日の落ちかかる公園にいってベンチに座り、「分類思考の世界」を読んでいたら目の前のベンチにやってきた老夫婦。そこでおばさんが旦那に言うのです
「こういうね草がね、生えていてね、引き抜くと根がこんなでね・・・」
といって次々にあたりの草を引き抜き始めた。ちょうど第12章の最後、愛について語られている部分を読んでいるところだったので、笑った。
∧∧
(‥ )・・・なんでしょうね、公園の雑草、それも
ある種のすえの高めなイネ科植物だけを引き抜くというのは
(‥ )自分の家の庭と勘違いしているんじゃないか?
□- ”雑草は抜かねばいけない”というプログラムに沿って
行動しているんじゃないの?
∧∧
( ‥)それは妄執でしょ?
(‥ )愛とはしばしば妄執なのだ。
□-
そうして11章、12章、エピローグ、後書きまで読み終える。ちょうど読み終える頃、老夫婦は去っていった。
∧∧
( ‥)・・・まあともかく、本はようするに全部読んだわけですね
(‥ )一応、本文はね。
種と我々が呼ぶもの。それは生物の系譜をある時間面で切って、その断面を見ていること
いやいや
その断面を見て、それが種だーとかなんとか言っているうちに把握出来た種の数が脳の限界を越えたので色々と整理してみました。それが分類学。
∧∧
( ‥)そして種はどこから来たのかというと
(‥ )人の心の中からやってきた不滅のものだ
ということになる。
とっ、言うわけでこの本で一貫して述べられ続けてきた”種の起源”が明らかになる。
いやいや
それぞれの章をがちゃこんがちゃこんと回転させて組み合わせると、そういう答えがすらりと答えが出てくるというべきか
∧∧
(‥ )なんか、、、、まんまな本というべきですかね?
□-
(‥ )前回の「系統樹思考の世界」もまんまな本だったけども
今回もやはりタイトル通りの確信犯的な構成と
いうべきなのかね。
∧∧
( ‥)でっ、しかしながらそれはあなたの仮説を通してみた推論であると
(‥ )そういうことになるねえ。
ともあれ、引用するにこう。
「種」を発見するとか「分類」を構築するという行為は、あらゆる意味で「推定」ではありえない。「種」や「分類」には推定すべきパラメーターは何もないからである。pp299
∧∧
( ‥)それって科学ですか?
(‥ )パラメーターがないのに優劣を比較しようって行為は
どういう意味で自然科学なのか? とは
問われるんだろうね。
それでも種や分類は誰でも求めるものなのだ。最近、Wikiを見て何を笑ったかって、テタヌーラにご丁寧に分類階級がつけられていたことで、提案者がPhylogenetic taxonomy で定義付けをしていようが、単系統群の名称として設定されていようが、提案者が分類階級を放棄していようが、そのまま分類階級をつけると下目の中に鳥綱が入ってくるはめになる(つまり分類階級の入れ子構造それ自体に破綻が生じる)ことになろうが、そんなことどうでもいいらしい。
∧∧
( ‥)そこまでしても分類階級が欲しいのだと。
(‥ )そしてその階級を正当化すべき
パラメーターは確かにどこにもないのだ。
まさしく愛ですよ。愛。すばらしいねえ愛ってやつは。