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2009年4月16日木曜日

気づいているのではないか?

 
 創造論者の論法というのは間違っている。というか実際のところ宗教的に極めて危険な要素をはらんでいる。

 ∧∧
( ‥)そうなの?

     (‥ )仮説を論証する過程を理解していないとか
         そういう点を抜きにしても、彼らの論法には
          まずい部分があって・・・

 あれをそのまま応用すると聖書の内容もまた否定されるだろう

 ∧∧
( ‥)なりますか

     (‥ )なるだろうね。今、ここではその方法について
         詳しく語らないけど。

 でっ、そのことを踏まえて思うのだけども・・・。ヴァチカンとか、神学者とか、もうずいぶん前からこういうことに気づいているんじゃねーの?

 ∧∧
( ‥)どうなんでしょうね?

     (‥ )1000年以上も神を論証しようとしてきた人々だ
          気がつかないわけがない。

 例えば、どうもざっと聞いた限りでは”最節約な見解からすれば神が存在すると考える必要はない”という懐疑的な見解がありうること。これ自体にはもう何世紀も前に気がついていたらしい。

 ∧∧
( ‥)まあ、、、当たり前っちゃ当たり前な
    ひとつの答えですからね

     (‥ )つまりこう。誰か気づく、これは必然。

 誰か気づけば、それはおおよそ彼らが共有する情報になりうるだろう。少なくとも文章として記述されればそれは何世紀にも渡って残り、誰かが忘れても、誰かがいつか必ずそれに気づく。

 創造論は結局のところ、論証の過程におかしな点があったり、あるいはダブルスタンダードになっている。あのままでは

 ∧∧
( ‥)聖書の記述をおかしな論証でもって
    否定することに道を開いたり、、、

     (‥ )あるいは信仰は理性によっては決して正当化できない
         という結論に道を開くことになる。

 たぶん、あれは宗教的に極めて危険な思想。というか宗教者の、特に真面目に本を読んでいる人で、なおかつ中途半端にしか考えていない人、自分の論証の過程に穴があることに気がつかない不注意な人は、

 ∧∧
( ‥)宗教の側から見ても極めて危険だと。

     (‥ )科学は論理的であるから正しいのだ、といったら
         間違っているだけでなくて危険であることと同じ

 で、思うに、神学者達はどの程度、この危険を認識しているわけ?

 ∧∧
( ‥)というかすでに議論の形で現れているのでは?

     (‥ )たぶん、そうでないかと思うのだよねえ。

 こんど調べてみるか。たぶん、何世紀も前に誰かと誰かが激烈な言い合いをしているだろう。

 
 

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