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2014年6月11日水曜日

それはまるでパイナップルしか入っていない酢豚のよう

 
 今、深海魚がブーム
 
 ∧∧
(‥ )という話が
\‐
 
  (‥ )去年2013年に
      ダイオウイカの生態写真が
      公表されたことを
      受けたものなのだろうね
 
 ∧∧
( ‥)あなたは深海魚の本を
    書く事が多いから
    ビジネスチャンスだと
    思います?
 
  ( ‥)そうは思えないな
    ‐□ 深海魚を見たいって
      言っている人は
      写真がみたいだけだろ?
 
 しかし、写真が見れる深海魚は、ごく限られている。海底にいて機械が近づいても逃げない種族や、設置された餌に集まる種族、あるいは熱水噴出口などで確実に群集していることが分かっている種族、そういうものが写真に撮影される。
 
 *モントレーのような例外もあるが、あれはあくまでも例外だ。
 
 海洋探査が税金を使った事業である以上、確実に成果が得られるような生物群において調査が行われるのであって、だからそういう動物の画像があるのだ。
 
 ∧∧
(‥ )さらにいうと、生態ではなく
\‐   生理とか代謝に関して
    興味深い知見が得られる
    そういう種族に関して
    研究が行われるわけだよね
 
  (‥ )だからさ、
      画像がある深海生物は
      ごく一部のものだけ
      しかも海底温泉で群れる
      一部の生物とか以外では
      生態は研究されていないし
      ゆえに書く事も
      ないんだよね
 
 すごく大雑把に言うと、深海生物の画像が見たい、と言っても、画像のある生物については書く事がほとんどないのだ。そう思えば良い。
 
 ∧∧
( ‥)反対に画像の無い生物に
    関しては書く事が
    意外とあるのだと
 
  ( ‥)海水中を浮遊する
    ‐□ ワニトカゲギス類
      チョウチンアンコウ類は
      そういうものの
      筆頭だよね
      分類、系統、生態
      謎めいているが
      興味深い推論が色々と
      あるのだ
 
 だが、言い換えれば、これはこういうことでもある。
 
 深海生物の画像にこだわる限り、大部分の深海生物は紹介することもできない。
 
 だからこうなる。深海生物ブームといっても、それは所詮のところ、画像が見たいという、いわばにわかの要望でしかない。
 
 *大体、水中できれいな映像が撮影できる、と思っている時点で何も分かっちゃいないのだ。女の子はすっぴんの方が可愛いよ、と言う男に対して女の子が感じるような違和感に近いかもしれない。
 
 それを踏まえればである
 
 ∧∧
( ‥)つまりあなたにとって
    深海生物ブームというのは
 
  (‥ )今、酢豚が流行ってます
      そうは言うけど
      その酢豚、具が全部
      パイナップルだよね?
      というか
      それ本当に酢豚なの?
      そういう違和感しか
      感じないのよね
 
 理解できないし、意味が分からないし、魅力的だとも思えない。
 
 さてもさてもそれを考えると、よく批判されるが、AKB商法とは偉大なものではないか。
 
 ∧∧
( ‥)握手券目当てに
    CDを大量に買うだけで
    あれは音楽ではない
    そう批判する人もいます
    けどもね
 
  ( ‥)だが売っているではないか
 
 ちゃんと消費者の心を掴んでいるではないか。
 
 もちろん反論もあろう。消費者の心といっても、それは一部のものではないか、と。
 
 だがしかし、そういう一部でも良い、大量にお金を出してくれる人を抽出して、しかも軌道に乗せることに成功した、これは驚くべきことなのである。
 
 ∧∧
( ‥)あなたはあれを
    まぶしく感じるのだと
 
  (‥ )深海魚ブームと聞いた時
      それって
      パイナップルだらけの
      酢豚だろ?
      おいらはそう感じて
      渋い眼で見るしかないのだ
      だが、世の中には
      そういう尻込みを
      一足飛びに飛び越える人が
      いるわけだよ
      飛び越えるだけではない
      商売を軌道に
      乗せてしまうのだ
      それをすげーと思うのは
      当然ではないかね?
 
 
 皆の望みをかなえるために、他の誰もがしなかったことを飛び越えてみせる。それは確かに驚くべきことではなかったか?
 
 こんな話をすると、自分はもっと本当のことを知りたい、そう考えるお客を目当てにすれば良いではないか、という意見も出てくるけども。
 
 ∧∧
( ‥)無駄だと
 
  ( ‥)スティーブン.J.グールドは
    ‐□ 売れた
      サイエンスライターで
      あった
 
 もちろん、グールドの本職は古生物学者である。しかし”サイエンスライター”という揶揄がなされたことから分かるように、彼が書いたことはめちゃくちゃだったのだ。断続平衡説、社会生物学批判、劇的なカンブリア爆発、全部間違っている。
 
 ∧∧
(‥ )でも売れたんだよね
\‐
 
  (‥ )あれを見た時に
      分かった
      グールドを読んで
      俺は進化論を理解した!
      そう思っている人々を見て
      分かったのだよ
      ああ、これは駄目だと
      知りたいと願う人に
      あるいは読書家に
      本を売るのは
      まったく無意味なのだと
      そのことが分かったのだよ
 
 
 つまるところ、本当ことを知りたい、と思う人は、仮説の妥当性を判断することが出来ていない。考えてみれば当たり前である、本当ことを知りたい=仮説の妥当性を適切に判断できる、ではないのだから。
 
 知りたいから読んだ、読んだ内容を信じた、それだけなのだ。
 
 確かに確かに、読書という作業は、自分の理解が妥当なのかどうかを検証する作業ではない。端的に言うと、読書などという行為は愚劣の極みなのである。読んでいるだけで調べちゃいないのだ。
 
 つまり、本当のことを知りたいという人に本当のことを書くという選択肢は自動的に駄目だ。確かなことを書いても、それはそもそも望まれていないのだから。
 
 ∧∧
(‥ )じゃあ、後はもう
\‐  好き勝手にやるしかないね
 
  (‥ )うむ、そういうことだな
 
 
 パイナップルだらけの酢豚が望まれている時に、生のパイナップルを丸ごと出す自由は、確かにある。そして強弁できるのだ、あなたが望んでいたパイナップルは今ここにあるではありませんか、と。
 
 
 
 

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