弱肉強食なのに、なぜ弱者を保護しなければいけないのですか?
 
A:まず弱肉強食というのが間違いです。すべての生物は最後には食べられてしまいます。ですから強い弱いは関係ありません。そして人間が種として持つ生存戦略は弱者保護による遺伝的な多様性の保持です。これによって人は厳しい環境の中でも次に必要な変異を用意することができます。こうして人は生きながらえてきたのです。
 
 ∧∧
( ‥)この回答は間違いですよと
 
  (‥ )間違いだらけで
      どこから
      突っ込んで良いのか
      困っちゃう内容だ
      だが、分かりやすいことは
      事実なのだ
 
 ∧∧
(‥ )実際、以上のアンサーを読んで
\‐  すばらしい、とか評している
    人たちがいたからね
 
  (‥ )分かりやすいとは
      人々が前提している
      思い込みを
      そのまま利用した文章だ
      だから分かりやすい
      だが人々が信じる前提には
      そもそも間違いがある
      だから間違いだ
      ゆえに意図的なものでは
      ないけども
      結果的には嘘となる
 
 
 これはアリストテレスの宇宙論が常識から論理的に導いたものであり、それゆえに理論体系自体は論理的で無矛盾であるにも関わらず、結果的に全部間違っていた、ということを思い出せば分かりやすい。
 
 *アリストテレスの宇宙論について言えば
 物を動かすには、それが大きければ大きいほど巨大な力と時間がかかる。しかるに、天は1日一回、大地を中心に回転している。仮に天が無限の大きさを持つのなら天は無限の重さを持ち、それを動かすには無限の力と無限の時間がいるだろう。だが実際には1日1回転である。ゆえに天は有限の大きさである。彼のこの結論は全部間違っている。
 
 **
 前述の回答について言えば
 生物は最後に死ぬが、それまでに残す子孫の数で適応、不適応の度合いが決まる。最後は死ぬからと言って、すべての変異が等価であるわけではない。遺伝的な多様性はクローンなら絶滅してしまうような事態を防止してくれるが、これを実現しているのは人間社会の弱者保護ではなく、雌雄という性別とそれによる有性生殖であり、メンデル遺伝である。それに変異を増加させれば良いというものではなく、有害な効果を及ぼす変異が多くなると、それはそれで絶滅を引き起こすことがある。有害な遺伝子を積極的に排除しよう、という優生学的な考えも論外だが、積極的にためるのが人類の生存戦略です、という回答もまた、色々な意味で間違っている。
 
 
 このように、”理解”とは”正しい”ではない。分かったは正しいではない。
 
 こんなことは誰もが学校のテストという検証と確認で思い知らされたことだが、学校を卒業した今、私たちはその挫折を心の隅に追いやって、無かったことにしている。
 
 これゆえ、私たちは、分かりやすい、分かりにくいの判断はついても、正しいか正しくないかが判別できないままなのだ。
 
 ∧∧
( ‥)言い換えれば
    物書きの仕事には
    間違った思い込みと常識を
    積み上げた
    ”分かりやすい文章 ”を書く
    そういう選択肢が
    存在するのである
 
  ( ‥)そしてそれは売れる
    ‐□ だから
      ”今”を選択した場合
      人はこの選択肢に
      入らざるを得ない
 
 そして、というか、それにもかかわらずと言うべきか、
 
 この選択肢に入った人は、読者を憎んでいるのだ。
 
 恨んでいると言っても良い。少なくとも一度は正しさや妥当性を追求した者ならそうだ。そのことを見抜く目がある人ならそうである。
 
 苦労して正しいことを書いたあの日、それは報われず、現実と妥協して安易で間違ったことをあえて書いた今なら売れる。そうなると、もはやこの道から外れる事は出来ない。自分が軽蔑する馬鹿な客が次々に金を落としていくのを、うんざりした目で眺める日々が続くのだ。
 
 げんなりするのはこれだけではない。物が分かった客が、なんで嘘を書くの? と無分別に問うてくる。あの日、あの時、自分が正しいことを書いた時に助けてくれなかったくせに、今、この時になって奴らは口だけ出してくる。
 
 殺したくもなろう。恨みは深かろう。
 
 ∧∧
(‥ )だが、今を選択するとは
\‐  こういうことなのである
 
  (‥ )売るとは
      こういうことだ
      生きるとは
      こういうことだ
      そしてこれを
      批判することは
      出来ないのだよ
      少なくとも物書きとして
      批判することはできない
 
 
 批判することはできない。嘘を書く事を否定する。これは物書きとしては否定出来ない事柄だ。
 
 だが、たとえ否定できなくとも、書かれたことが嘘である、その事実はやはり変らない。
 
 少なくとも書いた内容が、現時点では最良の仮説でもないし、最良の仮説に次ぐ地位にあるわけでもない、それ自体はゆるがない。
 
  
 ∧∧
( ‥)そして本の役割とは
    本来、こういうものでは
    なかったのである
 
  (‥ )本が金儲けの手段に
      なったのは
      ごく最近だからな
      本が持つ本来の使命
      それは
      次世代にバトンを渡す
      ここだよね
 
 当然、渡すべきバトンには価値があらねばならない。そして価値とは検証されて保証されたものでなければならない。貨幣や紙幣が、金や国家の経済力と武力という、現実を支配する力を担保にして価値を保証しているように。
 
 ∧∧
( ‥)この道を選んだ場合
    書き手は現金輸送車の
    運転手でなければならない
 
  ( ‥)運転手に価値はない
    ‐□ そう言うと失礼だが
      強盗は運転手ではなく
      やっぱり
      現金輸送車を狙うのだ
 
 価値あるものを運ぶとはそういうことだ。そして、ここにあるのは生きる、ではなく、死を前提とした行為である。

 ∧∧
(‥ )自分は死ぬけど
\‐  死ぬからこそ次世代に
    伝えるべきことがある
 
  (‥ )ここに至ってようやく
      物書きは次の世代に
      正しい事を伝えるという
      動作を正当化できるのだ
  
 もちろん、この正しさとは、道徳的に正しい、とか、論理的に正しい、とか、政治的に正しい、とかではない。
 
 検証された現時点の妥当な仮説、という意味である。
 
 ∧∧
( ‥)今を生きるからには
    物書きは
    嘘と間違いを書かねばならぬ
    だが
    自分は死ぬとなれば
    物書きは
    妥当性を根拠に
    価値が担保された物事を
    次世代に書き伝えねばならぬ
 
  (‥ )つまりだよ
      自分は死ぬ
      この自覚がないと
      正しいことは
      書けないのだよね
      そもそも
      書く理由がないからな
 
 自分は何も出来ずに死ぬのだ。この自覚が無い限り、正しい事を書くという動作は正当化できない。
 
 
 以下へ続く=>hilihiliのhilihili: 不老不死ってやばくね?
 
  

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