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2014年6月12日木曜日

「この後すぐ!」は、おそらく死に値する罪

 
 まとめサイトの煽り文句は、テレビの「この後すぐ!」と同じだ。だのにネット民はテレビをあれほど唾棄するのに、まとめサイトの煽りはなぜ許容するのか??
 
 ∧∧
(‥ )という意見がね
\‐
 
  (‥ )許容してるかは
      知らんけども
      テレビの方が
      致命的かもな
 
 考えてみれば、テレビの「この後すぐ!」は、それを信用した時、視聴者は15分か、30分、あるいはそれ以上の時間を拘束される、という問題がある。
 
 ∧∧
( ‥)しかもその間、
    他の選択肢は
    選択出来なくなってしまう
 
  ( ‥)あったよな、
    ‐□ 人間は選択肢を奪われると
      こうすれば良かった
      という後悔の念を
      抱いてしまう、という説明
 
 これ自体は本来、選択肢の増大が不幸の感覚を生み出す、という現象を説明するためのもので、すなわち曰く
 
 選択肢を選ぶと結果に満足する一方、選ばなかった選択肢はどうであったろうか? という喪失感も産まれる。選択肢が多くなるに従って、選択して得た結果による満足度よりも、選択できなかった選択肢と後悔の方が多くなる。それゆえ、ある時点で後悔が満足を越えてしまう。ゆえに選択肢の多さは不幸の感覚につながる
 
 というものなのだが...
 
 ∧∧
(‥ )この考えを応用すると
\‐  テレビで「この後すぐ!」
    をやられて、
    じゃあもう少し見るか...
    という行動を
    視聴者が取った瞬間
    彼らには
    他の選択肢を奪われたという
    喪失感が産まれることになる
 
 
  (‥ )まとめサイトだと
      そういうことはないよね
      後で見ても良いし
      気を引かれた
      他の煽り文句を
      先行しても良い
 
 無論、まとめサイトだろうがネットだろうが、なんだよこれは、ということはあるわけで、喪失感が皆無というわけではないだろう。
 
 いや、つまりむしろ話は反対なのではないのか?
 
 ∧∧
( ‥)テレビの「この後すぐ!」が
    人々にもたらす苦痛
    これが異常に
    大きいのではないか?
 
  (‥ )他の選択肢を全部
      奪っちまうからなあ
 
 考えてみれば時間を奪われること。例えば人身事故、というか自殺で電車が止まった時、時間を奪われた時、皆のあの怒りようはただ事ではないのだ。あれを考えれば、この後すぐ!に皆が怒るのは当然だと言える。
 
 ∧∧
( ‥)あなたもこの前
    怒ったよね
 
  ( ‥)急遽相手のところへいく
    ‐□ 途中で人身事故があってな
      10分、240円程度の
      損失だったけども
      ぶちっと切れたよ
 
 とはいえ、以前見た礫死体を思い出すと怒りもさすがに渋面に変るのだ。多分、布団がすでに被せられていたが、血の気の失せた男か女かも分からない腕と広がる赤いシミ、向きがよく分からない体。電車の運動エネルギーの前で人体は無力で、激突時、特に音がするわけでもないらしく、野次馬もいない静かな夜だ。駅員と警察官だけが事後処理を素早く行うのみで誰もいない。怒って騒然としているのは現場ではなく、遠く離れた場所にいる私たち。当の本人はよく分からない物体になっているのである。
 
 ∧∧
(‥ )でもいやな言い方をすれば
\‐  人間一人の命が消えても
    あなたも皆も怒る
    つまり
    本人が死んでもなお
    人生の10分か15分か
    あるいは30分か
    それを奪われたことに
    みんなが怒るのだと

 
  (‥ )それを考えるとだな
      テレビがやる
      「この後すぐ!」は
      死に値する罪なのだと
      思うのだけどね
 
 この大罪を帳消しにする方法がひとつだけある。視聴者を待たせたことで奪ってしまった時間と選択肢。それを上回る驚きを提供すれば良いのだ。人々の喪失感は満足に満たされて、そればかりか溢れ出すだろう。
 
 ∧∧
( ‥)無理じゃね?
   そもそも、そういうネタが
   無いから引き延ばしを
   はかっているわけだよね?
 
  (‥ )テレビが置かれた状況って
      致命的だな

 
 
 
 

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