トロサウルスとトリケラトプスは同属じゃね? という論文があった
(‥ )その時、「うわわん、それはひどいよ」という
反応がネットなどで幾つか確認できた。
∧∧
( ‥)はあ、それが何か?
提案:識別できないから区別する意味なくね?
反応:うわわわん、それはひどいよ、言ってることがおかしいよ。ははーん、お前馬鹿なんですね? きっとそうだ、絶対そうだ
(‥ )これ、会話でもないし、コミュニケーションでも
ないよな?
∧∧
( ‥)はあ、まあねえ。
ともあれ、ここから分かることがある。
∧∧
( ‥)なんと?
( ‥)発掘現場の人間と恐竜図鑑を見ている人間では
分類の目的が明らかに違っているってことさ。
発掘現場の人間:分類とは化石を識別する方法
図鑑を読んでいる人間:分類とは知識をひけらかしたり、暗記したりするための方法
∧∧
( ‥)そんなもんですかね?
(‥ )そうだと考えないと、「ほら識別できないよね」
という提示に対して、論文も読んでない人間が
いやだいやだとかリアクションするのは
説明できんだろう。
論文を読まなくても反論する、論文を読んでなくても反論したい、ということは論文も理由も根拠を読まずとも守りたいものがあるってことだ。
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( ‥)それが現場と現場でない人間の違いですか。
(‥ )骨を見てるか、骨を見ていないか、その違いだとも
言えるかな。
あるいはこう? 骨を見て同定しなければいけない人間と、そんなこと関係ない人間の違い。
( ‥)実際なあ、トロサウルスとトリケラトプスを分けて
なんかいいことあんのか? とか聞かれたら
答えようないっぽいし。
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( ‥)はあ、まあねえ。
むしろ不便かもしれない。
そして認識の違いがこの世界にはある。例えばの話、トリケラトプス、トロサウルスという同じ学名を口にしても意味が全然違っているということらしい。
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( ‥)分類自体が立場によってまるで意味が違うということですか。
(‥ )明らかにそうだろう?
まあ、そもそも論文を読む前に反論するってのは科学でもなければ、人として平均的なコミュニケーションですらない。