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2015年7月10日金曜日

合理主義とは非合理の極みである

 
 ∧∧
( ‥)ぶっちゃけた話
 
  ( ‥)物事を合理的に考える
    ‐/ これは典型的な馬鹿の
       発想でな
 
 合理的に考えると、これは駄目だ、こうでなければいけない、そういう考えにいたる。
 
 ∧∧
(‥ )でもそれだとただの
\‐  現実否定になってしまう
 
  (‥ )合理主義者は現実を
      否定し批判して
      ドヤ顔するけど
      それゆえに現実の操作に
      失敗する
      合理主義者が文句ばかりの
      口先人間になるのは
      これが原因だろ?
 
 
 これを典型的な馬鹿と言わずして、なんという?
 
 ∧∧
(‥ )発想が合理的であること自体は
\‐  問題ないんだけどね
 
  (‥ )というか
      合理であるかどうかは
      どうでも良いことだと
      言うべきだろうなあ
 
 
 重要なのは現実を説明できるモデルを考えだせるかどうかにかかっている。現実を説明できるモデルがないと天気予報ができないように、モデルが適切でないと現実を操作できなくなる。これでは合理も非合理も関係ない。
 
 ∧∧
( ‥)合理主義だから現実の
    改良をめざすのに
    適切なモデルがないから
    現実を操作できず
    現実を否定することしか
    できなくなってしまう
 
  ( ‥)合理主義者の演説を聞くと
    ‐/ 言っていることは
       正しいように
       聞こえるのに
       なんか変だな? と
       感じるのは
       そのせいだろうな

 

 端的にいうと合理的な意見は聞くに値しない。
 
 合理的であれば良いのだ、というのがそもそも誤謬なのだ。何かが合理的であるということと、モデルが現実を説明できるかどうかはまったくの別物である。別物なのに二つを混同するから動作が破綻する。
 
 
 ∧∧
(‥ )世界を変えたければ
\‐  自分を変えろってやつですかね
 
  (‥ )こう言われると
      合理主義者は怒るだろ?
      なぜって自分の合理性と
      現実を説明するモデルとを
      混同しているからだ
      モデルが適切でないと
      操作できないでしょ? と
      言われているのに
      区別できないから自分の
      動機を否定されていると
      勘違いしてしまう

 
 
 世界を変えたければ自分を変えろ。そういう言い訳がまかり通るから世界がこんな世界のままなのだ。合理主義者って奴らはいつもすねた口調でそう言う。
 
 だがそこにすでに誤謬がある。彼は世界を説明する適切なモデルをもたない。彼が持つのは彼だけが信じる合理性という粗末なモデルである。合理主義者に出来るのは世界を非合理に呪うことだけだ。
 
 ∧∧
(‥ )合理主義というわりには
\‐  行動が非合理だと?
 
 (‥ )合理性にこだわること自体が
     非合理の極みってことだろ?
 
 
 そもそも合理性は理にかなうということだけども、理が正しいかどうかについて、理は保証を与えてくれない。これが正しいという思い込みがあるだけである。合理性は合理性の合理性自体を保証してくれない。そんなものにこだわる時点で、非合理の極みであること明らかである。
 
 ようするになんのこっちゃない、合理主義者というのは狂人だ。
 
 しかもこの狂気、なにがいけないって、つまらないことにある。
 
 
 ∧∧
( ‥)そりゃ合理的ですからね
   
  (‥ )真面目っていうのは
      罪なんよ
 
 
 
 

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