うえへえええ。どうしたものか、メジャーな種類はいくら調べても書けるような内容が出てこない。そのくせ書けることがある種類はなんか地味ー。
(;— —)どうしたもんですかね、この状況
∧∧
( ‥)はあ、まあそりゃあ研究者が研究対象にする動物が
メジャーだったり、ペット業界で有名だとは限りませんからね。
考えても見れば研究者が鬼のように調べた生物っていうと大腸菌、ファージ、酵母、アカパンカビにショウジョウバエに線虫にマウスにシロイヌナズナに人間なわけでして。当たり前っちゃ当たり前。もうしょうがないのでOtophryneで手を打とうと決めた。
さてはて、暇な時間に少し頭を整理してみる。
:一部のデータを過剰に重み付けしている
:データから適切なグラフを導くことができない
それはつまり、データを収集して経験的に自説を検討することができない、ということを示す。
∧∧
( ‥)しばしば反証不可能と表現される状態ですね。
(‥ )まあそういうことなんだが。
ようするに帰納的に仮説を検証することが不可能(あるいは拒否している状態)
∧∧
( ‥)でも整合性はあるんですよね?
(‥ )そりゃあ、極端なことを言えば、適当な補助仮説を
導入したり、なおかつ恣意的に選んだデータだけを
整合性がとれるように配置すれば、当然、
整合性は損なわれないだろうね。
ただ、データ全体とつきあわせると整合性が破綻していくってだけの話で。
∧∧
( ‥)でも主張している本人の内部では
問題は生じていないと。
(‥ )問題が生じていると自覚していることは、
普通の状態なら大声で主張したりはしないだろ?
そうねえ、たぶん、少なくともこの手の人たちの中ではいわゆる”オレ様理論”は理路整然としていることになる。だからたぶん堂々と主張できる。
でっ、思い出すのだが。今西錦司はこんなことを言った。ダーウィンは神と教会を打倒したのはえらいけども彼の進化理論は誤りだ。
∧∧
( ‥)はあ、、、あの人の理論って創造論者を否定できる
ような性能がありましたっけ?
(‥ )ないよ。どっちも同じだ。論文かけねーもん。
使いものになんかなりゃしない。
面白いもんで、人間は論理的に同じではある2つの文章を、こっちは正しい/こっちは間違っていると識別できる/あるいは区別する。
:人間はすべて死ぬ
:私は人間である
:私は死ぬ
:すべての衛星はチーズでできている
:月は衛星である
:月はチーズでできている
∧∧
( ‥)確かにどっちも文脈は同じですね
(‥ )どっちも論理的に正しいのだ。
前提が間違っている(と帰納的に推論される)
ものがあるだけで。
誰でも以上の2つの文章の正誤は識別できる。オレ様理論を言う人たちもたぶん同じ。
しかし、以上の2つの事例は次のことをも示唆している。
論理は文章の正しさを保証しているだけで、現実とは何の関係もない。あるいは現実を説明できると保証しているわけではない。
論理それ自体は現実を保証しない
すると問題は。例えばなぜ今西錦司は”論理的である創造論”を否定できたのか? ということであって
∧∧
( ‥)東洋人でキリスト教徒ではないからでしょ?
(‥ )たぶんね。
するとこういうことか?
論理的に識別できない2つの事柄があった場合、人間は直感的に取捨選択をしているだけで、別に深く考えているわけではない
つまりこう?
オレ様理論を言う人々は直感的にデータを取捨選択し(だから恣意的)、それら一部のデータを整合性がとれるように並べ、論理的に正しいと主張している。そのような方法で仮説をチョイスしたために帰納的に仮説を検証することができず、そもそも論理を武器にしている時点でやはり経験を無視している(帰納は演繹ではないので)。
∧∧
( ‥)経験を無視する以上、反論があっても認めないでしょうね
(‥ )経験を無視する以上、経験的に検証を行うという
研究者の考えは理解できないことになる
自動的にね。
さて・・・
∧∧
( ‥)これ自体が仮説なわけですが
どう経験的に論証します?
( ‥)実験するのか、観察するのか・・・・・
そもそもオレ様理論の主張者ってカテゴリーが実在するのかという問題もあって
∧∧
( ‥)灰皿の例え話やがな
(‥ )灰皿になっちゃうねえ。
もうひとつ、この仮説は予測を理路整然と最節約に導き出せる程の性能があるのか? それが問題だ。