くくりは恣意的なものでもなんでもいい。それが結果的に生き延びることができればそれでオッケー。もちろんオッケーと言うには、”適切であると検証済みの解析手段”を用いた条件下で生き延びることが必須条件。
∧∧
( ‥)とっ、あなたは考えるわけですか。
(‥ )だって、客観的に絶対的な”くくり”の基準なんて
我々は持っていないだろ?
そんな物差しが外界に存在するなんて話は聞いたことがない。中性子とか原子核とかそういうのはくくりや物差しになるんじゃないか?と言う人もいるかもしれないし、そうかもしれないけども。まあそれは置いておくことにしましょうか。
ともあれ、個人的に不思議な問題だと思うのは。
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( ‥)なぜ我々が”極端にめちゃくちゃなくくり”を
採用しないのか、そういう問題ですか。
(‥ )馬の目とトンボの足を同じものであるとして
他のものから選り分けてくくったりはしないよね?
馬の目とトンボの足といっている時点で破綻しているのだけども、例えば馬のトルンバとトンボのトルンバは同じものである。へーっ? トルンバって何? どこの部分と聞くと我々が言うところの馬の目とトンボの足を指差された。
∧∧
( ‥)そんなことがあったら、トルンバというくくり自体を
疑いますよね?
(‥ )まーそうだろうねー
おかしなもんで人間はこんな”むちゃくちゃなくくり”を普通しない。それに個人個人でくくりがぐだぐだで、個人ごとにくくりが全然違うということもない。無秩序ではないし、現実とのずれがあってもさほどずれていない。
∧∧
( ‥)トマトは赤いから果物だ、きっと木になっている
そういう子供はいても(これはある程度正しいとも言える)
(‥ )トマトはオコゼに近い、トマトのヘタは
オコゼの尾びれと相同だ、なんて言わないよな。
人間が採用するくくりは現実から”さほど”ずれていない。でもなんでこんなことが起こるのか?
∧∧
( ‥)人間とあなたたち自身が呼称する個人の集合が
共通祖先からほとんど同一の神経を受け継いだから
認識/情報の処理がおよそ均一なんでしょ?
(‥ )だけどもそれだけじゃないだろ?
つまり、色々と経験に照らしてみても、どうもくくりそれ自体はそれなりに妥当であるらしい。そりゃあ馬の足とトンボの足、馬の目とトンボの目、それぞれ機能的な意味だけで同じ”足”だの”目”だの言っているかもしれないが、結果的に間違いであったと言えるかというとそうでもない。
∧∧
( ‥)経験的に言ってしばしば妥当なくくりかたを
しているらしい。ではそんなことがなぜできるのか?
(‥ )そんな能力をどこで獲得したのか?
そういう言い方をすればより”理解”がしやすい?
ようするに多分あれだ、どちらも赤いのだからイチゴと同じくこのベニテングタケも喰えるっぺや、そんな”くくり”をした奴は死んだってことなんじゃねーの?
∧∧
( ‥)まあ毒の有無は経験的に知るのかもしれませんけどね。
(‥ )でもシカの足とウサギの目を同じだとくくるやつは
ウサギが走ると”まばたきしている??”と思うわけだろ?
それじゃあ生きていく上で不都合じゃあないのかい?
経験に照らし合わせても結果的にまあ妥当な”くくり”を発見できるのは、これはやはり(あるいは当然)進化の過程で手にした能力であるということで。
とはいえ
∧∧
( ‥)でも人間のくくりってすごく”実用的”な面を
要求されているせいか、しばしばとんでもないことに
なってますよね?
(‥ )クジラを魚に分類したりね。これは硬骨魚類の範疇次第では
微妙な問題であるが。あれって生活の上では当然だよなあ。
クジラを獣であると分類することは生活するさいにおいて妥当であるとは多分いえないのじゃあなかろうか(この場合の妥当でないとは、狩りによって1日あたりに手に出来るカロリーが減るという意味)
妥当なくくりを発見する能力は人間にはある程度そなわっているに違いない。そうは思うのだけども経験に照らし合わせて考えていくと、それが破綻する場合も当然あり、実際にあり、そしてそれにはしばしば積極的な理由があるんじゃないのか、と。
ちなみに
(‥ )この書き込みではバブルス君よりもジョージブッシュJrに
- 系統的に近いものはすべて人間と呼称しています。
∧∧
( ‥)単系統そうでよかったですねえ。