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2009年6月10日水曜日

飛躍で飛躍

 
 世の中の進化理論批判にはこういうものがある。

:一部の種で成り立つことをいきなりすべての生物に適用するのは飛躍ではないか
:一部の中間種が見付かっただけで、種間の断絶が埋められたとするのは飛躍ではないのか

 ∧∧
( ‥)、、、まあ、言っていることは
   確かに正しいですよね。

    (‥ )そうね、正しいね。

 ほんのごくごく一部のことから全体を推論するのは論理の飛躍ではないか、という言い方はまことに正しい。

 ∧∧
( ‥)もっともそれを言ったら
    僕らの日常は全部飛躍なんですよね。

    (‥ )明日も太陽が東の空から登るだろう、という予想は
        論理的には、つまり演繹的な視点からは
        正当化できないからなあ。

 だから以上の疑義は確かに正しい。少なくとも帰納法は論理的に正当化できないのではないか? という意味では。

 ∧∧
( ‥)でもだから駄目なんだって言ったら
    致命的でしょうね。

    (‥ )まあ、現実的ではないよなあ。

 つまりこう、進化理論は演繹的な視点から見ると論理に飛躍がある、という指摘はまったく正しいのだが(そもそも演繹法ではない)、だから間違っている、と言った場合、我々は日常からして間違った動作をしていることになるから、それは自殺行為。

 ∧∧
( ‥)言っていることの半分は正しいんですよね。

    (‥ )そして後半は駄目なのだ。

 というかこう。

 飛躍があることに気づいたまでは良かったが、その視点に立てば、我々の推論のほぼすべてがそういう飛躍に基づいたもので、しかもそれ抜きにはやっていけない、ということに気づかなかったのは残念。

 ∧∧
( ‥)こういうことを書かないと、
    いつまでたっても
    中間種が見付かってないようー
    とか言い続けるんじゃないですか?

    (‥ )いちいちこんなこと書かなきゃいかんのかね?
 
 

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