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2014年10月24日金曜日

努力には自由も高揚感もない

 
 一度挫折したら人生終わりである。
 
 ∧∧
(‥ )実際にはそんなこと
\‐  ないんだけどね
 
  (‥ )そんなことないんだが
      そうだと思っている
      だから職場や会社や
      学校や部活やクラスや
      家庭から逃げられずに
      しがみついて
      死んだり殺したりする
      場合があるわけだ
 
 とはいえ、皆がそう思い込むのは当然だとも言える。目の前の肉にしがみつくのは、人間だけの特徴ではないし、それは当たり前の反応だ。
 
 そしてなにより、確かにそうなのだ、一度挫折したら人生はそこで終わりだ。
 
 ∧∧
( ‥)確かに良い大学へ入って
    良い企業に入れば
    まあ、おおむね一生
    高額かつ安定した収入を
    得られるからね
 
  ( ‥)このレールから
    ‐□ 落ちこぼれたら
      もう”終わりだ”
      それは少なくとも事実
 
 それを考えると、主人公が挫折して、それから立ち直る話なのに、なんで読者はそれを分かってくれないの?? どうして一度の挫折だけで物語を全否定してしまうの?? といぶかるのは虫が良すぎる要求だろう。
 
 ∧∧
(‥ )みんなうまくいかないから
\‐  今さら挫折なんか読みたくない
    あるいはこのレースから
    落ちこぼれたくない一心で
    勉強や仕事をするストレスに
    耐えかねて
    それで一服の娯楽を
    求めているのに
    その娯楽に
    ”挫折から立ち直りまーす”
    なんてものをね
    混ぜ込まれちゃね
    たまったものじゃないよね
 
  (‥ )これは体に良いのです
      そう言って
      薬剤とかビタミン剤を
      食事に混ぜ込むような
      無粋だからな
      受けるわけねーんだよ
 
 だいたい、挫折から立ち直る、という設定自体があまりにも”荒唐無稽”すぎるのだ。書いているご本人たちはこれがリアルだ、と思っているらしいが、実際のリアルとは、一度、挫折したら、大概はもう二度と立ち直れないのである。
 
 挫折のない順風満帆なもてもて主人公がご都合主義だというのなら、”挫折して立ち直る主人公”とやらは一体全体、なんと呼べば良いのだろうか?
 
 ∧∧
(‥ )でも時々、素っ頓狂な
\‐  人の話ってあるよね
 
  (‥ )小説だったけども
      三度財を成して
      二回破産した
      男の話があったよなあ
 
 舞台は遠くの惑星、ということになっているが、本来はアフリカを舞台にした物語で、それを別世界に置き換えたものだ。だから未来世界なのに”アスファルトの道路”が出てきたりする。
 
 つまりこれ、別の惑星の物語ですと言い訳しているが、実際にはケニアのパロディなのである。植民地時代から始まり、アフリカの人々による白人への叛乱と内乱、そして独立へと至る話なのだ。
 
 さて、この地球人、ようするに彼は一儲けしようと本国から入植地にやってきた白人のことだけど、彼は部族の王様になったり、あるいは象牙のハンターとして一儲けしたり、あるいは財産を政府に没収されて無一文にもなった。そうかと思うと、独立戦争が始まり、疎開した入植者の女子供のためにミルクの需要があるはずだ、それに気がついた彼は殺し合いの最中、ミルク販売を始めて金を作った。さらに独立後は保険業が成り立たないことに目をつけ、ミルクの代金を元手に保険代行に手を広げて大儲け。それが、彼が財を成した三度目で、そして最後となった。こういう話。
 
 ∧∧
( ‥)これ、元ネタが
    あるんじゃね?
 
  ( ‥)かもしれないね
    ‐□ 入植というのは
      現地人と入植者の間に
      技術と知識の差があって
      誰でもスーパーマンに
      なれるわけだよ
      なおかつ
      本国よりもライバルが
      少ないし
      法の手も届きにくい
      ”自由”があるわけだよな
      色々な人が色々な
      無法を働いて
      自由を謳歌しただろうしね
 
 それは現代人から見ると、身勝手ではあるけども、郷愁とも受け取れるし、あこがれとも受け取れる。
 
 ∧∧
(‥ )こういう挫折の物語なら
\‐   良いかもしれないねえ
 
  (‥ )というかこれ
      ギャンブル漫画と同じ
      構図なわけだからな
      ギャンブル漫画が
      成功しているのなら    
      こういう挫折もありだ
      そういうことだろうね
 
 あるいはギャンブル漫画も以上のような無法者も、無法であり、自由だから高揚感があるのだ。自由があって挽回のチャンスがあり、それに立ち向かうことは読者の神経を高揚させる。この時、挫折はゲームになる。
 
 一方、挫折を努力で挽回する。それはテストで赤点を取ったから補習授業を受けるようなものであって、高揚感などは持ちにくかろう。というか、うんざりだ。そこには檻があるだけで自由が無い。人間が本来持っている野生動物としての神経をかきたてるものがない。実際、これが良かれと作者が用意した、うんざりするようなお説教的なレールがあるだけだ。同じ敷かれたレールの上を走るのなら、もっと心地よいものの方が望まれるだろう。
 
  
 

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