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2014年11月26日水曜日

今はもう小説を読まない

 
 「課長島耕作」も小説「失楽園」もその内容はラノベと同じ。
 
 ∧∧
(‥ )少なくともあなたに言わせれば
\−  いずれも俺モテモテ
    うっは、であると
 
  (‥ )小説「愛に流刑地」の方が
      よりその傾向が強いかな?
      人妻、女検事、小学生から
      もてもてですよ
 
 以上を踏まえてこう考えればどうか?
 
 ラノベには男のあらゆる欲望がつまっている。
 
 だがしかし、いい歳をした大人がラノベを読む訳にはいかない。
 
 じゃあ「課長島耕作」ならどうか? これなら大人のビジネスマンでも共感できるビジネスシーンが描かれているよ。過ぎ去りし高校生活じゃないし、疲れた大人にはもう読めない異世界ファンタジーでもないよ。
 
 でも「課長島耕作」って、これは漫画だよな? 
 
 それなら「失楽園」や「愛の流刑地」ならどうか? これなら漫画じゃなくて”文学”だから面子も立つよ。
 
 ∧∧
( ‥)大人の面子をつぶすことなく
    口に出せない
    ラノベ的で赤裸裸な欲望を
    提供する
    これは画期的
 
  (‥ )作者は渡辺淳一さんか
      あの人は実に革命的な
      業績を上げた人なのだ
 
 これはまさに天啓ぞ。この事実が物書きに与える答えは明白なり。
 
 子供向け程度の内容で、しかし読者である大人のプライドをつぶさないような体裁の本を作るべし。それがブレークスルー。
 
  ( ‥)これぞ、
      渡辺淳一という人が
      切り開いた
      新たな地平が持つ意味ぞ
 
 ∧∧
( ‥)先人が切り開いた後に
    諸君、続くべし!
 
 大人はどうせ子供向けの内容しか理解できない。だから大人向けに偽装した子供向けの本を書かねばならぬ。
 
 確かにこのような行為は陳腐ではあろう。こういう見解を鼻で笑うような、自称読書家の人々は多いであろう。
 
 だがしかし、以上の事実は、そんな彼らに関してもほぼ無条件に適用できることである。
 
 実際、こういうことは科学の本において非常に顕著だ。読書人とか知識人、文化人は、子供程度の陳腐で間違った科学知識を、後生大事に抱え込み、この本を読んだ自分はすごいだろ、そう言い出すものである。

 例えば読んで見知った人は曰く、ダーウィンの進化論とはこういうものである。あるいは現代進化論はこういうものである。例えばグールドの著作を見よ、これにはこう書いてあると....
 
 ∧∧
(‥ )ところが残念
\−  グールドさんって
    ダーウィニストとは
    言いがたい人だよね
 
  (‥ )というかあからさまに
      違うんだよな
      ダーウィニストでもないし
      現代進化論者でもない
 
 種同士の競合と淘汰があると前提した点からして、グールドの意見は、ダーウィンやそれ以降の進化学の流れとはまったくの別物である。
 
 というか、グールドという人は、実際にはアンチ・ダーウィニストであり、その最後の大物であったと言った方が正しいのではないだろうか? これはグールドという人がマルクス主義者だったから、そういう影響もあろう。
 
 そしてある意味その影響が顕著に出たのが断続平衡説であった。
 
 進化は停滞の時期と、急激な進化の局面とがある。グールドたちはこの仮説を引っさげてセンセーショナルな話題を振りまいたが、これには重大な欠陥があった。
 
 ∧∧
( ‥)急激と停滞って言うけど
    それぞれが
    偶然でないという保証は?
    そうではなく
    その振る舞いに意味がある
    そう考える根拠は何?
 
  ( ‥)彼らはこの問いに
    −□ 答えることが
      出来なかったのだ
 
 結果はあからさまである。
 
 断続平衡説? お前たち何言ってるの? 
 
 そういう扱いで終わり、それでお仕舞い。
 
 これはいかにも理論と論理を偏重するマルクス主義者らしい失敗であった。なぜかというとこういう世界観は、因果関係の推論や統計という考えと相性が非常に悪いからである。実際、断続平衡説は因果関係の推論にまったく失敗して、そうして消え去った。
 
 ∧∧
(‥ )でもグールドさんの本は売れ
\−  それを読んだ読書家は
    ダーウィニズムは現在では
    そのままでは通用しないことが
    明らかとなり
    断続平衡説のような意見もある
    そう理解する
    それを吹聴する
 
  (‥ )たわ言よな
      科学の世界では
      お前たち何言ってるの?
      そう揶揄された仮説を
      画期的で知る人ぞ知る新説
      これを知っている俺すごい
      そう勘違いしたのだ
      そうして
      間違いを理解した自分を
      自慢しておる
 
 
 それもこれも、普及書などという、おこちゃま向けの内容を大人向けに書いた本を鵜呑みにしたせいだ。
 
 それもこれも、自分は忙しいから、教科書なんて読んでる時間はない。そもそも教科書なんてアカデミズムだから、それはきっと堅苦しいだけの保守主義者とその陣営の産物で、きっと間違いが書かれていて、だから読む必要なんかないんだ。
 
 そういう言い訳をして教科書を読まなかったせいだろう。
 
 あるいは、他人が知らないものを知りたいから、目新しいものを知りたいな。自慢できる珍奇な仮説を誰よりも速く知りたいから、そういうものを読みたいな。そういう欲望を利用された結果にすぎぬのだろう。

 これはなにもかも子供じみた浅い欲望の結果であるし、結局のところ、読書家だの文化人だの知識人だのというものが、所詮はこんな程度のものでしかないという証拠でもあろう。
 
 彼らの読書も膨大な読書録も、大量の読破も、そのすべてが子供じみた行為であるし、それゆえに不毛である。なにもかも、ただのガキの所行でしかない。
 
 ∧∧
(‥ )言い換えれば
\−  子供向けの本を大人向けに
    偽装して売る
    この行為には
    責任がともなうという
    ことであるね
  
  (‥ )大人も読書人も
      馬鹿だからな
      いや、
      自分は子供ではない
      そう思っているからこそ
      大人は
      救いがたい馬鹿になって
      しまうのだ
 
 子供向けの本を大人向けに偽装する。これは古来より無自覚に行われてきたことであり、意図的にやれば、さらに効果的だ。
 
 ゆえに本というものはそういうものでなければならぬ。大人に大人向けの内容を与えてはならぬ。大人には本を読む能力が無いから。

 大人には子供でも分かるような内容で与えねばならぬ。しかし、本の見た目は大人向けでなくてはならぬ。そうでないと大人はプライドがおおいに傷ついてしまうのである。だから見た目は大人向けに偽装しなければならぬ。
 
 だがしかし、それゆえにこそ、作り手側は、これが責任を従う行為であることも十分自覚せねばならぬ。
 
 相手は自分と同じレベルのたわいもない子供である。これを忘れてはならぬ。

 
 ∧∧
( ‥)あなたも子供の時のまま
   だよね
 
  ( ‥)小学校の図書館に
    −□ いた時から
      何も変わっていないな
 
 いや、ひとつ変わったところがあるか。今はもう、小説を読まない。
 
 
 

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